こんにちは、YU@K(@slinky_dog_s11)です。
ここ半年ほど「頭の中でモヤモヤ考える事はブログに書いてしまえば少しスッキリする」という謎の解決策が身についているのですが、2015年新年早々、扱いを間違えれば大火傷しそうな記事を書いています。
内容はタイトル通り、「男向け」と「女向け」、そして「ダサピンク現象」について。

■なぜこの記事を書こうと思ったのか
昨年末に書いた映画「ベイマックス」の宣伝に関する記事が、おかげさまでかなりのアクセス数を記録しました。
その結果、該当記事を取り上げて下さった上で、Twitterやブログに持論を展開されている方がいらっしゃり、書いた本人としても“嬉し恥ずかし”な顔をしながらネットを眺めていました。
すると、下記のブログにこう書かれていたんですね。(この方からはTwitterでも直接リプライでご意見をいただきました)
この記事書いた人も、日本の宣伝をした人も典型的なダサピンク現象と思う。
(むしろ私は日本の宣伝の仕方だったら見に行かなかった。 〜「アスパラガスのアスペルガー日記」)
「ダサピンク」とは一体なんだろうか。
言葉としては知っていたがすぐに意味が出てくるほど咀嚼していなかったので、改めてネットで検索。
つまりは以下の意味らしいです。
「ダサピンク現象」とは、決して「ピンク=ダサイ」という意味ではなくて、「女性ってピンクが好きなんでしょ?」「女性ってかわいいのが好きなんでしょ?」「女性って恋愛要素入ってるのが好きなんでしょ?」という認識で作られたものの出来が残念な結果になる現象のことを言います。
(残念な女性向け商品が作られてしまう「ダサピンク現象」について 〜「yuhka-unoの日記」)
要するに、ダサピンク現象というのは“「女性ってピンクでかわいいものが好きなんでしょ?」という認識”そのものを問題視する考え方であり、先の記事で私が「ベイマックスはヒーローもので言うなれば男児向けの色が濃い作品」と形容した事を指して、「この人はダサピンク現象だ」という指摘を受けている、という事かと思われます。
つまりは、「ヒーローものは男児向け」という認識(ダサピンク現象的に言うのであれば“決めつけ”)が、性差別的ではないのか、と。

また、2013年にカルト的ヒットを記録した「パシフィック・リム」という映画がありましたが、それに関するイベントでのこういった一幕がファンの間で少しだけ物議を醸しました。
【ジェンダー速報】樋口真嗣「パシフィック・リムは女たちのものではない!」→フェミニスト激怒
これが飛躍してしまった事もあり、例えば「パシフィック・リムは男向け」と表現すると「女性ファンを排除するのか!」「女性もロボットや怪獣にときめくんだ!」という反論が巻き起こり殺伐とする、というやりとりを主にTwitterで何度も目にしました。
同じ界隈で言うと、竹熊健太郎氏の発言が炎上したこともありました。
女性が見る特撮は、私にとっては特撮とは呼べないのですよ。若手イケメン俳優が出る特撮は、その時点でイケメンドラマであって、「似て非なる何か」なのです。特撮ドラマの「主役」はあくまでミニチュアであり着ぐるみであり、光線やメカ、破壊と爆発でなければならんのです。漢の世界なのです。
(【炎上】有名オタク業界人「女性が見る特撮は特撮ではない。イケメンが特撮に出ると特撮魂が曇る」 → 女性特撮ファン達「は?」 〜「オレ的ゲーム速報@刃」)
問題提起としてこれらの事案を羅列しましたが、今ここまで読んで下さった方は既に色んな思いをお持ちの事と思います。
先にも書いたように、この記事で扱うのはともすれば大火傷を招く「ジェンダー論」であるため、多角的な視点から、ひとつずつ丁寧に紐解いて持論を述べていきたいと思います。
■「ダサピンク現象」のズルさと危険性
「女子はピンクが好き」という決めつけが残念なものを生み出すという“ダサピンク現象”は、果たして本当に存在するのだろうか。
先に結論から述べると、YESかNOの二択であれば、私はYESだと考える。
哀しい事に、そういった決めつけを持っている男性はいると思うし、それが実商品に反映され世に出回る事もままあると思われる。

