このブログについては,どういう方がお読みになっておられるのか,筆者には知るすべもないが,娯楽性に乏しい長文を読んでくださるのだから,皇室問題に関心をお持ちの方々でおられるのだろう。
延々と皇室の事ばかりを書き連ねているが,筆者自身は,飽くまでも一般人のつもりであるし,また,一般人である人々こそが,皇室についてもっと考えるべきであり,そのような一般人の皇室論こそが,意義深いものなのではないかと感じている。
皇室という御存在について考えると,筆者自身,日本という共同体の一員でありながら,そのことに,如何に無自覚であったかということを実感させられる。
また,この社会というものが,実に多様な立場で成り立っていること,そして,多様な立場の存在があればこそ,人間存在にとって社会は豊かなものとなるのであり,お互いの立場ということを尊重することの大切さを,自覚させられる。
筆者について,かつて尊皇派と持ち上げた人もいたが,筆者自身は,自らを尊皇派と称したことはないつもりである。
筆者自身としては,皇室尊重派と自称してきた。
これは,自分自身のアイデンティティを皇室という御存在に依存しきることなく,かつ,皇室という御存在に対し共感するというスタンスを示しているわけである。
さて,一方,皇室の側から見れば,皇室の方々が見つめておられるのは,無数の日本人ということではないだろうか。
そのことに思いを致せば,皇室論とは,皇室を論ずることを生業とする専門家の専有物ではないのであって,無数の日本人の一人として考える皇室論こそが,重要なのだと言い得るであろう。
前回,皇室典範に関する有識者会議への批判に対する批判という記事を書いたが,これから先,日本人の皇室観,その根本にある国家観,歴史観というものが,ますます問われることになろう。
これから先,日本は,サバイバルの時代を迎えることになるであろう。
戦後というのが,非常に特殊な状況であり,今のままでこれからも続いていくという幻想は,もう崩れかかっているのである。
であるから,この際,多くの日本人が国家観,歴史観について自覚的になることは,非常に意義のあることだと思う。
筆者としても,正直なところ,まだ手探りであり,まだまだ変転があろうかと思われ,読者におかれては甚だ迷惑なことであるとも思うが,おつきあい頂けると有り難い。