「宝島30」 1995年4月号 JICC出版
封筒の表にも裏にも、赤いマジックで「重要! 必ずおわたし下さい!」と大書されている、一種、奇妙な郵便物が昨年の7月、月刊『現代』編集部に届いた。郵送先は同誌編集部だが、宛名は「岩上安身様」、つまり私である。送り主の氏名に覚えはない。どうやら読者からの手紙らしい。封を開くと、中からは15枚のワープロ打ちの文書をコピーしてホッチキスでとじた、アジビラかパンフレットのようなものが出てきた。
内容はとくに私個人に向けられて書かれたものではない。「今世紀最大の報道操作」と題して、特定の政治団体にも宗教団体にも属していないことを強調した自己紹介に始まり、以下、「大部分の日本人にとっては寝耳に水の」「余りにも驚くべき」等々の大仰な修辞のもとに、延々と「アウシュビッツには"ガス室"など存在せず、その故に"ガス室"で殺されたユダヤ人は一人もいなかった」という主張がつづられている。一読して、欧米のホロコースト・リビジョニストのプロパガンダの無批判な受け売りとわかるものだった。
マジックペンで「『ホロコースト』について、驚くべき事実が有ります」「『ホロコースト』が、本当だったら、私は医者をやめます。本気です」「絶対に時間は無駄にさせません。ご一読下さい」などと手書きの書き込みがなされている。パンフの文体といい、恐ろしく騒々しい自己主張である。
たしかに欧米には少数ながら、ナチのホロコースト犯罪の事実を歪曲、ないしは矮小化するリビジョニスト(修正主義者)や、犯罪事実そのものを否定するディナイヤー(否定論者)が存在する。そんな常識なら、わざわざ教えてもらうまでもない。現に、月刊「現代」4年8月号誌上で、私はホロコースト・リビジョニストがネオナチの行動を正当化する思想的バックボーンを提供している事情を書いたばかりだった。この号が発売されたのが7月5日、手紙の消印は7月9日になっている。発売直後に買い求めて、読後すぐにこのパンフを送ってきたのだろう。ありがたい、熱心な読者ではある。それは感謝するが、しかし、「啓蒙」されても、私としては困惑する他はない。
奇妙な印象は、それだけではなかった。文面に、生々しい政治問題に深く関わってしまった人間に時としてありがちな、ある種の毒々しさや鬱屈したルサンチマンの臭いが奇妙に稀薄なのである。先述したように、文体はひどく騒々しい。にぎやかな躁状態といってもいい。そのにぎやかさは、「邪馬台国論争」の新説を思いついて有頂天になっている素人の古代史マニアや、ひょっとしたら自分が昨夜望遠鏡で見た星は未発見の星ではないかと興奮しているアマチュア天文マニアなどとどこか似ている。他愛のない無邪気なはしゃぎぶりである。
まず切実さがない。むろん苦悩もない。売名や商業的成功を狙っている気配もない。ただただ、愉しみのための愉しみとして、現代史の「謎解き」ごっこに熱中しているオタク−−そんな像がおぼろげながら浮かんでくる気がしたのである。
ホロコーストが事実なら医者をやめるなどという書き込みも、まるで日曜ゴルフの"握り"やマージャンで晩メシを賭けているかのような気楽さである。ゲームを少しだけ白熱化させるためのスパイス。むろん、真面目に受け止めれば、こんな不謹慎な話はない。
文書の内容自体は取るに足らないが、この愚鈍な無邪気さだけには強くひっかかるものを覚えた。それは私がドイツやポーランドや、あるいはロシアで目のあたりにしてきた、ファシズムやホロコーストの評価をめぐって今もなお−−あるいは今だからこそなお−−熾烈に政治闘争を繰り広げている人々の死にものぐるいの切実さから、気が遠くなるほど離れていた。善し悪しは別にして、無邪気さと切実さとのこの途方もない距離を、私は自分の中ではすぐには埋められず、しばらくはこの課題を扱いあぐねて机の引き出しにしまっておくことにした。
西岡昌紀氏から送られてきたパンフが、屑篭に放り込まれることなく、今も私の手もとに保存されているのはそうした次第による。
それから約半年後の1月17日−−。
忌まわしい阪神大震災が起きた同じ日に、『マルコポーロ』95年2月号が発売された。同誌に掲載された「ナチ『ガス室』はなかった」と題される記事が巻き起こした騒動の顛末は、読者は周知のことだろうから、ここでは割愛する。この騒動での報道の傾向について、一点だけ不満があったことを記しておく。