しかし私は常々思うのです。「それは本当にダサピンク現象なのか?」、と。
つまりこのダサピンク現象という考え方は、“「女性ってピンクでかわいいものが好きなんでしょ?」という認識”を持つ一部の男性を批判するものであり、その認識の存在有無や濃度について確固たる背景は何一つ無いのである。
本当に嫌味な言い方をしてしまえば「それは一部の女性の被害妄想では?」とも一蹴してしまえる、そんな危うく脆い考え方とも言える。
なぜ私がそう思うかというと、だって、ピンクが好きな女性は多いからである。
例えば最も身近なところでうちの嫁さんを例にとるが、彼女はピンクのコートをよく着るし、化粧道具はピンク色のアイテムが多い。
そういえば常用している鏡も、裏面は真っピンクだったかな。
また、私が以前住んでいた福岡天神のパルコに「スイーツパラダイス」という文字通りスイーツが食べ放題のお店があるが、これがまた女性に大人気であり時期によっては長蛇の列。そしてこのお店の内装は、目がくらむ程のピンクである。

実際に調べてみると「色カラー」というサイトの調査において2014年の7月から11月にかけて最も女性に好まれた色は、ピンク色である。(回答者数:女性/755人)
同時に嫌いな色にもピンクがある事が面白いデータともとれるが。

つまり何が言いたいかというと、疑いようもなく「女性はピンク色が好き」という事実は確かにあり、企業側が「女性にウケるためにピンクを用いよう」と考える事は至極当然ではないか、という事である。(無論、全ての女性が必ずピンクを好む訳ではない)
要するに、「企業がマーケティングの結果として売りたい層(女性)に向けてピンクを用いる」という至極当然の背景と、「女性はピンクが好きだろうという決めつけでピンクを用いる」というダサピンク論法の、この2つの線引きはとても難しいのである。
これを見境なく一緒にして「ダサピンク現象だ!男の決めつけだ!」と叫んでしまう事は非常に危険な事であると同時に、腫物を触るような話題である性差を絡め男性側の反論を先んじて封殺してしまうような“ズルさ”を、私は感じてしまうのである。
最近話題になったものでいうと、「文庫女子フェア」というものがある。
例えばこのエントリーでは、以下のように書かれている。

ピンクだらけの画面に、ふにゃふにゃしたフォント、ハートマーク。
並んでいるのは殆どが恋愛本ばかり。
まさに、ダサピンク現象現る!って感じである。
これ見て、今まで本買わなかった人が買いたいと思うなんて本気で思ってんのかよ!!
(「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた 〜「田舎で底辺暮らし」)
私は、この「女子文庫フェア」が本当にダサピンク現象の産物かというと、疑問を感じてしまう。
つまりは、このフェアの発案者や実行チームが、「女性はピンクが好きだろうからピンクで!」とダサピンク思考でこれを作ったのか、はたまた「マーケティングの結果これが世の女性にウケる!」という当たり前の企業マン思考でこれを作ったのか、その真相は分からないからである。
私は自分のセンスに自信がないのでこの企画(ポスターや選書)そのものがダサいか否かについて言及はしないが、仮にダサかったとして、それは「ダサピンク現象」でも「性差」も「ジェンダー」も関係なく、ただ単に担当者のセンスが残念だったに過ぎないのだ。
勿論、これが出来た背景に本当にダサピンク思考の持ち主がいた事も考えられる。もっとイケてる企画やポスターが案としてあったが、決裁権を持つダサピンクな部長が「そんなんで女子にウケると思ってるのか!女にはピンクだ!ピンクに変えろ!文字ももっとゆるふわにしろ!」と現場を叱り飛ばした可能性も否定はできない。
しかしそれは同時に「ダサピンクなんて無かった」という可能性の裏返しをも意味し、どっちが本当なのかは悪魔の証明であり水掛け論でしかない。
要するに、ただ単にこのポスターや企画を見て「ダサピンク現象現る!」と断言してしまうのは非常に早計であり、まさにここに「ダサピンク現象」という概念のズルさと危険性が埋まっているのである。
つまり、「ピンクで(その人にとって)ダサいもの」を目にすればそれを「でた!ダサピンク現象だ!」と安易に“言えてしまう”事こそが問題であり、むしろそっち方面での決めつけによる誤用が、今この瞬間にも一人歩きしてしまっているのではないだろうか。
というのも、前述のこの現象の名付け親を自称されているyuhka-unoさんも同エントリーで『その層(ピンクが好きな人)を狙い撃ちすることを意識して作られたものと、漫然と「女性ってピンクでかわいいものが好きなんでしょ?」という認識で作られたものは、やはり違うと思う』と書かれており、私が上で指摘したような“意図したマーケティング”との違いについては言及されている。
ただしこれは出来たての言葉にはよくある事で、非常に誤解されやすく、すぐ一人歩きをしてしまう。
今や一部の人にとって「ダサピンク現象」とは、「女は“こう”と決めてかかっているであろう男性やその産物を批判する概念」として、非常に“便利に”出回ってしまっている。
その用途において、本当にその差別意識なるものがあったか否かは問題ではなく、そう感じた女性が「これはダサピンクだ!」と叫べば、“そういうもの”として広まってしまうのだ。
これは、非常に恐ろしい事態である。

