NNNドキュメント「ボランティア 黒田裕子 被災地への遺言」
2015年1月11日(日) 24時50分~25時20分 の放送内容
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最終更新日:2015年1月8日(木) 18時30分
番組詳細説明(内容)
【見どころ】
阪神・淡路大震災が発生した1995年はボランティア元年とも呼ばれている。震災をきっかけに多くのボランティアが被災地を訪れ、支援の輪を広げ組織化された。その中の一つ、「阪神高齢者・障害者支援センター」は発生当初から災害弱者と呼ばれる人々の支援に乗り出し、現在も活動を続けている団体だ。その中心的な役割を果たしてきた女性がいる。黒田裕子さん(73)。20年間休むことなく阪神から東北まで被災地を駆け巡ってきた彼女は、2014年8月末、体調を崩し入院。末期の肝臓がんの診断を受け、余命3か月と宣告された。しかし、一か月も経たない9月24日静かに息をひきとる。病床でも、最後まで被災者のことを気遣い続けたが、何とか20年目を迎えたいという願いは叶わなかった。番組では、被災者に寄り添い続けた一人のボランティアの足跡、メッセージを通し20年目の今を見つめる。
【内容】
「死ぬのは怖くないけど、時間がない…」 病床の彼女は、消え入るような声でつぶやいた。黒田裕子さん(73)。阪神・淡路大震災で被災、「生かされた命を同じ被災者のために…」。看護師をやめ被災者支援のボランティア活動に身を投じた。
20年前、神戸市の北西部に被災地最大の仮設住宅が作られた。「西神第七仮設」1060世帯に1800人の住民が生活、その半数は65歳以上の高齢者だった。黒田さんは、この仮設に24時間寝泊りしボランティア活動を始める。目標は3つ。「孤独死を出さない」「コミュニティを作る」「寝たきりを出さない」。震災ですべてを失い投げやりになる被災者をつなぐため、住民が集える「ふれあい喫茶」を開設。更に、アルコール依存症や認知症の人へのケアに奔走した。第七仮設が解消されるまで4年3か月、この間、孤独死と認定されたケースは3件。大規模仮設住宅では、異例の少なさだった。震災当初から、ばらばらになった高齢者を一律に集め住まわせる方法に否定的だった彼女が、何より大切にしたのがコミュニティづくり。その考えは、被災者が仮設から復興住宅へ移った後も生かされる。復興住宅が集まる地域の駅構内に喫茶コーナーを併設した“(伊川谷)工房”を開き、被災者が集える場所を提供するとともに、活動の拠点にした。
更に、黒田さんの活動はあらゆる被災地へ向けられる。中越地震、三重県水害、そして海を越えてトルコ、台湾、四川など国境を問わず支援活動に駆け付けた。東日本大震災でも発生翌日に現地入り。そこで直面したのは、16年前阪神で見たのと同じ光景、問題だった。以来、気仙沼・面瀬地区の避難所から仮設住宅を拠点に支援活動を開始。深夜バスなどを使って気仙沼に通い、その数はおよそ3年半の間に79回303日にも及んだ。阪神の教訓を生かすため、被災地では初めて24時間看護師が常駐する仮設住宅も実現。そして、災害看護という分野を立ち上げ、災害看護師の育成制度も確立した。
黒田さんの変わらぬ気がかりは、高齢者の問題。しかし、震災当初から懸念されていた高齢者や障害者、いわゆる災害弱者の問題は20年目さらに厳しい局面を迎えようとしている。被災者が住む災害復興住宅。兵庫県内11市に265か所、約2万5千世帯が入居した。2001年には、65歳以上の高齢者の入居割合は40.5%だったが、2013年の11月には49.2%に増えた。さらに、ひとり暮らしの高齢者世帯はその内の実に45.4%を占める。復興住宅での孤独死は昨年までに800人を超えた。黒田さんが見守り支援を続けてきた神戸市須磨区の「新大池東住宅」も例外ではない。世帯主の平均年齢は70歳を超え、独居高齢者が全世帯のおよそ6割を占める。週に3回開かれるお茶会。お年寄りにとっては大切な交流の場だ。今も、毎回およそ30人の住民が集い賑わっている。しかし、お茶会を含め、黒田さんたちの支援がなければ、自治会活動も成り立たない。街中の「限界集落」と呼ばれる現実に直面している。復興災害と呼ばれる孤独死。この問題は東日本大震災でも同様の影をおとしている。「ひとつの命も失われないコミュニティであるために」黒田さんの信念だ。
そんな彼女が体調の異変を訴えたのは2014年7月下旬。8月28日、兵庫県西宮市内の病院に入院、末期の肝臓がんと診断された。余命3か月。容体は急速に悪化し、9月18日、ついに故郷・島根県の病院のホスピスに移ることになった。神戸を離れる日、彼女は最後になるかもしれないメッセージを残す。「死ぬことは怖くないけど時間がほしい」。それは、災害時に関連死を防ぐための福祉避難所の設置や介護の在り方。そして高齢者のコミュニティ作りなど。阪神大震災以降、20年間取り組みながら、今なお実現していないことへの提言だった。更に、若い人へは「がれきの撤去だけが仕事じゃない。がれきの向こうには人がいることを決して忘れないで」と。
病院を離れる時には、およそ50人のボランティア仲間が駆け付けた。「必ず帰ってきて」という声に、「ありがとう」「ありがとう」と何度も両手を振ってこたえた黒田さん。そして、最後に発した一言は、やはり「悔しい」だった。そのわずか6日後、彼女は静かに息を引き取る。
彼女が活動の拠点としていた伊川谷工房には遺影とともに、面瀬仮設住宅の人たちから送られた寄せ書きが飾られている。「みんなの太陽です」「生きる力 再び立ち上がる勇気をありがとう」。仮設の天使と呼ばれた黒田さんへの感謝の言葉で溢れていた。彼女が亡くなったあとも、面瀬の仮設住宅では看護師の藤田アイ子さんを中心に看護師や助産師が 24時間常駐し被災者の支援を続けている。自治会長の尾形さんは今も、「日本一幸せな仮設です」と語った。阪神から東北まで、20年間、常に被災者の手を握り、目を見つめて語りかけた黒田さん。被災者とともに歩き、寄り添い続けた彼女の生き方やメッセージは今も被災地に息づいている。
阪神・淡路大震災から20年。神戸から東北まで休むことなく被災者に寄り添い続けたボランティアがいる。黒田裕子さん(73)。彼女が最後に残したメッセージとは。
出演者
- ナレーター
- 三浦隆志
番組内容
阪神・淡路大震災から20年。休むことなく被災者に寄り添い続けたボランティアがいる。黒田裕子さん(73)。神戸では仮設住宅に寝泊まりして見守り活動を続け、東日本大震災では24時間看護師が常駐する仮設住宅を実現させた。しかし、20年目を目前にした2014年9月、末期がんを患い息を引き取る。病床でも被災者のことを気遣い続けた黒田さんが最後に残したメッセージとは。
制作
読売テレビ
その他
- 属性情報?
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- ジャンル
- ドキュメンタリー/教養 - ドキュメンタリー全般 ニュース/報道 - 特集・ドキュメント
人物情報
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