人口減少社会が加速しています。2014年に国内で生まれた子どもは、前年より約3万人少ない100万人あまりとなる見込みであることが、厚生労働省による「人口動態統計」の年間推測で年末、明らかになりました。死亡数は戦後最多の約127万人とみられることから、人口の自然減は最多記録を更新して26万8千人となります。推計値ながら、これは目黒区や豊島区の規模に匹敵します。(朝日新聞デジタル)
2009年に始まった人口の減少は、7万、12万、20万、21万、24万と毎年減り続け、14年の26万人を合わせると112万人を超えます。6年間で世田谷区(88万人)を大幅に上回る人口が減ったことになります。年々加速する人口減少社会は、本格的な入口をくぐったというのが実感です。
人口問題は長年の社会政策と社会構造の反映です。少子化傾向をゆるやかにとどめてきた1970年代前半生まれの「団塊ジュニア世代」(年間出生数200万人台)が40代に入り、出産年齢にある女性も次第に減っていきます。これまでと同様の政策が続いていけば、間違いなく今後も出生数は減り続け、人口減少の勢いは加速していくでしょう。
ただし、留意すべき点があります。麻生太郎副総理兼財務大臣が年末の総選挙の街頭演説で「子どもを産まないのが問題だ」と発言した件を思い出します。問題点はこのコラムで指摘しているので、ここでは繰り返しません(『「子どもを産まないのが問題」発言の底にあるもの』)。麻生・副総理は何度か軌道修正を試みて、記者会見で次のように述べています。
<「人口減はものすごく国力に影響する大きな問題。経済的事情で産めないのは、放置できる話ではない」と改めて釈明した。「産みたくても産めない」と言うべきだったとし、「誤解を招いた点は、(説明に)時間をかけるべきだった」と述べた>(12月9日、朝日新聞デジタル)
働いても、働いても、貯蓄するにはほど遠い収入しかなく、将来に向けて給料や待遇がよくなる見通しもない。たとえ派遣切りにあわなくても「消耗品」として使い捨てられていく――。そんな不条理な扱いを受ける若者たちには、結婚や子育てはあまりに遠い世界のことでした。不安定な雇用環境の中で結婚したとしても、「経済的事情で産めない」「産みたくても産めない」という壁が冷たく立ちはだかっています。 「経済的事情で産めない」「生みたくても産めない」という社会構造こそ、政治の課題であり、政策で解決すべきテーマではないでしょうか。
さらに、解散・総選挙によって廃案となった「労働者派遣法改正案」が再び、国会に提出される見通しです。年末には、非正規社員が2千万人を突破した、というニュースも流れました。
<総務省が(12月)26日まとめた11月の労働力調査によると、非正規社員は2012万人と前年同月から48万人増えて、初めて2千万人を突破した。企業で定年後の再雇用が広がっているほか、子育てが一段落してパートに出る女性が増えているため。かつては正社員になれずに非正規になる若者が急増したが、足元ではシニアと女性が目立つ>(12月26日付日本経済新聞)
「経済的事情で子どもが産めない」「産みたくても産めない」という状況を改善するためには、まずは「経済的事情」を改善する以外に手はありません。そのためには、まず企業側が、仕事を通じて経験を積んだ若い世代が将来の生活設計ができるような待遇に改善する必要があるでしょう。
また、子育てを阻んでいるのは、「格差」だけではありません。日本に特徴的な「長時間労働」が常態化している労働現場にもメスを入れなければならないでしょう。「産みたくても産めない」理由のひとつに、女性が仕事のキャリアを失いたくないという悩みがあります。未就学児童の子どもを持つ親たちには、産休・育休の保障だけでなく、残業を制限して子ども向き合う時間を可能とする「生活労働文化」の改革が必須でしょう。
昨年、視察したオランダでは、「毎日午後6時に親子で食卓を囲むのが大多数」と聞きました。食事をしながら、親子であれこれと話をして、ともに過ごす時間が長いことは、「子どもの幸福感」と大きく関係しているようです。困った時、悲しい時、どうしたらいいかわからない時に、オランダの子どもたちが、まず相談するのは両親です。
そんな話を日本の小学生のお母さんたちとところ、「うちで一番遅く帰ってくるのは塾帰りの子どもよ」という言葉が返ってきました。一番遅く帰ってくるのは父親ではなく、10時をすぎて塾を終えた子どもが最後に食卓につくというのです。「長時間労働」は大人になって始まるのではなく、すでに子ども時代から身についているのです。
子どもから大人までの「長時間労働(勉強)」はこのままでいいのでしょうか。新しい暮らしのかたちを探りながら、今年も問い続けたいと思います。
1955年、宮城県仙台市生まれ。世田谷区長。高校進学時の内申書をめぐり、16年間の「内申書裁判」をたたかう。教育ジャーナリストを経て、1996年より2009年まで衆議院議員を3期11年(03~05年除く)務める。2011年4月より現職。『闘う区長』(集英社新書)ほか著書多数。