戦後70年を迎えた今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。
第3回は、佐々木正・シャープ元副社長の「遺言」です。佐々木氏は戦時中、B29爆撃機を撃墜するためにレーダー技術をドイツで学び、潜水艦「Uボート」で帰国。終戦間際には、「殺人光線」の研究にも動員されました。戦後は半導体産業の離陸を牽引し、世界初のトランジスタ電卓を開発。液晶や太陽電池など、電子立国として日本が発展する基礎作りに貢献しました。
今年100歳になる佐々木氏は、今も手帳に様々なアイデアを書き留め続けるほど、イノベーションへの熱意は絶えません。その「電子立国の父」が未来に託す「遺言」とは。
この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画です。本誌特集では、戦後リーダー34人にご登場いただきました。
次週以降は水曜日と金曜日に掲載していく予定です。
もう、これが最後と思って、遺言として皆様に伝えておきたいことをお話しします。
ノモンハン事件が起きた後の頃だったでしょうか。戦争で私は、陸軍の航空技術研究所に動員されました。当時、川西機械製作所に勤務をしていて、軍の命令によって水陸両用の航空機を作ったりしていました。それが動員されるきっかけでした。航空技術研究所で何をしたかというと、B29爆撃機を撃墜するためのレーダーの研究をさせられました。
その技術を学んだのはドイツでした。あの頃、ドイツは連合国からの空襲に備えて、爆撃機を撃墜するために使うレーダー技術を開発していました。なぜ、ドイツには開発できて、日本にはできないのか。ドイツとは日独伊三国同盟の関係があったので、ドイツから技術を実際に見に来いと言われて、私はドイツに技術を習得しに行くことになりました。ソ連はまだ連合軍の仲間入りをしていませんでしたから、その隙にシベリア鉄道でドイツに渡ったんです。
戦時中、シベリア鉄道でドイツに渡る
私は真空管の専門家でしたから、まずは同じ分野の権威だった(ハインリッヒ・)バルクハウゼン先生に会いに行きました。バルクハウゼン先生は、バルクハウゼン・クンツ振動というものを使って、地中通信の研究をしていました。その先生に、「なぜ、ドイツはあまり爆撃を受けないのか」と訪ねたら、爆撃機を落とすためのレーダーの研究をやっている大学を紹介してくれましてね。
連合軍の爆撃機は、地上のレーダーに探知されること避けるために、飛行中に金属箔をぱーっと撒いてレーダーを錯乱させていました。いわゆる、ホワイトノイズです。ご存知ですか。金属箔と爆撃機の機体を区別できないように、レーダーに映し出される画面を真っ白にしてしまう。ドイツは、こうした金属箔によって錯乱されることなく爆撃機を探知するレーダー技術を発見していたのです。
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