元記事は神奈川新聞の元日号に掲載されたもののようですが、ネット上で読んだ「過ち繰り返さぬために『火垂るの墓』高畑監督に聞く」という記事が印象的でした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150101-00119041-kana-l14何度見てもつらくなる戦災孤児の物語を伝えるアニメ映画の傑作ですが、これを監督自身が「反戦映画とは思っていない」と語っているのが衝撃的でした。
元記事は神奈川新聞の元日号に掲載されたもののようですが、ネット上で読んだ「過ち繰り返さぬために『火垂るの墓』高畑監督に聞く」という記事が印象的でした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150101-00119041-kana-l14何度見てもつらくなる戦災孤児の物語を伝えるアニメ映画の傑作ですが、これを監督自身が「反戦映画とは思っていない」と語っているのが衝撃的でした。悲劇ではあるが反戦ではない。言われてみて思い出すシーンがありました。
主人公の少年が戦災に追われて絶望的な孤児になってからも、心の支えになっていたのは、父親が乗っていると信じる重巡洋艦・摩耶(帝国海軍の新鋭で、その美しい姿が広く知られていた)の存在でした。いつか必ず帰ってきてくれると信じることだけが希望でした。しかしあるときその名を口にすると、周囲の大人たちから「そんな軍艦、とっくにみんな沈んじまったよ」と嘲笑されたのです。そのときの少年の激しい反発心が、痛いほどリアルに印象に残っています。私もその少年と同じ年頃で、「重巡高雄型」は誇りでしたから。
似たような経験が、映画「ひめゆりの塔」(1958年の元祖版)を劇場で見たときにありました。悲惨な運命へと追い込まれていく少女たちに感情移入しながら見ていたとき、一瞬でも彼女たちを勇気づけてあげられたらと痛切に思いました。その時の彼女らを喜ばせて上げられるだろう最高の贈り物、それは、嘘でも一度でもいいから「日本軍大勝利」のニュースを聞かせてあげることでした。
上記の高畑監督は述べています。「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」と。
おそらくその通りでしょう。前の戦争では負けて悲惨な歴史を刻んでしまった。