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編集長の視点|松永 和紀

どんなコラム?
職業は科学ライターだけど、毎日お買い物をし、家族の食事を作る生活者、消費者でもあります。多角的な視点で食の課題に迫ります
プロフィール
京都大学大学院農学研究科修士課程修了後、新聞記者勤務10年を経て2000年からフリーランスの科学ライターとして活動

無添加パンってなんだ?・・・朝日新聞の妙な記事

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2015年1月9日

 朝日新聞に妙な記事が出ました。無添加にこだわり19年 杉並のパン屋が閉店という見出しです。
 
 自家製酵母が自慢のパン店が閉店。添加物を入れたパンで湿疹ができた経験を経て、無添加パンのベーカリーコンサルタントに。国内外に400店近くを開き、さらに19年前に東京・杉並に自分の店をオープン。福島原発事故後は、「原材料の安全性が保てない」と休業し、再開後は原材料の放射性物質の検査をしていたという。店を閉めた後は体調を整え、コンサルタント業を再開する——というのが記事のおおまかな中身です。
 
 変だなあ、と思うことは二つあります。まずは、このお店の主が「ノン・ベクレル」を追求していることを公言し、twitterで「福島の子供たちの甲状腺癌のみならず奇形の子供が生まれたり、大人でも心筋梗塞などによる突然死が増えていることは皆さんご承知の通りです」などと発言したり、事実でない情報を流していることについては、記者がまったく考慮していないように見えること。しかし、この点についてはtwitterでも他の方々がずいぶんと批判をしているようですから、今回は深堀りしないでおくことにしましょう。

 私がなにより気になるのは「無添加パン」という言葉です。朝日新聞を読んでも定義が明確でなく、何を指すのかがよくわかりません。このお店のウェブサイトを見ると、無添加パンの定義がありました。引用します。

無添加パンとは:以下の条件を満たした体に優しいパンのこと。
具体的には、
1: 化学合成による物質は使わない。
2: イーストフード(発酵促進剤)、乳化剤(グリセリン、脂肪酸エステル)、防腐剤、着色料を使わない。
3: 発酵大豆という名の酵素剤、植物タンパク質という名のバイタルグルテンを使わない。

 ウェブサイトでは、「無添加パンは従来のパンより老化が早いので、お早めにお召し上がり下さい」「『無添加パン』のため、保存料が入っておりません。できるだけお早めにお召し上がり頂きますようお願いいたします」などと説明されています。
 それに、ビール酵母を使っているというのも重要なようです。『パン焼きの要となる「酵母」を厳選材料から自分で培養することに注目し、長年ビール酵母の研究を重ね、栄養豊富なビール酵母「デッセム」を開発しました』と書かれています。

 個人攻撃をするつもりは毛頭ないのですが、ウェブサイトに書かれていることは相当にヘンで、科学的ではありません。
 まず、化学合成された物質が体に悪い、という根拠はまったくありません。挙げられているイーストフード、乳化剤(グリセリン、脂肪酸エステル)、着色料は、食品添加物として安全性を評価され問題ない、とされたうえで用いられています。

 そもそも、イーストフードというのは、イースト、つまり酵母の栄養源となるもので、塩化アンモニウムや硫酸カルシウム、リン酸三カルシウムなどに小麦粉やでんぷんなどをミックスしてあります。これを小麦粉に混ぜると、酵母が粉と共に栄養源にして活発に増殖し、炭酸ガスを作りパン種が膨らみます。(パン食普及協会のパンのはなし参考)。

 イーストフードに含まれているのは、自然の食品中にもある物質と同じで、それらを多めに酵母に与えてやろう、というだけの話です。
 グリセリンや脂肪酸エステルも、天然自然の食品にも同じものが含まれています。グリセリンは乳化剤としては使われないので、このお店のウェブサイトの情報は誤記で、グリセリン脂肪酸エステルを使わない、という意味かもとも思います。グリセリンに脂肪酸がエステル結合した物質ですが、これも普通の食品中に存在します。
 また、パンに着色料を使う機会は、どのパン屋さんにおいてもほとんどないでしょう。