実態として、「文庫女子フェア」をダサピンク現象とぶった切った先のエントリーを読んだ人は、「これこそがダサピンク現象の好例」だの「ついに本屋にまでダサピンクが…」だのという感想をSNSで漏らしており、そこに「これは本当にダサピンク現象なの?」と疑問を投げかける人は殆ど見当たらない。
名付け親の方には悪いが、ここまで兆候がはっきり見えているので、おそらく「ダサピンク現象」はこの“使い勝手の良い男性批判”の意として定着していくことだろう。
そこに、単純なマーケティングなのか、ただの担当者のセンスの欠如なのか、そこを精査する意図は最初から含まれず存在しない。
ただ単に気に入らない物を簡単に性差と絡めて批判できてしまうのである。
男性の“決めつけ”を批判する単語が、使用者の“決めつけ”の上で用いられる。なんと皮肉な事か。
もっと言うと、「文庫女子フェア」はもしかしたら女性を中心としたチームが企画した可能性も、ゼロではないというのに…。
■「男の子向け」は排他的な表現なのか?
「ダサピンク現象」という概念の危うさを指摘したが、次に異を唱えたいのは「男の子向け」の曲解である。
最初に挙げた私の「ベイマックスは男児向けの色が濃かった」に対する反論への反論となってしまうのですが、なぜ、「男児向け」と言ってしまう事がこの方にとってダメだったのか。
それはこの方が、「男児向け」という表現に「女は見るな」を読み取ったからに他ならない。
私にそのような意図は全くないのに、である。

例えば、「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」。
これらは作り手の東映やバンダイにより明確に対象性別と対象年齢が定められており、メインのお客様は言うまでもなく「男の子」であろう。
ドラマ展開を作る上で“男の子が理解できるか”という視点は絶対にひとつあるだろうし、変身ベルトや武器をデザインする人は日夜どういったものが男の子にウケるのか研究している事だろう。
そうして、「男児向け」として番組を放送し、玩具を売っている。
それがこの日本でのメインストリートであり、だからこそ「ヒーローが活躍する何か」はもはやたとえそれが仮面ライダーやスーパー戦隊でなくとも「男児向け」とカテゴライズされる。(そういった無意識な区別が文化として根付いている)
東映やバンダイの担当者の誰一人として、おそらく「男の子向けに作ったものだから女の子は買うな!」なんて思ってないだろうし、むしろ女性にもウケたのであれば儲けものである。
だからこそ私は、「ベイマックスはヒーローが活躍するから男児向けの色が濃い」と書いたのである。
実際に仮面ライダーやらは男児から好評を博し何十年も続いているのだから、その“マーケティング”は間違っていないのだろう。
重ね重ね言うが、そこに女性を排除する意図はどこにもない。
男の子の大多数が、ドッカンバッタン殴りあって火薬が爆発するアクションものが好きなだけで、そこにあるのはただただその事実のみである。
そしてその嗜好を持つ女性も当然いて、だがしかし、それを好む女性は男性より少ないという真実だけが存在しているのだ。
これはもう好みの問題、もっというと生物学的な話なので、差別だなんて議論のテーブルには本来上がりっこないのである。

