ファイナルファンタジーの広告表現が最近やたら鬱陶しい。
ファイナルファンタジーを過去プレイしていたであろう「ファミコン世代」のためのものである。
このCMを見る度に私は日本の劣化を感じて吐き気がしてしまう。なぜならファミコン世代はもうみんな30代~40代なわけである。つまり中年だ。大の中年が下らないゲームの懐古をしているのである。
ちなみに、トヨタの自動車のCMにも「ファイナルファンタジー」のBGMが用いられている。このシリーズにはほかにも「ドラゴンクエスト」のバージョンもある。
たかが子どもだましのRPGゲームの音楽を自動車のCMに堂々と使うということはあまりに恥ずかしいのだが、映像の撮り方は凝っていて、けっしてダイハツやスズキの軽自動車のCMとは違う。それなのにBGMは下らないRPGゲームの楽曲なのだ。
それどころか、かのメルセデスベンツすらも、「マリオブラザーズ」を用いたCMシリーズをやっている。子どもの頃にファミコンでマリオをやり、青年期にマリオカートをやった世代に向けていることは明らかだ。つまり、ファミコン世代の中年オヤジは所得層を問わず総じて文化的程度が幼稚なままなのであると見た方がいいだろう。
こういうものに「日本のヤバさ」を感じるのは平成生まれ世代の若者たちだ。
正直言って我々はファミコンをやったことがないし、高橋名人を知らない。物心ついたらプレイステーションか任天堂64およびそれ以降のゲームで遊んでいるわけである。正直、この世代にはゲームは細分化が進んでいるから、「ファミコンでマリオ」みたいなゲームの共通体験で世代意識を持つことのできる最初で最後の世代がファミコン世代の中年たちだろう。
ちなみに今の若者の両親が若い頃はゲームといえばスペースインベーダーなどの印象が強いし、ゲームそのものに疎い人間もいくらでもいる。たとえば私の父親はかつて「マイコン」をやっていたため若い頃にPC98でのゲーム体験の延長線上でパソコンでCivをやっているがファミコン文化はまるで疎い。母親は若い頃にアーケードで遊んだ流れから幼い自分をよくゲーセンに連れてってプライズをやったりしていたが、子育てを終えるとゲームを全くしなくなった。
バブル世代やシラケ世代はゲームで遊ぶこと以上に、アウトドアを楽しんだ。合コンのハイキング・バージョンの「合ハイ」やポパイなどの雑誌に煽られてサーフィンをするためにはるばる鎌倉に行ったり、「私をスキーに連れてって」や「ロマンスの神様」に流されてスキー場で遊んだり、子育てをするようになったら今度は家族をキャンプ場に連れて行くオートキャンプブームに没頭した。
そうした出掛けのために車選びを楽しんだりしたから、1980年代の車はカッコいいデザインの車種が多かった。彼らが子育てをしはじめた平成初期のセダンもなかなかよかったし、ミニバンもステップワゴンブームが起きたり、「2階」がテントみたいになっているボンゴフレンディのような個性的なライバル車種が出現した。
いずれにせよ、グローバルスタンダードの文化だった。アウトドアブランドの大半は海外のものだし、遊び方もハリウッド映画や外タレの広告モデルが手本になった。日本でカッコいいと評価された車は世界で売れた。お金持ちなら外車を買ってアウトドアに繰り出した。
そのくせファミコン世代はというと、正直言ってヤンキー系じゃないとアウトドアをそもそもしていないし、ヤンキー文化にグローバルスタンダードも合ったものではないことは言わずもがなだ。引きこもってファミコンをやってばかりのダメ人間でも時が経てば中年になり、文化的程度を伴わないままに車を買う側になれば、ああいう表現のCMが横行するのだ。
いっておくが、いまは「世界的不況」の時代だ。
アメリカもヨーロッパも悲惨になっていることは誰もが知っていることだが、それでも自動車のCMの表現が下がることはない。当たり前だが、世界のどこでも3・40代は車を購入するメイン層である。年功序列や終身雇用制度だって存在しない。ビデオゲーム第一世代であることも同じだ。
しかし、だからといってCM表現が下がるということはありえないのだ。アメリカも、ヨーロッパも、韓国すらも、このように車をいかに素晴らしい映像表現で映すか、と言う点では同じ映像の水準がある。カメラワークとか、ストーリーとか、自動車の描写とか、BGMやナレーションや字幕の入れ方とか、そういうものに共通する質がある。それから「映画風の画質」も欠かせない。
良い車のCMには、カッコ良く走っている様子だけでなく、これを買えばこんなに素敵な暮らしができますよ、というふうな良いライフスタイルの提示が備わっている。モデルの格好とか、風景とか、子芝居とかをみればわかるように、文化的程度の底上げを喚起するような演出が行われている。
