昨年は中国との関係のあり方を改めて考えさせる年だった。

 とりわけ台湾と香港で起きた若者らの果敢な活動が注目された。いずれも中国とのかかわりに疑義を呈する動きである。

 台湾では、中国との経済協定に異を唱え、秋の地方選で政権党を惨敗させた。香港では行政長官選挙をめぐる中国の方針に抗議し、中心街を占拠した。

 日本でも共感を呼んだのは、若者らが自由と民主主義の理念を掲げたからであり、相手が強引な対外姿勢を強める中国だからだ。

 だが、そんな中国の強権イメージが、実際にあの国のすべてかというとそうでもない。

 13億人の国には様々な人と集団がいて、変化し続けている。もとより経済で日本と深くつながっている。疎んじるよりも、賢明なつき合い方を熟慮する努力を重ねる方が、双方にとって有益なことは明らかだ。

■国力の増大とともに

 かつて日本は中国への支援を惜しまなかった。72年の国交正常化を経て、80年からは円借款を軸に、政府にも民間にも、献身的に協力した人々がいた。侵略戦争への贖罪(しょくざい)意識とともに、豊かになればいずれ中国も民主化して普通の国になる、という期待があった。

 経済は世界史上まれにみる速さで成長し、国内総生産額は日本の2倍となった。しかし、政治体制は変わらないばかりか、共産党の一党支配をいっそう強めているようにみえる。

 経済の拡大は軍事力強化をもたらし、周辺国に心配の種をまいている。アジアインフラ投資銀行の設立など、これまでの国際秩序に異を唱える外交戦略を進めている。そうした振る舞いにどう対処したらいいのか、難問は多くの国々が共有する。

 日本では対中感情の悪化が進む。内閣府の昨年10月の調査では、中国に親近感を持たない人が8割を超えた。中国漁船のサンゴ密漁に憤った人は多いだろう。ここに歴史認識が絡むと、問題はさらに複雑化する。

■進む社会の多様化

 もっとも、こうして議論に上るのは、言わば中国の一部の話である。実のところ中国は対外強硬や反日で凝り固まった集団というわけではない。

 高倉健さん死去の報が流れたとき、中国で湧きおこった追悼の声は、同じ物語に心を動かす人々がいるという当たり前の事実を知らしめた。北京の書店には村上春樹さんをはじめ日本の小説が平積みになっている。

 中国からの来日観光客が急増しているのは、円安のせいだけではない。明らかに日本の風情を楽しもうとしている。

 中国の人々は何を考えているのか。知る努力を日本側でもっと深められないだろうか。

 共産党の一党支配下とはいえ、経済の急成長に伴い、社会の変化と多様化が進んでいる。例えば貧困問題に取り組む自発的組織が数多く生まれている。環境への意識の高まりから、工場建設反対運動が各都市で起き、成功を収めている。

 習近平(シーチンピン)政権が進める改革には、そうした変化に対応する面がある。今のところ、もっぱら党の統治能力を高めようと躍起だ。党内で汚職を取り締まり、党外では多くの知識人を拘束して言論を封じ込める。その強引さは過去の政権を上回る。

 それでも将来の本格的な民主化を望む声は消えることなく上がり続けている。税財政の改革、法治を徹底する司法改革などの後、最後の領域である政治改革もいずれ焦点にならざるを得ないとの期待がある。

 成熟に向かう社会で、黙って党に従えと言ったところで、いつまで通じるだろう。共産党自身もそこは意識していよう。一昨年の党中央委員会全体会議では、市民の「秩序だった政治参加」を改革メニューに加えた。見通しは不透明だが。

■変化の兆しに注目

 今年は胡耀邦・元総書記の生誕100周年に当たる。

 胡氏は開明的指導者として知られる。学生運動をはじめ党への批判に寛容だったため、87年に総書記を解任された。89年の死去は天安門事件のきっかけになり、民主化を求める人々にとって象徴的な存在だ。

 そこで習政権が胡氏再評価に踏み込むか、胡氏をめぐりどんな議論が出るかに注目したい。思い起こせば彼らが指導した80年代、中国の行く末についての議論は党内外で闊達(かったつ)だった。

 中国はなお発展途上だ。周辺国の関与次第で発展の経路も変わりうる。何が起きているのか、つかみにくい国ではあっても、冷静に目を凝らし、耳を澄ませなくてはならない。

 政府間関係につい目を向けがちだが、それにもまして重要なのは民間の交流だ。もちろん、メディアの責任も重い。一面的な反中論は中国のナショナリズムを刺激してこちらに跳ね返るだけであり、心ある人々を後押しすることには決してつながらないだろう。