ブロガー

裏原宿系ブランドが流行した時代を振り返る

2000年前後のファッションの話

今回は、昔の話を。

いまストリート系ファッションが流行していますが、30代の人からするとアレを思い出すと思うんですね。
そう、「裏原系」の大ブーム!...あの時のファッションを!

裏原系が流行っていた時期をわかりやすく2000年と考えても、もう約15年も経過しているわけで。
いま大学生の人は、まだ年齢1桁だったという...。

今日は裏原宿系が流行した頃の話を。
若い人には昔話、同世代の人には懐かしい!!と思って貰えれば...。

関連記事:往年の裏原系ブランドで代表スタメン組んでみた

入荷日に行列ができるのが当たり前

裏原宿系ブランドといえば、まず「行列」を思い出します。

人気ブランドは、商品の入荷日に行列ができるのが恒例行事。
特に限定アイテムだったり人気アイテムの発売日には、開店前からかなりの人!
純粋に欲しい人、転売目的の人、どちらが多かったのかは微妙なところですが...。

人気ブランドなら転売すれば、何であろうが最低1.5倍以上の値段で売れました。
転売目的でヤ○ザや業者がホームレスまで使って並ばせ買わせ、店側とトラブルになったり(私はナンバー○インとB×○でホームレスらしき人が並んでいるのを見たことがあります。)

ブームのピーク時、人気ブランドは店に行っても、ほとんど商品がない状態。
冗談かよ?と思うくらいに店の中が空っぽで、ちょろっと超高いものや仕入れ商品がある、みたいな。
商品無いなら開店すんなよ!と思うくらい、店には何にもない状態が続いたことも。

特に人気があったと感じるのは、やはりエイプ、ナンバーナインでしょうか...。
アンダーカバーも人気は高かったのですが、デザイナーズ色を強めレディースに力を入れていったため、裏原宿系ブーム最盛期にはすでに王道ストリート系ではなくなっていた感があります。 だから裏原宿系ブランドと括られるけど客層は微妙に違っていた印象。

urahara20150106_a.jpg偽物と転売の時代

偽物と転売が溢れた時代でした。

裏原宿系といえば、プリントTシャツがメインアイテムのひとつ。
...非常に偽物が作りやすいので、特に象徴的なアイコンのあるエイプやアンダーカバーなどのロゴTシャツは偽物が多く流通していました。

バッグも偽物が作られて、作りやすいBAPY(APEのレディース)のプリントロゴトートや、ヘッドポーターも偽物地獄でした。

上で触れたように、転売もとても多かったです。
当時、まだ利用料が無料で偽物や詐欺を取り締まるルールも無かったヤフオクは、偽物と転売だらけ! 中でも、やはりエイプのTシャツの偽物流通量が多かったイメージです。

urahara20150106_b.jpg

店員の態度が基本的に悪い

裏原宿系ブランドといえば、「店員の態度が悪い」ことも忘れてはならない!

もちろん店と個人により差がありますが、基本的には今なら炎上レベルの態度の悪さの店も少なくなかった。

裏原宿系ブランド界隈に仲間内のノリの延長みたいな部分があって、店員ってそのブランドの誰かの友達...ってパターンも多かったと思う。

店に客が入ってきても、「いらっしゃいませ」も言わない。無視か!
名札も付けておらず、客がたくさんいると誰が店員だかわからないことも、あるある。
レジに座って肘付きながらガムクチャでパソコンしてるみたいな状態はザラ、ただし友達が店に来た時だけ「ウィース」とか声だして外にタバコ吸いつつダベりに行くみたいな。

...ひどい話ですが、珍しくなかったと思う。

某ブランドが、ブーム全盛期に態度が上記の通りにクソだったのですが、大手アパレル会社に買収された後に店に行ったら「いらっしゃいませ!(笑顔」「ぜひ鏡で合わせてご覧くださいね!(笑顔」と爽やか接客してきて、何ともいえない気分になりました。

urahara20150106_c.jpg教科書は「smart」

当時、裏原宿系ブランドが好きな男子にとっては「smart」が筆頭雑誌でした。
あとはクールトランスやストリートジャック辺り。

今の「smart」って内容の方向転換を行って、エンタメ色も強くなりましたが、当時は裏原宿系(ストリート系)の割と硬派なファッション誌でした。
ちなみに裏原宿系女子の為の雑誌は「mini」 「smart」の女性版にあたる雑誌で、当時はピュアな魅力に溢れた美少女だった土屋アンナさんや、後にアンダーカバーの高橋さんと結婚してしまう森下璃子さんがモデルとして登場していました...。