日本の車CMだけが、2000年代半ば以降こうした表現をかなぐり捨てている。つまり、北朝鮮以外のマトモな国では当たり前な文化的程度の維持や成長のための機能を放棄してしまっているのだ。ファイナルファンタジー、マリオ、低燃費少女ハイジ、ドラえもんなどと、幼児性を抱えたまま中年になった人間にウケそうなサブカルのひねり出したような低俗表現が横行している。こんなことをやっている国は日本しかないのだ。
ファミコン世代は日本をガラパゴス化し、落ちぶれさせている諸悪の根源である。
彼らには金があろうがなかろうが、文化を判断する識別能力と言うものが存在していない人間があまりに多いから、そいつらに向けたCM表現が行われるようになるのだ。
彼らの文化的程度の中心軸はファミコンにあるが、それはけっしてまともなものではない。「ファミチキがおふくろの味」のようなものである。ゲームと言うのはしょせん子供だましでナンボだという発想が、子どもをバリバリ育てる中年にないのなら、若者の方がドン引きしてしまうわけである。あと一番びっくりしたのは、ご飯のオカズの漬物のCMがファミコンのマリオをオマージュした作りだったことだ。オヤジばかりか主婦すらもファミコン脳なのだ。
価値ある文化に国境はないし世代の壁もない。日本の団塊世代が「スター・ウォーズ」に若い頃に夢中になったように、南米の若者でもビートルズの曲の1つくらい鼻歌できるように、波及力がある。自動車のCMのグローバルスタンダードはそうやってできている。
だが、「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」のような一本道RPGは正直言って、「ファミコン世代の日本の中年のヤンキーにすら成れなかったダメな部類」の象徴の残念なコンテンツである。海外ではマニア以外に全く知名度はないし、若者でファイナルファンタジーやドラゴンクエストをプレイするのは「ファミ通を教室に持ち込んだようなにわかオタク系男子」くらいしかなく、女性層はほとんど息していないだろう。
日本発の「Fallout」や「バトルフィールド」や「GTA」のようなゲームシリーズはなく、「スカイリム」のようなゲームも1つもない。それらのゲームの世界基準と相いれないのがあの自由度もろくになくダサいドラマをなぞるだけの一本道RPGゲームだし、日本のゲーム産業が今のような体たらくになった元凶はファミコン世代がこの下らないジャンルに集中殺到しすぎた結果にある。
そういうダメなガラパゴス文化を「素晴らしい伝統」のように繕ったCMを流したオヤジ向けファイナルファンタジーの最新作がスマホゲームという現代日本を蝕む害悪の極みのようなものであるのだから、余計にあきれ返ってしまう。もちろん、モバゲーやグリーに最初に飛びついたのもファミコン世代である。通勤電車で40絡みのオヤジはだいたいスマホでパズドラをやっている。スマホゲームの下劣なCMも日本の悪しきガラパゴスなのだが、こういう下等な文化圏の中年ほどネトウヨ化していて「日本は素晴らしい国だ」と信じてやまないのだから、老害化するファミコン世代に存在価値はないと思う。
かくして中年カルチャーばかりがガラパゴスで特殊になる一方だが、韓国に目を向ければ下品な装丁の雑誌も「スクリーンドアのない通勤列車の駅」ももはやどこにも存在していない。韓国がとっくのとうにかなぐり捨てた「ファミコン全盛期の1980年代の様式」がそのまま世の中のいたるところに蔓延し続けているのが斜陽日本の現状であるということに逆説的に気づかされるものだ。
ソウルの街では重厚なセダンが走り回っている。「大人の服装」をした30代40代がデパートで買い物をしたり、感じのいいレストランで最新のサムソンスマホ画面をフリックしている。彼らのための広告表現は概して欧米の物と同じくらい洗練されている。いい年してパズドラやももクロに熱狂したり、ネットの匿名空間に学生時代と変わらない調子でテレビ地上波に出てくる芸能人や隣国に対する悪口雑言を書き連ねて喜んでいそうなオヤジはどこにも見かけない。
ほんらい、中年世代には、世の中の発展のために古いものを改革する義務があるのだが、彼らは社会に目を向けようとせずにブラウン管の中の決まりきった一本道様式のゲームプレイ画面にばかりかじりつき続けてしまったために、そういう発想を一ミリも持っていない。われわれ平成生まれ世代はその弊害をもろに被っており、たとえばいまだに手書きの履歴書を書き続けさせられたりして、自由に独創的な活動に打ち込むことを阻まされているのだ。