 防腐剤というのは、食品添加物の範疇には存在しないので、保存料や殺菌料、防かび剤などのことを指しているのだろう、と推測します。殺菌料、防かび剤をパンに使うのは禁止されていますし、上手に使う方法もなく、どのパン屋さんでも間違いなく使われていません。保存料も、パンに使えるのはプロピオン酸カルシウムなど限られています。山崎製パンは「風味等への影響もあり保存料は使っていない」とウェブサイトに明記しています。(山崎製パンのパンのカビ発生メカニズムと保存試験の結果について参照)

 保存料などの添加物を使っても、空気中には大量のカビの胞子が普通に舞っていますので、それが付いてパンの栄養や水分を取り込めばあっという間に増殖します。この勢いにはなかなか勝てない。そのため、添加物でパンの日持ちを良くしよう、などというのは、効率のよい話ではないのです。
 大手なパン企業の場合には、工場内の衛生管理に注意し、微生物の数を極力抑えて、焼いてすぐに冷まして微生物が付かないうちに包装してしまう、というのが主流です。

 「山崎製パンは保存料を使っているからカビが生えない」などというデマを飛ばす人がいますが、そうではないことは、長村洋一先生のコラムでも紹介されています。もしこのお店のパンが日持ちしないのなら、まずはこのお店の微生物管理、衛生管理が悪いのでは、と疑うのが、業界常識なのです。

 ちなみに、山崎製パンでよくやり玉に挙げられるのは臭素酸カリウムで、これを保存料と勘違いしている人が多く、添加物批判の書籍でもそう書かれ、インターネット上にも大量の情報がありますが、完全な間違いです。臭素酸カリウムは、パンの膨らみや触感を良くするために使われる食品添加物。しかも、山崎製パンはもう、この添加物を使用していません。

 発酵大豆という名の酵素剤、植物タンパク質という名のバイタルグルテンは使わない、というのも、判断が難しい。発酵というのはそもそも、微生物が増殖し酵素を大量に作り出し物質を変化させることで成り立ちます。市販の酵素剤も、微生物に酵素を作らせているのですが、それもダメ? グルテンは、小麦に多いタンパク質でパンを膨らませるのに重要。米粉パンを作る時によく原材料として用いられます。これもダメ?
 たぶん、業者が作るこの手の製品は信用できない、ということなのでしょうが、パンの原材料が数多くある中でどうしてこの二つだけを禁じているのか、私には理由が見えません。

 もう一つ、ビール酵母だからよい、と盛んに宣伝しているようですが、これも問題です。よく「天然酵母だから安全。イーストは悪い」と主張する業者や消費者がいるのですが、生イーストもドライイーストも天然酵母です。ビール酵母とかレーズンからとった酵母などとの違いは、パン製造に適した酵母を選び出した後に、工場で増殖させて使いやすいように製品化し、酵母の英語名である「イースト」という名称で売っている、という事実だけです。
 イーストは悪く天然酵母であればいい、というイメージの誤解については、日本パン技術研究所が報告書をまとめています。

 添加物や特定の原材料は使わず、ビール酵母を用いていることが事実であるのなら、そのこだわりを客に伝え店の特徴、自分が作るパンの良さをアピールするのは悪くないでしょう。しかし、根拠もないのに「体に優しい」をうたうのは止めてほしい、と私自身は考えます。
 「添加物が悪いという思い込みを利用して、競争関係にある業者の製品よりも著しくいい、という優良誤認を招いている景表法違反だ」という見方もあります。今後、コンサルタントとして活動を開始されたあかつきには、法令遵守を顧客に指導していただきたいものです。(消費者庁の優良誤認についての説明
 
 それにしても、どうしてこのような一事業者を、朝日新聞が取り上げて、ビジネスの片棒を担いでしまうのか? 朝日新聞に無添加がいい、という思い込みがあるのか? 取材して、無添加の定義がなにで、その根拠はどうなのか、と記者は疑問に思わなかったのでしょうか。本当に不思議です。

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