不満とは他でもない。報道の焦点が多くの場合、文芸春秋社とその「エース」編集者である花田紀凱(かずよし)氏の蹉跌、というドラマに絞られていて、肝心の筆者の西岡昌紀氏と、彼の書いた記事内容の吟味を素通りする傾向が見受けられたことである。内容にふれる場合でも、おおむね有識者の「ホロコーストをめぐる論争は歴史的決着がついている」といった、門前払い風のコメントを引用してお茶を濁し、深くは議論に立ち入らずにすませていた。うかつなことを書いて西岡氏や彼の仲間たちからうるさく反撃されては厄介だ、ガス室の存在は「国際的常識」なのだから、ここは門前払いしておくに限る−−。そんな計算がちらついて見えた。
結局、各メディアは国内ゴシップの一種としてこの事件を"処理"し、有識者は腰の引けたコメントを出すのみ、肝心の文藝春秋側もあっさり謝罪・廃刊という「結論」を出して幕引きにした。かくして発端となった「アウシュヴィッツの嘘」という論点の中心な真空のまま、この騒動は「ユダヤ人団体の圧力行動は、ひとつの雑誌を廃刊に追い込めるほどのパワーがある」という、いずれは過大に神話化されて語られることになるであろう「経験的事実」のみを残して終わってしまった。こんな「経験」からは、ホロコーストの悲劇のおぞましさを、一般の日本人が自分に引き寄せて感じとり、理解する生産的な契機は決して生まれてはこないだろう。残念という他はない。
そうでなくても、ホロコーストという巨大な狂気を理解することは生易しいことではない。その全体像のすべてを一人の人間が理解することは、あるいは不可能なのかもしれない。私自身も、理解できたとはいえない人間の一人である。ハナ・アーレントやエリ・ヴィーゼルやV・フランクルらの著作を読んでも、旧アウシュヴィッツ収容所(現在はポーランド国立オシフィエンチム博物館)へ足を運び、膨大な量の毛髪や歯ブラシや靴といった遺品の山を前にして震えるほどの戦慄に襲われてもなお、その狂気を理解できたという確信には至ることができない。
私個人の知的能力の貧しさを割り引いたとしても、人間の知力、想像力、理解力は、同じく人間が生み出す狂気の大きさに比べて、何と頼りないものか。ナチズムは、スターリニズムと同じく、人間の理念が生んだ狂気である。人間の脳が生んだ狂気なら、脳によって理解可能のはずだが、全き理解にはまるで届かないのだ。その意味でならアウシュヴィッツは「聖地」である。人間が自分の知性・悟性の、情けないまでの無力さに直面させられ、思わず立ちつくしてしまう、負の「聖地」−−。
だが一方、人間にはこういうことも可能である。「理解できないもの」を前にしてなお「理解」しようとし、震えながら立ちつくすなどというとは一切やめてしまう。そのかわりにポケットからメジャーとフラスコを取り出して、「聖地」を計測し、サンプルを採取し、その「データ」を母国へ持ち帰って「科学的な検証の結果、ガス室はなかった」と言い出すことだ。自称エンジニアのフレッド・ロイヒターという男がしたことは、そういうことだった。
彼の発表した「ロイヒター・リポート」は、ロベール・フォリソンやディビッド・アーヴィングらリビジョニストの歴史家たちの一連の著作と並んで、ナチスの狂気を直視することに耐えられない人々に「福音」をもたらした。
救われた気分になった人間たちは、皆が皆、ネオナチなのではない。それは当然だ。誰にとっても忌まわしい過去などない方がよい。原爆投下がなかったなら、アメリカ人は安堵できるだろうし、南京大虐殺や731部隊の実在が嘘なら、日本人は機嫌よくアジアを歩ける。集団化やラーゲリ(強制収容所)がフィクションなら、ロシア人の憂鬱は少しは晴れるだろう。
同様にもし本当にガス室は幻であり、今まで聞かされてきた話は何かの勘違いであって、ホロコーストなどなかったなら、すべてのドイツ人は救われる。いや、ドイツ人だけでなく、地球上の人類、誰もが救われるだろう。もっと素朴に、簡単に、人間というものを、あるいは現代の文明というものを信じられるからだ。そうすれば皆ハッピーだ。実にイージーにハッピーになれる。
だがひどく残念なことに、我々はそう易々とは「ハッピー」にはなれない。ロイヒターは専門家を自称しているが、正式には化学の高等教育は受けていないこと、彼は政治的中立を装ってはいるが、実はこの調査のためにエルンスト・ツンデルというネオナチの大物の資金提供を受けたこと、彼のリポートが多方向から反駁にあい、間違いだらけの代物であることが判明して信頼性を失ってしまったことがすでに公になっているからである。
