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群馬の森「朝鮮人追悼碑訴訟」政治的発言繰り返した“約束違反の表現の自由”

産経新聞 1月3日(土)9時27分配信

 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」の朝鮮人追悼碑をめぐり、県が下した設置更新不許可決定の取り消しなどを求め、碑の設置者「追悼碑を守る会」が前橋地裁に起こした裁判は、第1回口頭弁論が来年2月4日に行われることが決まった。県は碑の前で行われてきた守る会の集会で、政治的発言が繰り返されたことから不許可としたが、守る会は「表現の自由がある」などとして反論している。守る会の主張は果たして受け入れられるのか。口頭弁論を前に、麗澤大学の八木秀次教授(憲法学)の見解を交えながら検証した。

 ■裁判の争点は…

 この問題を検証する上で重要になってくるのが、平成16年に碑が設置された際に、県と守る会が交わした一つの約束(設置条件)だ。それは、「政治的、宗教的行事および管理を行わない」。設置する碑に政治色、宗教色が出てしまうと、県立公園という中立的な場にはふさわしくないという考えからだ。

 守る会は碑を設置した16年から24年まで毎年碑の前で追悼集会を開催していた。その中で政治的な発言があったとして、県は設置更新を不許可とした。県がこれまで確認した同会関係者の発言は、「碑文に謝罪の言葉がない。今後も活動を続けていこう」▽「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」▽「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは大事。アジアに侵略した日本が今もアジアで孤立している。このような運動を群馬の森からはじめていく」−などがある。

 裁判では、守る会が「政治的、宗教的行事および管理を行わない」という設置許可条件にどの程度違反し、集会での発言にどの程度悪質性があったか▽発言は守る会が主張するように「表現の自由」として認められるのか否か▽追悼碑が本当に県立公園にあるべき施設なのか−などが争点になりそうだ。

 ■表現の自由は無限か

 そもそも憲法21条で保障されている「表現の自由」は、どんな状況下でも適用されるものなのだろうか。八木教授は「表現する場所によっては制約を受けることがある」と指摘し、「たとえば、駅構内で政治的なビラを配ることについて、『公共の福祉』という考えで制限もできる。表現の自由は絶対無制限に保証されたものではない」と話す。

 それは、不特定多数が利用する県立公園にも当てはまるだろう。政治色のある碑の存在が表面化したことで、「憩いの場にあるべき施設ではない」と考えることは、公共の福祉の観点から自然な流れともいえる。

 八木教授は、守る会の集会について、「自分の家でやれば誰も文句は言えない。県の施設でやるから問題なのだ」と指摘する。

 ■人の家に許可無く物を置けますか?

 また、この追悼碑問題を考えるうえで、八木教授は話を「単純化」することで分かりやすくなると語る。たとえば、こんな具合だ。

 人の家に条件付きで何か物を置かせてもらう。あるとき、その条件に申請者が長年違反していたことが発覚し、どかすように言われる。その際に「これまで言ってこなかったのに、急に注意されてもどかせない」と主張する−。

 八木教授は今回の追悼碑問題と本質は同じとし、「守る会の集会をきちんと見ていなかった県の姿勢にも問題があるとはいえるが、過去を調べてみたら繰り返しそういう行為(約束違反)をしているということであれば、悪質とみなして『碑を撤去』という決定を下すのは理屈が通っている」と強調する。

 守る会側はこれまで、集会で政治的発言があった可能性を認めつつ、「行政指導にとどめるべきだ。いきなり“死刑判決(撤去要請)”はない」などと主張している。これに対し八木教授は「『政治的、宗教的な行事および管理を行わない』という設置許可条件がありながら、繰り返し守っていないわけだから、確信犯だ」などと述べ、悪質性の高さから県の判断は適当との考えを示した。

 ■10年前の設置許可は正しかったのか

 問題となっている追悼碑には「かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する」などと記されている。「追悼碑」にもかかわらず、「追悼」よりも「日本の反省」に重きを置いているようにも見える。

 守る会は当初、大戦下の朝鮮人徴用を「強制連行」と捉える趣旨の文言も碑文に加えようとしていた。これには、さすがに県も待ったをかけ、最終的には「村山談話」の範囲内に収めることでまとまった。

 こうした設置の経緯に対し、八木教授は「(10年前に)県が碑の設置を許可したことにどんな意味があったのか」と疑問を投げかける。大戦下の朝鮮人徴用に関しては、歴史の事実関係や解釈をめぐって、さまざまな意見がある。「(碑の内容は)デリケートな問題、立場がはっきり分かれる。『多大な損害と苦痛を与えた』などの表現は村山談話の趣旨に沿っているということだが、こうした文言は集会になると、『強制連行』を意味することになる。県が最初に設置を認めたところに問題がある」と、当時の県の対応にも苦言を呈した。



 《碑の全文》「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。

 21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである」

 ※追悼碑の正面に「記憶 反省 そして友好」の碑名を日本語、ハングル、英語で表記。裏面に「追悼碑建立にあたって」と題し、上記の碑文や日付、「朝鮮」とは現在の韓国、北朝鮮を指しているという説明などが日本語とハングルで記されている。

最終更新:1月3日(土)11時22分

産経新聞

 

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