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  • totoronoki totoronoki これは自分も同じことについて考えていた。言論の自由というのは"自由"が認められるだけであって、放った言葉が引き起こした問題を放置していいわけではない。あの新聞によって傷つけられた人々はどうなるんだ?
  • vanillayeti vanillayeti シャルリエブドの風刺画ググったら、レイシストすぎてひいた。風刺って権力批判のツールであって、もとから立場の弱いものをバカにするための道具じゃない。暴力はダメだけど、それを生み出してるのは人種差別じゃん
  • masm masm これを見るに、テロは一定の成果を収めたのかな。糞言論であれ、10-0でテロリストが悪いって意思表示することは悪くないのでは?あと、「ヘイトスピーチ同然な言論」か否かを判断する十分なソースをまだ見てない。
  • nisatta nisatta あれ旗幟鮮明にして数でプレッシャーかけようって踏み絵だから、嬉々として掲げてるのはお調子者の真性クズ
  • Mochimasa Mochimasa 『「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である』 それなら"Je suis charlie”は前者の文脈でテロの被害者として掲げられているのだから、後者の文脈でこれを批判するのはフェアではないのでは
  • serio serio キリスト教徒が神だとしているイエス・キリストを、クルアーンで人間だと言明しているイスラームは、それ自体がヘイトスピーチなのではないか、と極論を言ってみたりする。
  • sny22015 sny22015 難しいな。米映画「ラリー・フリント」では目を背ける様な唾棄すべき表現であっても法の下では護られるべきという、自由を勝ち取って作られた国の理念が描かれていたが…それは自由の濫用だという非難にも首肯できる
  • JuliusCaesar JuliusCaesar テロは無論許されない行為だし、表現の自由は醜いものなればこそ守られるべきとも思うが、あんなに敵を作りまくる媒体ならば普遍的正義に守ってもらおうとは思うなとも感じる。その点で私はシャルリではない。
  • oldriver oldriver 思うに。(1)「テロリストにも三分の理」を全否定したい。つまり「この機にヘイトスピーチも糾弾しよう」というメッセージはNG。(2)言論の自由のコストを引き受ける覚悟表明。つまり、ヘイトは「我々」の問題である。
  • type-100 type-100 いや、正義の有無に関わらず与えられるところに、自由とか権利の価値はある。これが表現の自由に対する毀損と感じるのであれば、それはあなたが表現の自由よりも他の権利や価値観を優先しているだけの話だ。
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最終更新: 2015/01/10 21:51

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