『マルコポーロ』に掲載された西岡氏の記事は、この「ロイヒター・リポート」をはじめ、いくつかのリビジョニストの著作や、極右の宣伝組織であるIHR(インスティテュート・フォー・ヒストリカル・レヴュー)の定期刊行物を下敷きにして書かれたものだ。本人もまた、そのことを隠さずに「他人の論文を参照して、自分の解釈を加える、医学論文の形式で書いた」と記者会見でも語っている。
本人は自分の文章を、科学的な学術論文か何かのつもりでいるらしい(マスコミの一部も、この記事を「西岡論文」と呼んでいた)。だが、あいにくこれは受け入れられない。
「科学的」であることを標榜するための資格を、決定的に欠いているからである。この点は後で述べる。
「科学的」論文でないなら、これは報道や論評の類か? そうだとしたら、ジャーナリズムに必須の公正さが完全に欠落している。
論文でも報道でもないとしたら、政治的プロパガンダ文書か? ユダヤ人団体は、おそらくそう受け止めた。だからこそ、激しい抗議行動にも出たのだろう。だが、私にはこの解釈も正確とは思えなかった。西岡氏の文章はたしかにプロパガンダ文書を下敷きにして書かれている。しかしだからといって、当人が政治的党派に属しているとは限らないからだ。社会性が極端に欠けていて、自分の言動やテクストが、どのような政治的・社会的文脈に位置づけられるか、まるで無自覚な場合もあり得るのだ−−。
紙袋いっぱいに、資料を携えて西岡氏は現れた。「ガス室はなかった」を証拠づける資料だという。どうやら、「実証的」な講義を聴かせようというつもりらしい。予想していたとおりというべきか、彼には悪びれた様子はまるでなかった。深刻さも、猜疑心や警戒心も見受けられない。しばらく話をしていて、目の前にいる私に例のパンフを送ったことを彼がまるで忘れていることに気がついた。
お忘れじゃありませんか、ときくと、驚いた表情で、「あ、そうですね。思い出しました。これはうかつでした。失礼しました」と率直にわびた。傲慢でも、無礼でもない。社会的常識も備えている。これもまた、およそ思い描いていた通りだった。
私は自分の関心の中心を彼に説明した。
あなたの書いた文章には間違いと思われる箇所、論証の怪しい箇所がいくつもある。しかし、個別の議論には立ち入る気はない。私が関心があるのは、あなたという個人である。6年もかけて資料を調べ、パンフを作って私を含む100人を超えるマスコミ関係者に送り、ついにはこうした記事を発表する。その奇妙な情熱はどこからわいてくるのか、それを知りたい。世間の多くの人が、あなたの言動を政治的確信やイデオロギーにもとづいたものだと錯覚している。他方、あなたは政治的信条はないと表明しているし、私もおそらくその言葉通りだと思っている。とすれば、あなたを支えるモチベーションは何か、その情熱の正体は何なのか。
「政治的党派に無関係というのはその通りです。正確に理解してもらえて嬉しいです」といって、彼は自分が語りたい「本題」に入っていった。
「ナチスがアウシュヴィッツでサイクロンBを使ったというのはおかしい。物的証拠がない。科学的リポートである『ロイヒター・リポート』もそれを指摘している。こうした科学的リポートを発表する自由まで制限しようとする動きが、ドイツにはあるんです。日本でも筒井康隆氏の断筆事件のように、ものを言えない風潮が強まっていて危険だと思う。こうした風潮への反発が動機といえば動機で、もう一点主張したいのは、「ユダヤ人絶滅」を命令した命令書がないのに、あたかもナチス指導部があらかじめ絶滅を計画したかのようにいうのは間違いだということ。物的証拠と命令書がない、この二点から、ボクはガス室はなかった、と結論を出したんです。反論なら歓迎ですよ。ボクはちゃんと議論したいんです」
私はひと通り、彼の主張を聞いてから、個別の議論はするつもりはないと再度告げた。すればいつまでも続くだろうし、夜を徹しても終わらないだろう。彼がその「論戦」を愉しみに待ちかまえているのが、うんざりするほどよくわかったので、あえてお断りしたのである。私は「娯楽」に手を貸したくはない。
