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<戦後の地層 覆う空気> (4)滑走路の並木

1945年1月上旬、茨城県の旧海軍北浦航空基地で撮影された渡部亨さん(右)

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◆特攻 桜花は毒の花

 脳梗塞で寝たきりとなった渡部亨(とおる)(88)=松山市=は、天井を見つめながら、昔の仲間のことを無性に思い出すようになった。妻の泰子(85)は夫がうなされているのを聞いている。「戻ってこい」「負けるものか」…。

 一九四五年四月、旧海軍鹿屋(かのや)航空基地(鹿児島県鹿屋市)から出撃した。搭乗したのは「桜花」。火薬の詰まった胴体に翼とエンジン、操縦かんがついただけの機体。高度六千メートルで親機から離れた後は、ただ落ちていく運命の人間爆弾だ。目に焼き付いたのは満開の桜。「海が黒かったから余計にね。こんなに桜ってピンクだったっけと…」

 親機の故障で海に不時着し、命拾いした。戦後は繊維会社に勤め、子にも孫にも恵まれた。幸せな「命の延長戦」だったが、あれ以来七十年間、桜と目を合わせたことはない。「戦争は毒。あれだけは食べたらいかん。桜は毒の花じゃないですかねえ」

 太平洋戦争終盤、勝ち目のない戦局で編み出された、苦肉の特攻作戦。捨て身の体当たり攻撃は、桜の散り際にたとえてたたえられた。「志願」するしか選択肢のない状況で、多くの若者の命が海へと消えた。

 串良町(現鹿屋市)の元助役、上段(うえんだん)道雄(85)は戦時中、学徒動員で鹿屋の工場に通い、桜花に火薬を詰めた。「詳細な説明はなかったが、桜花が何を意味するかは分かった。車輪もついていないわけですし」。連日空襲に見舞われる中、四五年春に桜が咲いていたかすら、覚えていない。

旧串良基地の滑走路両脇に植えられた桜について話す上段道雄さん=鹿児島県鹿屋市で

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       ◇

 高度成長期の七〇年代前半、渡部が出撃した鹿屋基地から約八キロの旧海軍串良特攻基地の滑走路沿いに二千本の桜が植えられた。

 八百人の串良出身者でつくる関西串良会が贈った。産業乏しいかつての軍都からは、職を求める若者がこぞって関西に飛び出していた。

 その一人、大手製造メーカーに就職した下内侍恵由(しもないじしげゆき)(78)=大阪府豊中市=は、「東洋一の基地」と称された故郷が置き去りにされていくことが気がかりだった。

 特攻隊員の出撃前夜になけなしのご飯を振る舞った家庭、さよならと力の限り手を振った町民。大きな犠牲を見送った小さな町の傷は、簡単には癒えない。「心のよりどころをつくろう。この花道を再び誰かが飛ぶことがないように」。串良町役場に就職した上段は、苗木を届けた串良会の人々を直立不動で出迎えた。

 特攻をテーマにした映画や小説に人気が高まる今、旧陸軍航空基地があった知覧(鹿児島県南九州市)には多くの観光客が訪れる。同じ県内でも、その三倍の兵士が出撃した鹿屋や串良は静かだ。桜並木の思いを上段は代弁する。「なぜここに桜並木があるのか。それぞれが感じてもらえればいい」

 (文中敬称略、木原育子)

 

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