しっきーのブログ

今年の目標はゲームをつくることです!

作品を売ることができなくなった時代



 多くの人が何かを作りたいと思っている。仕事にしたいとは考えなくても、なんらかの創作活動に関わりたいと思う人は多いだろう。しかし、作品を「売って」生活していくことは、だんだん難しくなってきている。


 まず、ストックとしてのコンテンツが増えた。今までの本、マンガ、アニメ、ゲーム。過去の優れた名作は本当に多い。人の可処分所得や作品を消費する意欲は時代を経てもそれほど変わらない。一方で、僕たちは必ずしも最近の作品を楽しまなければいけないわけではない。過去の作品に手を伸ばしてもいいわけで、すでに、この世には人間の一生ではとても消費しきれないほどのコンテンツがある。


 過去の作品は、安いか、または無料だ。青空文庫やProject Gutenbergなどのサイトでは過去の名作が無料で読め、それだけでもほとんど一生分のコンテンツがある。現在売りだされているあらゆる作品は、常に過去の偉大な名作たちとの競争を強いられる



無料が前提になってくる

 基本料金無料というコンテンツが主流になってきている。多くのコンテンツが溢れる中、無料で見れる、遊べるというのは、「武器」というよりも「必要条件」だ


 多くの娯楽作品は情報財で、物理的な財のようになんらかの機能や効果がその価値を保証してくれるわけではない。実際に見たり遊んだりしてみないと、その良し悪しがわからないし、その評価も人によって違う。

 そのため、面白いかどうかわからない作品を有料で買うというのは、ものすごくハードルが高くなる。無料の作品の場合はとりあえず見てみればいいのだけれど、有料の作品の場合、つまらないものに金を払ったと損した気持ちになるリスクを抱えている。もともと娯楽目的が多い情報財とそのリスクが組み合わせれば、ますます有料からは足が遠のく。


 一つ例を出すと、WiiUやPS4などのコンシューマーゲーム産業は低迷している。けっこうな値段のするゲームソフトは、今作られているのはほとんどシリーズもので、まったくの新作を作るのは非常に難しい。


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 ある程度の内容と面白さが保証されていて、買ってくれるファンが見込めるシリーズものじゃないと、製作コストの高いゲームソフトはなかなか作れない。



デジタル財は複製コストが0

 デジタル財はアナログ財と違って、いくら複製しても費用がかからない。

 例えば、あるアニメ作品を、有料で買うことはないけど無料なら見るという層がたくさんいて、作り手からすれば、そういう層には見せても見せなくても減るものはないんだから無料で公開したほうがいい。ひっとしたらその中から作品を気に入ってグッズやDVDを買ってくれるファンが出てくるかもしれない、という判断も成り立つ。

 違法視聴の問題に関しては様々な議論がある。ただ、現実的に考えて違法視聴は禁止できないし、仮にできたとしてもそんなことに大きなコストを払うメリットはあまりない。



 クリス・アンダーソンは、無料で視聴できるコンテンツが増えることによって、情報財は基本的には無料のもの、という意識が人々の間にできると言う。例えば中国などの文化圏では、データのコピーが悪いことだという意識があまりない。

 これは中国が遅れているというわけではなく、そもそも著作権というのがけっこういびつな概念で、中国人が漢字の著作権などを主張しだすと僕たちが困る。

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略

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フリーミアムモデル

 作品をつくり、それを有料で売ることが難しくなる中、無料を前提にした上で、追加の要素で利益を出す収益モデル(フリーミアム)が流行している。近年成功しているコンテンツ産業は、すぐれたフリーミアムモデルであることが多い。


 フリーミアムに関してよく言われるのが、フリーライダーの問題。みんなが無料でコンテンツを利用するなかで、誰かが金を出すことになり、金を払う人と払わないでいい人が出てくるのは不公平だという話だ。ウィキペディアができた当初は、記事を書く人だけが一方的に苦労して、読む人はただそれを享受するだけだから、そんなフリーライダーが発生する仕組みは流行するわけがないと言われていた。しかし、実際は、無料で記事を読む人が大勢いるということが、記事を書く人のモチベーションにもなっていた。

 優れたフリーミアムモデルは、フリーライダーがいるからこそ、きちんとお金を出す人、コンテンツのために苦労する人が得をするという仕組みになっている


 例えばソーシャルゲームの場合、無課金のユーザーが大勢いるからこそ、課金した人が相対的に有利になったり優越感を味わえる。アイドルグループのAKBは、PVや曲自体はテレビやネットで無料で見たり聴いたりできるが、それによって知名度を上げた女の子に直接会ったり応援したりできることはお金を捧げる人をも幸せにする。


 現代において数少ない成功産業はソシャゲやAKBであり、それらは無料を前提にした優れたフリーミアムモデルを確立できたからこそ、ここまで流行していると言える。

 ユーチューバーだって動画は無料で広告費で稼いでるわけだからね。今は急に広告料が減らされててんやわんやしてるみたいだけど。


Youtuberの収益が激減!?理由はテレビCMのせい!? - YouTube



今までのように作品を売ることは難しい。

 作品を売るというモデルに拘り続け、今でもそれなりにやれている産業もある。それはハリウッドで、今までのストックにも勝る最先端の作品を生み出すことで、コンテンツがフリーになった時代、劇場に足を運ばせることで作品を売ることに成功している。ただそれは、莫大な投資と超一流の才能を集める徹底的なプロフェッショナル主義だからこそできることだ。



 そこそこの作品をそこそこの値段で売ることが難しくなった。若者の代表的な娯楽が読書だった時代は、岩波を一冊出せば家が建つと言われていたらしい。今は芥川賞を獲ったところでワープアだろう。

 昔は、情報を発信、流通させる手段が限られていた。ある程度のものを作って生活していける時代は幸せだったのだろう。

 イラストにしてもゲームにしてもツールやノウハウが充実していて、過去よりも格段に作品を作りやすくなったが、その時代と同じものを作って生活していけるわけではない。



 インターネットの普及によって、誰もが大勢に向けて作品を発表できるようになった。一方で、プロフェッショナルという限られた枠はかなり狭くなり、それでもクリエイティブ産業に関わろうとする人達の待遇は過酷になる。

 多くの時間を創作活動に注ぎ込めるのは、ニートか学生か貴族くらいになった。あるいはパトロンを作るか。

 それでも、細切れの時間を使って何かを創作しようとする人は多い。プロとして自分の作品に時間を注ぎ込める人の数が減れば文化は衰退するのか。それとも、プロ、アマ問わず大勢が金にならない作品を作ったり消費したりしているという事態は、かつてより好ましいものなのか。それはわからない。



 どちらにしろ、コンテンツ業界でやっていくことを考えるなら、直接作品を売るよりも、無料を前提としたフリーミアムな収益モデルが主流になりつつあるということは頭に入れておいたほうがいいだろう。




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