むろん、それだけでは取材に応じてくれた彼にも失礼だし、「逃げた」と受けとられかねないので、ただひとつだけ疑問を投げかけておくことにした。なぜ西岡氏は記事の中で「ガス室はなかった」と断言したのか、「科学的論文」を自称しながら、なぜ断言が可能と考えたのか、という疑問である。
−−ホロコーストの事実に関しては、膨大な数の証言がある。あなたはこれをどう論破するのですか。
「証言の中には科学的に妥当でない箇所があるんですよ。たとえばヘスの証言には科学的にみておかしいところがいくつかある。それにヘスを尋問したイギリスの軍曹が後に、ヘスを拷問したと自著で書いている。だからヘスの告白録は信用できないし、あれは連合軍が『ガス室』をでっち上げるための策謀だと思います」
−−ヘスの告白録には事実誤認と思われる箇所がたしかにある。とくに犠牲者数についてですが、その点はイスラエルのホロコースト研究期間であるヤドバシェム研究所も認めている。私はこの事実をヤドバシェムに直接取材して確かめたうえで、『宝島30』94年9月号に書いてもいる。これはスキャンダルでも何でもない。あらゆる歴史研究がそうであるように、ホロコーストの実態を究明する実証的な検証努力は、今も続けられているという、ただそれだけのことです。それにヘスの告白の一部に瑕疵(かし)があるからといって、告白録すべてが虚構である証明にはならないし、まして連合軍が捏造したと断定する根拠になどならない。しかもホロコーストに関する証言はヘスだけではない。ホロコーストの生存者や、元ナチ党員や、ガス室での直接作業に従事させられた通称「カポ」と呼ばれるユダヤ人作業班の人々などの膨大な数の証言が存在する。一例をあげれば、現在日本で上映中の記録映画『ショアー』にも、そうした証言者が数多く登場し、自分の経験を語っている。何百、何千という証言者たちは全員、細部まで口裏を合わせて虚構を語っているというのですか。それならあなたは彼らの偽証を証明しなくてはならない。
「ボクはすべての証言を知っているわけではないし、『ショアー』も観てないから何も言えません。もちろん証言を全部無視するとは言ってないですよ。科学的に妥当であればね」
−−科学的に妥当とは?
「証言ではなくて、物理的・科学的な物証がそろっていて、証明できているということですよ。ボクは、科学的にみて、ガス室はなかったと確信しています」
−−失礼ながら、あなたは「科学的」では決してない。科学的であるといわれるなら、科学的知というのは推定知ということ。仮説を立てて、証明するだけでは充分ではなく、反証に対して開かれていなくてはいけない。こんな初歩的な常識はあなたも医学者なら知っているはずだ。
「ウーン、厳しいなあ……。たしかにボクも言葉の使い方が強すぎるというなら、悪いところもあったかもしれないけど、ウーン、断言しちゃったらダメなんですかね……」
いささか驚いたが、西岡氏は「反証可能性」という、科学を基礎づけるごく基本的な概念を知らなかったらしい。反証に対して開かれ、充分に耐えていない命題は、それこそ「科学的」ではない。「ガス室はなかった」という命題を証拠づける物証なるものはごくわずかしかなく、しかもそれらは厳しい批判にさらされている。一方、その命題に対する反証は、それこそ気が遠くなるほど膨大に存在する。だが、そうした反証に対し、西岡氏の「論文」は何ひとつ応えていないのである。もう少しくだいていえば、彼は「ガス室は存在しなかった」という自説に都合のよい論拠や証拠のみを無批判につまみぐいして拾い集め、そうした証拠の真偽についての個別の検証をまったく省き、他方、自説を揺るがす証拠・論拠は一切無視している、ということだ。
彼は自分でも認めている通り、自分では一次資料にあたっていないし、証人への取材も行っていない。もちろん、アウシュヴィッツ現地での「物理的・科学的検証」も行っていない。私と同様、半日ばかり「見学」しただけである。他人の研究から論拠を借りてくるならば、出典を明記するのは当然だし、その際、信ずるに足るものかどうかの検証を怠ってはならないのは常識であろう。そうした手続きを彼は一切踏んでいない。
しばらく私と彼の間でやり取りが続いた。「反証可能性」という概念を理解してもらうのに手間取り、私が言葉を費やしたためだが、結局のところ、西岡氏も「たしかに一方的でした」と、自分の「論文」が「科学的」ではないことを認めた。
「論文」ではないならば、では、あの文書は一体どういう性格のものなのか?