私の大学の後輩でプリキュアが好きでたまらなくてフィギュアを集めている男性がいる。
知り合いには、劇場版アイカツの公開日0時に映画館に駆け付ける男性もいる。
彼らは(メインとして)「女児向け」として発信されているコンテンツを楽しんでいるにすぎない。
そして同時に、「“女児向け”と表記する事はプリキュアを楽しんでる我々男性に向けた差別だ!」などと素っ頓狂な叫び声を上げたりもしないのだ。
例として挙げた「パシフィック・リム」もそうだ。
恐れず言うが、この作品は「男向け」だと私は考える。
日本の文化史における“男が好きなもの”が詰まっているからである。
しかしそこに「女は見るな」という意図は無く、この作品の女性ファンに対しどうこう言う気も微塵も無い。
「多数の男と少数の女が好む作品」も「多数の女と少数の男が好む作品」も、当然両方あって、それはゼロサムで語るべきものではない。

なぜ「男の子向け」「女の子向け」という表記に差別を感じてしまう人がいるのだろうか。
この区別を躍起になって修正しようとするのだろうか。
だって、男と女は違うから。区別がむしろ普通だと、私は思うのである。
(補足として、だからといって「パシフィック・リムの楽しさは女には分からん」などと自ら排他的に異性を叩くような発言は、その人がおかしいだけで言語道断である。)
■男と女を区別する事は当然では?
決めつけによる「ダサピンク現象」の誤用も、「男の子向け」批判も、要は“女はこう”“男はこう”という区別に過度に反発しているに過ぎない。
私はこれを「区別アレルギー」と呼んでいる。
区別される事を極端に嫌い、少しでもどちらかを向いている物や人に突撃して平等に向き直らせようとする人の事である。

男と女は違う生き物だ。
身体の構造は違うし、DNAに刻まれてきた社会的役割も違う、脳だって違うと昨今はよく言われる。
それを区別して扱う事の何が問題なのだろうか。
違うものを違うと言っては、いけないのだろうか。
私が言っているのは「区別」であり、決して「差別」ではない。
「差別」は縦軸で、行えば優劣の視点が発生してしまうもの。
「区別」は横軸で、横並び前提で言い換えれば“適材適所”。
その「区別」すら絶対に許さないというアレルギー持ちの人が増えすぎてはいないだろうか。
私は小学校の頃から吹奏楽をやっていた典型的な文化系男子だったが、高校の持久走では10キロを走らされた。
女子は5キロだったのに。
私より足が速く体力もある、例えば陸上部の女子でさえも、5キロだ。
ヘトヘトになりながら10キロを完走した苦い記憶を今でも覚えている。
なぜ男子は10キロで女子は5キロなのか。
それは、男女の体の構造が違うからに他ならない。
なにも私は「全国の学校は男女で距離差を無くせ!」と叫びたい訳ではなく、これは当たり前の「区別」であると言いたいのだ。

男女は違うから面白いのであり、社会が回っているのである。
「区別」すら無くしていくとすると、突き詰めていくと「なぜAKBに男は入れないのか!」や「なぜジャニーズに女性メンバーがいないのか!」という訳のわからない理論にまで行き着いてしまう。
そしてそれは性差だけでなく、年齢や生まれた土地による価値観の違いも同義である。
AKBは女だけだから面白いのであり、ジャニーズは男だけだから魅力的なのだ。
スイーツパラダイスはピンクな内装が女性に好評であり、仮面ライダークウガは赤くてかっこいいから男の子にウケたのだ。
ヒーローに向かって「ダサレッド現象だ!」と叫んで、そこに何が生まれるのか。

なぜそうも“過剰”なのか。
なぜすぐに顔を真っ赤にし、肉親を殺された敵を討ちに行くかのように「区別」を批判するのだろうか。
■矢を放つ前に考えよう
勿論、良い「区別」と悪い「区別」はある。
悪い「区別」とは、それこそが「差別」である。
でも、ただ違うだけで(区別されているだけで)、他の判断無く噛み付くのは如何なものだろうか。
それは正統なものか、批判されるべきものか、噛み付く前に考えてみようじゃないですか。
安易に「ダサピンクだ!」と叫ぶ前に、それが本当にそうなのか、今一度考えようではないですか。
「“男の子向け”だなんて女は見るなって事か!」と批判する前に、その送り手が考える対象やマーケティングをもう一度考えてみては如何でしょうか。
何事もアレルギーのようにカッと反応して噛み付いても、それは“決めつけ”による墓穴にしかならないのですよ。

