ポジショントークという言葉がある。金融マーケットの売買において自分の立場(ポジション)が有利になるよう働きかける言説を指す。例えばトヨタの株式を購入した人物が「絶対に株価は上昇する。理由は――」と語ることで、トヨタ株を買うよう促す行為。ま、Yahoo!の株式掲示板なんぞは殆どがそんな内容だ(笑)。
人は皆、知らず知らずのうちにポジショントークとなっている場合が多い。特に旗幟(きし)を鮮明にする世界では尚更だ。国家、宗教、政治、経済、科学に至るまでポジショントークが氾濫(はんらん)している。
自分の立場を有利にしようとする言動は、物を売りつける営業マンさながらだ。営業マンがお客さんの前で自社製品を悪しざまに語ることはあり得ない。大したことのない製品であっても美辞麗句を弄して購買意欲を煽ってみせる。
まったくの個人的な見解になるが、私は宗教団体や政党が自分達を礼賛する言論が有効だとは思っていない。むしろ逆効果だと考える。礼賛が人の心に届くならば、北朝鮮を素晴らしい国だと思う人はもっと多いはずだろう。中国にしても同様だ。
実際は礼賛すればするほど、聞いているこちら側は空々しい気持ちになり、「お前、頭は大丈夫か?」と心配してしまう。
昔の話だが、総区部長会で新任の総区青年部長が挨拶の冒頭で、「実は僕は前任の○○青年部長が大嫌いでした」と語ったことがあった。会場は爆笑に包まれた。ま、ウケを狙ったのは間違いないが、「杓子定規な考えでやっていくつもりはないから、そこんとこ宜しく」という決意が込められていた。
折伏が単なる勧誘や営業になっていることは決して珍しくない。傍(はた)で聞いていると、まるで「入ってください」とお願いしているような話をする者もいる。
率直にありのままの心情を語らなければ、それは相手をコントロールしようとする策謀となってしまう。他人を意のままに操ろうとする生命は、第六天の魔王と変わるところがない。