「ホロコースト・リビジョニストの議論があることをあまりにも一般の日本人は知らないんですよね。ボクはもともとマスメディアに非常に不満というか、疑問がありましたから。とくに湾岸報道の頃からですけど、情報操作の問題が非常に気になりだしたんです。ホロコーストの問題も非常に一方的に報道されている。これはおかしいと思ったんですね。ボクは今までも原発問題とか、環境問題とか、エイズとか、社会問題に広く関心があったんです。趣味といえばボクは読書で、他には山登りくらい。いろいろ読んでいるうちに、たまたまホロコースト問題に突き当たったので、資料を集めていったわけです。ボクとしてはこれは情報操作のケーススタディのひとつとして論じたかったんです。啓蒙と言っちゃうと大げさだけど、こういう議論もありますよと紹介しようと思ったわけです」
「議論」の「紹介」ならば、これは広義の意味での報道の範疇に入る。そうなるとまた話は別になる。紹介者は基本的には中立・公正を心がけなくてはならないのは当たり前のこと。たとえリビジョニスト・サイドに肩入れしていたとしても、その反論や批判の紹介をするべきだし、そうした議論が欧米の社会的文脈でどう位置づけられ、政治や社会の現実にどんな影響を及ぼしているかまで、視野におさめて分析する必要もある。しかし、そうした姿勢は西岡氏の文章には皆無だ。一方的な断言があるばかりである−−。
「あの記事で書いた主張は、ボクはこう思っている、という主観なんですよ。ボクはそのつもりで書きました」
−−でも西岡さんは、そんな書き方はしていないでしょう。
「たしかにそれは、ボクも認めます。ああいう書き方をしても読者はわかってくれるんじゃないかって思って……。甘いかなぁ」
「断言」が決してできない理由は、ひとつには冷戦後の政治的変化にある。旧共産圏諸国、とりわけ旧ソ連のアルヒーフ(古文書館)から新資料が「発掘」されて、従来の研究の見直しが進んでいるからである。とはいえ、新資料のどこかに、「ガス室はなかった」という主張を裏づける証拠が見つかったなどという話は聞かない。新資料によって、犠牲者数の確定作業や犠牲となった人の名前の特定作業が進んでいることと、その一連の過程を通じて、ソ連やポーランドの共産党政権が反ファシズムの宣伝材料としてアウシュヴィッツを利用してきた経緯が明らかになってきたことだけである。それはむろん、西岡氏が『マルコ』で書いているように、「ガス室はソ連のでっち上げだった」という、裏付けのない飛躍した主張を立証するためのものではない。むしろその根拠なき主張こそ、あえて言えば「でっち上げ」であり、「情報操作」なのである。
また、ドイツ国内では「絶滅命令書は残されていない」という定説が揺らぐような事実もつい先日、報道された。
アウシュヴィッツ解放50周年にちなみ、ドイツ国営放送第2チャンネルが放送した特別番組の中で、アウシュヴィッツのSS(親衛隊)建築部がベルリンの上官に送った報告書が存在すると報じられたのである。当時ナチスは、事をすべて秘密裏に処理するため、公式文書の中では「ガス室送りにする」「ガスで殺す」といった言葉の使用を禁じていたのだが、筆のすべりで「ガス室(Vergasungskeller)は時宜に即して完成、予定通り操業開始が可能」と書かれた文書が残されていたのである。この話を西岡氏にしたところ、彼は「知らなかった」と答えた。
「申し訳ないが、それについてはよく知らないのでコメントのしようがない。でもボクは、命令書とか、それに類する文書の存在はないって過去に本で読んでいます」
