振袖の憶い出から、きものデビューしてみる。

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きものは、着るものなので、こう呼ばれている。
室町末期(16世紀)に、現在の きものの原型になったと云われ、
日本人の衣服のことをkimonoと呼んでいた。
和服は洋服に対して、明治以降に使われた。

私のきものライフスタイルの原点だと思っている、
振袖の袂(たもと)が長いのは?

恋心を抱く人の魂を招き寄せたいという思いで、
振る袖が次第に長くなったのが、はじまりと知った。

袂の長い振袖を着せ、帯を飾り結びにするには、着付け師も
二人一組の方が手際よく運ぶ。

1月15日であった成人の日は1月の第二月曜日に改正され、
毎年15日より早まったので、
年明けの松も取れぬうちに、振袖や袋帯に触れて
手慣らししたこともあった。

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着流し姿で次々とヒット曲を飛ばした、売れっ子の演歌歌手には、
女物の きものを着ることがプライベートであっても許されなかった。
母上に拵えて貰った、紅色の振袖は袖を通すことなく、
お母様の棺の中に納められる。

享年八十歳の母親の亡くなる前に、花嫁姿を見せることが出来たので、
きっと母は分かってくれたと語っていた。

きものを纏うということは、人の心にすっぽりと包まれることである。
それだけに、晴れ着に纏わる人の思いには、はかり知れないものが
隠されているというものだ。

二十歳の私は、当時振袖の替わりにステレオをねだったという逸話がある。
母は安物のステレオを買い与え、人並みの振袖を誂えた。
ステレオはとうの昔に無くなってしまったが、
振袖は今も手許にある。

私、妹、従姉妹たちと
五人の成人式の祝い着を経て、
箪笥の抽斗(ひきだし)に仕舞われている。
まだ、陽の目を見せることも出来る程、美しい。
きものに袖を通すことは、
日本の精神文化を感じることだと思う。
物質文明より精神文明と云われて久しいが、
きものと人の架け橋になるために
意を尽くしたい。

 

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