2015年01月08日

パリの銃撃事件(まだ容疑者は捕まっていない。まだ死者が出ている)







何とも、言葉にならない。




上記「まとめ」にいろいろ書き留めてある。

言葉にならないことは、まだある。









Je suis Charlieに便乗して、EDL創設者のトミー・ロビンソンがどんなことをしているかもここに書こうと思っていたのだが、それは別次元でひどいことなので、記事を分けることにする。

卑劣な暴力で殺された人びとを、これ以上、他者に利用させることはないと思うので。

同じ犯人によって、人はまだ殺されている。(この警官銃撃は発生当初は「CHとは別」と言われていたのだけど、結局は関連していたらしい。ボストン・マラソン爆弾事件と似たような感じで、人びとはモニターなりスマフォなりに張り付いている。)


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war
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記事を読んでくださってありがとうございます。
個別のご挨拶は控えさせていただいておりますが、
おひとりおひとりに感謝申し上げます。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む

EXPOSING WAR CRIMES IS NOT A CRIME!


詳細はてなダイアリでも少し。