−−この件をあなたがご存じないからといって責めているわけではない。ただ、新しい資料の証拠は今もなお発見され続けているという一例として挙げたまでです。命令書が今まで見つからなかったというのは、すべての研究者が認めている常識。ナチスは戦争中も証拠隠しに努めたし、戦争末期は証拠隠滅のためにアウシュヴィッツをはじめ、絶滅収容所の施設をダイナマイトで爆破し、文書もことごとく廃棄した。現存する物証が乏しいのはそのためであって、物証の乏しさはホロコーストが虚構であることの直接的証明にはならない。それでも今なお、地道な検証作業は続き、新しい資料が発見されつつある。ユダヤ民族に対する大虐殺という史実は不動であるにしても、細部の輪郭は新たになっていくでしょう。そういう意味で「議論」は存在するし、結論は未来に開かれている。誠実であろうとするなら、「断言」は、少なくとも今は絶対にできないはずです。
「おっしゃる意味はわかります。ウーン、なんて言ったらいいのかなあ……。でも、これは言い訳になっちゃうけれど、編集部はシリーズ化するって言ってたんで、ボクは自分の主張をストレートにパーンと言っちゃってもいいかなと。その後賛否両論が続いていくかなと思ってたんですけど、こういう結果になってしまって。たしかにそのへんは認識が甘かったというしかない」
賛否両論がシリーズで続けば、彼にとっては、それはそれは愉しいゲームとなったことだろう。身を削られるような思いをすることもない、楽しい娯楽。だがそれにユダヤ人側がつき合う必要はないし、『マルコ』編集部が西岡氏の主張を全面的に支持するかたちの見出しとリードをつけている以上同誌は論争の舞台として中立ではありえない。反論掲載の申し出をユダヤ人側が断ったからといって、彼らが責められる筋合いはない。
もっとも、広告ボイコットを企業に呼びかけるという圧力行使手段には、私も疑問がないわけではない。しかし、ジャーナリズムとしての最低限の公正さを備えた文章を、中立の節度ある態度−−あるいは議論の当事者の一方に与(くみ)する場合でも、せめて一定の留保をつける−−を保った媒体が掲載したなら、このような事態には至っていないだろう。
閉店です、と店のウェイトレスが告げた。私たちは、膠着したこの話をひとまず切り上げ、別のファミリーレストランに移動した。
席が改まったところで、私は話題を変え、「断言」の問題とともに気になっていたこと、この文章が発表されたとき、既存の社会的文脈の中でどのように位置づけられ、解釈されるかをどう読んでいたかについて尋ねた。
「社会的文脈って、よくわからないんですけど、それはつまり、右か左かっていうことですか。僕は右、左という区別が、好きじゃないんですよ」
−−いや、そんなに大ざっぱな話ではない。たとえば、『ニュース23』の中で、筑紫哲也氏は「南京大虐殺を幻と主張してきた文芸春秋社が、今またナチのホロコーストまで否定する論文を自社の雑誌に発表した」と発言していました。南京大虐殺とホロコーストは、事の性質においてむろん違う。しかし、こうした粗雑なくくり方は、予想できたことです。
「文春は文春、ボクはボクという気持ちがはじめのうちからありましたから。ボクはこの記事に関してだけ、文春とつき合うのであって、他の問題について文春の論調とつき合うつもりはない。そういうスタンスでいいと思ってたんですけれどね。たとえばもし誰かが南京のことを聞いたら『ボクは幻だと思ってません』というつもりでしたよ。規模の大小は別として、南京で虐殺があったのは事実でしょう。そう言うと文春はいやな顔をするだろうけど、文春に義理立てするつもりはありませんから。だってこの二つは別の事件だもの」
話を聞きながら不思議な気分にとらわれた。西岡氏は記事の中で、乱暴に要約すれば (1)ホロコースト=ガス室と一般に理解されている。 (2)しかしガス室はなかった。 (3)したがってホロコーストもあったとはいえない−−という強引な三段論法を展開している。ホロコーストという言葉は大虐殺、より正確に定義すれば平時と戦時とを問わずなんら法的根拠をもたない殺戮、という意味だ。西岡氏が言う通り、その罪の重さは規模の大小にも、そして用いた手段にも関係ない。もともとはナチスは、ユダヤ人を次々と拘束し、何百人、何千人という単位で銃殺していた。