雪が積もり出した午後、日本橋三越本店のライオンの脇に立っていると、その頃はまだ走っていたトローリーバスのパンタグラフと架線のあいだに青い火花が散って、積もってきた雪に反射して、それはそれは美しかった、と義理叔父が述べている。
従兄弟とぼくが東京の町並みの醜さを冗談にしてふたりで笑っていたので、自分の故郷である東京を不憫におもったのでしょう。
ちょうどハリウッド女優の荒れた肌をフォトショップが修正するようにして、義理叔父の記憶も修整されていたに決まっているが、それにしても、京橋のうなぎ屋のテーブルをはさんで、義理叔父が話し出した「むかしの東京」は驚くべき町だった。
それは宮崎駿が描き出す、あの和洋折衷というか、遠い昔の日本と遠い彼方の「西洋」への憧れに満ちた日本の姿に似ていて、聴いているだけででかけてみたくなる町のようでした。
ところどころ、びっくりするような所があって、笄町から交差点を渡って、龍土町へ、龍土町からもういちど交差点を渡って霞町側へ行くと、根津美術館へつづく緩やかな坂道がモニとぼくが広尾山に住んでいたときにもあったが、その坂道の左側は義理叔父が中学生で、学校の帰り道に南青山の友達の
家に寄っていった頃には、まだ長屋という名前のスラムがあって、つぎはぎだらけの服や、まるで戦後の掘っ立て小屋がタイムスリップで紛れ込んだような一角があったという。
義理叔父はずっとあとで田宮虎彦の短編集を後で送ってくれて、霞町のスラムの様子が描かれていて、そのときは、へえ、と思ったが、もう題名も描写も忘れてしまった。
本自体はロンドンにあると思う。
パンケーキとホットケーキは日本では別のものでね、と義理叔父が楽しそうに話している。
またかよ、と従兄弟が父親に悪態をついたので、義理叔父がよく話す話題であるということがわかる。
ホットケーキはパンケーキよりも分厚くて甘いのだよ、という。
鎌倉ばーちゃんは帝国ホテルのホットケーキが好きだったが義理叔父はなぜか池袋の丸物百貨店のホットケーキが好きで、ばーちゃんにせがんで連れて行ってもらった。
丸物百貨店はあとのパルコで、そうだあそこには10円のジープを走らせるゲームがあって、と話し出したが、いくら聞いても、英語でも日本語でも、どういう仕掛けのゲームかは判らなかった。
パンケーキはずっとあとだよ、と義理叔父が言う。
おれが高校に入ったあとで、だから、70年代のまんなかくらいではないかしら、青山の歩道橋の近くにあって、雪印乳業の経営で「SNOW」という名前だった。
国語の教科書にスタインベックの子馬の話があってね、というので、英語でなくて国語なの?と聞くと、
だってスタインベックを英語じゃ、まだ読めないだろう、と要領を得ないことを言う。
だってスタインベックは英語じゃないですか。
いや日本語なんだよ、日本語だけどスタインベックで、といよいよ要領を失ってきたので、めんどくさくなって、あとは黙って聴くことにした。
その子馬の話にパンケーキが出てきて、子供がね、
「子馬の話じゃなかったの?」
いや、子馬の話なんだけど子供なんだよ。
パンケーキの上で目玉焼きをぶちゅっとつぶして、ベーコンで食べて、
それがあまりにおいしそうなものだから、ずっと「パンケーキ」というものに憧れていたのだよ、おれは。
ベーコンにメープルシロップかけないの?と従兄弟が疑問を述べる。
日本人はベーコンにメープルシロップかけたりしません、となんだか義理叔父はきっぱりと述べている。
従兄弟とぼくは、ふたりで顔を見合わせて、だっせー、メープルシロップかけないでベーコンとパンケーキ、だっせー、と声をあわせて合唱している。
井上陽水の「傘がない」がよくかかっていた「SNOW」を出て歩道橋を渡ると「ユアーズ」という輸入品専門のスーパーマーケットがあって、深夜の1時に東洋英和の女子高校生の友達とふたりでハリウッド映画に出てくるしゅわしゅわ泡が出る「シャボン」を探して店じゅう歩きまわった。
不良じゃん、と従兄弟とぼく。
ビブロスというディスコがあってね、というので、
「Studio 54」のパチモンのクラブだな、と従兄弟が言うと、義理叔父のほうはマンハッタンのチョー有名なStudio 54のほうを知らなくてびっくりしている。
沢田研二と萩原健一がよく朝まで狂ったように猥談にふけっていた青山墓地下の「サラ」(この店は、2005年頃だったかに行ってみたら、まだあった)や午前2時になるとオカマのおねーさんたちがバーにずらっとならぶレストランの「O&O」、アグネス・チャンがマネージャーを盾にバーの隅っこで一心不乱に勉強していた「防衛庁の正門前のハニービー」、都会の子供がいきがって行きそうな店がみんな出てきて、初めは茶化しまくっていたものの、東京の子供たちの生活が目に浮かぶようで楽しかった。
ロンドンはバスクやカタロニアの町まちとは異なって子供にとっては「夜」が存在しない町なので、なんだか羨ましい感じがする。
高校生になると、夜の10時というような時間に電話がかかってきて、早くに就寝した鎌倉ばーちゃんやじーちゃんを起こすまいとして、慌てて必死に電話機にとびつくと、受話器の向こうから、ぼくも知っているトーダイおじさんのひとりMさんの声が聞こえてきて、おい、六本木の香妃園でカレーを食おうぜ、という。
自転車に乗ってでかけると、Mさんは妙ににやにやした顔をして待っていて、
京橋のフィルムセンターで観たダリの「アンダルシアの犬」がいかに面白かったかに始まって、当時は忘れられた存在であったはずの小津安二郎の映画の面白さ、溝口健二や、川島雄三の映画の素晴らしさについて力説するのだそうでした。
あとで判ったのは、Mさんは通学の途中で一目惚れして、毎日3通ずつ(!)ラブレターを書いては出していた相手の「アオイさん」が、通っていた女子高校も投げ出して、家出して、アメリカ人のボーイフレンドを追いかけてカリフォルニアに行ってしまい、あまつさえ、ボーイフレンドが寝ているベッドから電話をかけてきて、私をほんとうに愛しているならオカネを送ってくれ、と言われて、このまま人生を廃業したい、と思い詰めるほどショックを受けていた頃で、日本の古い映画への熱狂も、その頃は麻布警察署の隣の二階にあったという香妃園の広いテーブルをはさんでの軽躁も、みな手痛い失恋の故で、理由はわからなくても、6年制の学校の長いつきあいで、なんとなく友の異様な様子がわかって、めんどくさがりやの義理叔父も、期末試験を三日後に控えていても、なにも言わず、一緒に笑って、テーブルの上のカレーを平らげて、お互いに疲れ果てるまで、しゃべりにしゃべったもののようでした。
それから自動車整備工場の娘の「美代ちゃん」が後年、浅田美代子という名前で女優になったり、渋谷から赤十字産院下まで走っていた通常の都バス料金の半額の「エロバス」で見かけて、腰をぬかすほど綺麗だった女学館の学生が三蔵法師になってテレビ番組に出てくるようになって、やがて白血病で死んでしまったり、義理叔父の昔の東京話は、まだまだ続くが、この記事は古茶さんに約束したまま、ほうっぽらかしになっていた「昭和シリーズ」の続きを書くのが目的で、というのは古茶さんの記事のほうが本題なので、水を向ける、という表現の用法が合っているかどうか判らないが、水を向けるための記事で、続きは古茶さんの記事を読んでから、にしたいと思います。