ちなみにこの頃、品川庄司が裏原宿系オシャレ芸人筆頭でした。 特に庄司さん、よく一人で表紙を飾っていました(ほんとだよ

urahara20150106_d.jpg切り離せない、バンドブーム

裏原宿系を語るのに外せないのかなと思うのが、バンドブーム。

ハイスタンダードとかBRAHMANとかハスキングビーとか、「メロコア」というのか。
観客がオイオイ言って、ダイブとかモッシュするライブするバンドというか。
ハイスタが主催する「AIR JAM」というフェスに出演するアーティスト、という括りでもいいのかなあとか。

こんな感じの音楽が、ファッションの裏原宿系ブームと同時期に、若い男性を中心に非常に流行しました。
こういう音楽が好きな人って、裏原宿系ファッション率が非常に高かった。
音楽が先かファッションが先かはわからないけど、とにかく密接な関係だったように思います。
実際にブランドにバンドの人が関わるケースや、着用するパターンも多かったです。

ZOZOTOWNの運営会社の社長も、この辺の人。
元々は会社名であるスタートトゥディの名前で、人脈を使い裏原宿系ブランドの通販を始めたのが最初だと思います。
当時はブランドの通販なんて本当に珍しかったので、凄く驚きました。

...話は戻って。
そういったバンドのTシャツを着ることも「オシャレ」な風潮があった気がします。 バンドTシャツ+パタゴニアのショーツ+アウトドアブランドのシャカシャカブルゾンみたいな着方は男女共に王道パターンでした。

5473377.jpg【余談】裏原系のブームと、当時の私

裏原宿系のブームって、いつからいつまでを指すか難しいんですが...。
私の中ではブームのピークって、1998年~2001年位の印象です。
私が中高生の頃にブームが到来したイメージなんですよね...。
(この後、エディスリマンによるディオールオム旋風がくるぞー!!)

細かく分けると裏原宿系の後に「恵比寿系」なんてものがあって。
でも、ブランドの出店する土地が変わっただけで洋服自体は大して変わんないから、もう同じ裏原系の括りでいいじゃんって思ってる。
だから、私の認識の中に恵比寿系も混ざってるかも。

当時の彼氏が上に挙げたような音楽もファッションも大好きだったため、店にはしょっちゅう行きました。
よく行ったのが、リボルバーやガルニ、ネイバーフッド辺り。
私自身は裏原系といわれるブランドは、アンダーカバー以外あまり興味なかったです。
SILASは割と好きだった記憶があります。

1万円のプリントTシャツ(ペラペラ)って冷静に考えるとクソ高いけど、でも1万円って学生にもなんとかなる金額で。
1万円で憧れのブランドが着れる!ってことで、学生も頑張って買ってましたよね。
ただブームのピーク時は行列しないとTシャツも買えなくて、だから私の周りはバンドTシャツ着ている男の子が多かったです。

4529455100180.jpg裏原宿系ブランド、バンドブームが去ったあと。
日本の至るところで「息子が放置してて勿体無いから着てる」現象が起こります。「PIZZA OF DEATH」のロゴパーカーやTシャツを着るオカンが続出!(ハイスタンダードのレーベルの名前です)
その画は非常にシュールでした...。

私にも近いことがあって。

私の中で裏原系ブームが終焉を迎えると同時期に実家を離れたわけですが。
長期の休みに実家に帰ったら、当時高校生の弟(ファッション興味無し)が、私が実家に放置していったリボルバーのトートバッグを持って通学していました。
「プリントがかわいい」という理由で姉の置いていったブラフマンのTシャツを着るなど、意図せず遅れてきた裏原系ボーイ風になっていて、姉としては非常に驚きました!

...という、裏原系にまつわるエトセトラでした。

あの頃って、ブランドに固執していた感があります。
当時がっつり裏原系に染まってた男性は、もう結婚して父親になっている人も多いと思いますが、今は皆さん何を着て何を聴いているのでしょう。
...元彼に聞けって?お断りします!

だらだらと書きましたが、楽しんで頂ければ幸いです!