しかし、そのうち、銃殺する当のドイツ将兵がストレスに耐えられないという実に「人道的な理由」で、「負担」のかからないガス室を考案したのである。極論を述べるならば、ガスか銃弾かは問題ではない。「定説」の600万人という犠牲者数が仮に10分の1の60万人−−阪神大震災の死者の約100倍−−だったとしても、その罪は決して軽減されない。だが、西岡氏はそれを「ナチスによる迫害」という微温的表現にとどめ、しかもホロコーストがなかったと主張するその文章を「露と消えたユダヤ人の霊前に捧げたい」としめくくっている。これを無神経、という言葉以外にどう表現していいのか、私は知らない。
「ボクはたまたま今回書く側に回ったけれども、あくまで読者の一人という気持ちが非常にある。今でももちろんそのつもりでいるから、その意味で、読者というのはそんなに愚かなものではないという気持ちがあるんですよね。行間を読んでくれるだろう、そういう期待が今でもある」
−−西岡さんの書いたものを読んで支持する人は、愚かじゃないとおっしゃりたいのですか。
「というか、これを読んで、反ユダヤの方向に日本人が走るとか、そうは思ってないんですよ。そういう意味ではボクは読者を信じてる」
日本人が反ユダヤ主義者になるはずはない。なれるはずもない。そもそも日本人には、ユダヤ人憎悪に走る文化的な「基礎資源」がない。キリスト教社会におけるユダヤ人憎悪は、二千年来の宗教的葛藤に根ざしているのであり、そうした伝統を欠く日本で、反ユダヤ主義の台頭を懸念するのは杞憂である。加えて言えば、ユダヤ人に関心のある日本人−−いわゆる「ユダヤ本」の熱心な読者にとって、ユダヤなるものは実在の民族ではなく、ロマンティックな想像をかき立てられるおとぎ話の住人にすぎないのである。そういう意味では、ユダヤは「論争オタク」にとっては、ファンタジックでしかも当事者性がなくリスクもない、格好のテーマである。もちろん、オタクの娯楽として許容されうる範囲は自ずとある。「日ユ同祖論」のような、「超古代史」ならば、無邪気な罪のない話として許されもする。しかし、ホロコーストとなれば別である。
「ホロコーストは、あらゆる司法・学問上の検証を経て確認された歴史的事実。これを否定するのはよほど無知かバカか、政治的な意図のためにあえてしているとしか思えない」
と、「南ドイツ新聞」日本特派員のゲップハルト・ヒルシャー氏は『AERA』誌上で語っている。まったくその通りだと、私も思う。しかし、彼はホロコースト否定論者の種類として、もうひとつのタイプ、ただ単なる"趣味"として謎解き論争ごっこを愉しむ種類の人間を挙げ忘れている。無理はない。おそらく彼には想像もつかなかったのだろう。ホロコーストの犠牲者にとってはある意味でこれは、ネオナチのプロパガンダ以上に、堪えがたい侮蔑である。痛ましい惨劇の記憶をオモチャにされているのだから。加害の罪に苦しむまともなドイツ人や恐怖と屈辱の記憶に耐え続けているユダヤ人なら、「それは人間か!?」と訊き返すだろう。そう、それも「人間」である。
夜も更けた。そろそろ失礼しなくてはなるまい。私は長時間の取材に応じてくれた西岡氏に礼を言い、あわせて議論を吹っかけるようなかたちになった非礼を詫びた。「いや、とんでもない」と彼は応じた。
「むしろ、こういうお話をしたかったぐらいなんです。今まで来た記者の方は芸能ニュース的に『花田さんとは会ってるんですか』とか、そんな話ばっかり訊くのでがっかりさせられてきたんですよ。むしろボクはこういう議論の方が好きなんで、大変嬉しかったです」
最後に私たちは握手をして別れた。どこまでも西岡氏は「いいひと」だった。積極的に善をなしているという意味ではなく、悪意を欠いているという意味での「善人」。そしてたぶんこうした無邪気な「善人」を、多くの日本人は決して嫌いはしないだろう。西岡氏の無邪気さは、決して彼特有のものではない。そうなのだ。罪の自覚を欠いたその無邪気さは、至るところに、そして私たち自身の中にも間違いなくある。