昔OLをしていた母は今でもよく「お茶汲み万歳」と私に言います。
母によると、「お茶を淹れるのは台所経験が多い女性の方が上手いのだから、女性がやるのはある意味当たり前だ」、と。
しかし同時に、「女が淹れて当たり前という男性には淹れたくない」「ありがとう、と一声かけてくれる男性にはまたお茶を淹れようと思える」とも言っていた。
つまりはこういう事で、「区別」の差は無理やり条件を同列にして埋めるのではなく、互いの「理解」と「尊厳」によって埋めるものではないだろうか。
当たり前の「区別」を、「理解」や「尊厳」を欠かして批判的に語る男性がいるから、女性が怒る。
必然である「区別」なのに、「理解」と「尊厳」を無視して揶揄する女性がいるから、男性はムカつく。

結局は「私と小鳥と鈴と」のような結論になってしまう訳だけど、違う事・区別する事を全肯定するのではなく、ただ盲目に違う事に噛み付く「区別アレルギー」は捨てていきましょうと、私はそう提言したいのである。
それと、「ダサピンク現象」という単語は、正しく用いましょうね。
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ここ半年ほど「頭の中でモヤモヤ考える事はブログに書いてしまえば少しスッキリする」という謎の解決策が身についているのですが、2015年新年早々、扱いを間違えれば大火傷しそうな記事を書いています。
内容はタイトル通り、「男向け」と「女向け」、そして「ダサピンク現象」について。
■なぜこの記事を書こうと思ったのか
昨年末に書いた映画「ベイマックス」の宣伝に関する記事が、おかげさまでかなりのアクセス数を記録しました。
その結果、該当記事を取り上げて下さった上で、Twitterやブログに持論を展開されている方がいらっしゃり、書いた本人としても“嬉し恥ずかし”な顔をしながらネットを眺めていました。
すると、下記のブログにこう書かれていたんですね。(この方からはTwitterでも直接リプライでご意見をいただきました)
この記事書いた人も、日本の宣伝をした人も典型的なダサピンク現象と思う。
(むしろ私は日本の宣伝の仕方だったら見に行かなかった。 〜「アスパラガスのアスペルガー日記」)
「ダサピンク」とは一体なんだろうか。
言葉としては知っていたがすぐに意味が出てくるほど咀嚼していなかったので、改めてネットで検索。
つまりは以下の意味らしいです。
「ダサピンク現象」とは、決して「ピンク=ダサイ」という意味ではなくて、「女性ってピンクが好きなんでしょ?」「女性ってかわいいのが好きなんでしょ?」「女性って恋愛要素入ってるのが好きなんでしょ?」という認識で作られたものの出来が残念な結果になる現象のことを言います。
(残念な女性向け商品が作られてしまう「ダサピンク現象」について 〜「yuhka-unoの日記」)
要するに、ダサピンク現象というのは“「女性ってピンクでかわいいものが好きなんでしょ?」という認識”そのものを問題視する考え方であり、先の記事で私が「ベイマックスはヒーローもので言うなれば男児向けの色が濃い作品」と形容した事を指して、「この人はダサピンク現象だ」という指摘を受けている、という事かと思われます。
つまりは、「ヒーローものは男児向け」という認識(ダサピンク現象的に言うのであれば“決めつけ”)が、性差別的ではないのか、と。
また、2013年にカルト的ヒットを記録した「パシフィック・リム」という映画がありましたが、それに関するイベントでのこういった一幕がファンの間で少しだけ物議を醸しました。
【ジェンダー速報】樋口真嗣「パシフィック・リムは女たちのものではない!」→フェミニスト激怒
これが飛躍してしまった事もあり、例えば「パシフィック・リムは男向け」と表現すると「女性ファンを排除するのか!」「女性もロボットや怪獣にときめくんだ!」という反論が巻き起こり殺伐とする、というやりとりを主にTwitterで何度も目にしました。
同じ界隈で言うと、竹熊健太郎氏の発言が炎上したこともありました。
女性が見る特撮は、私にとっては特撮とは呼べないのですよ。若手イケメン俳優が出る特撮は、その時点でイケメンドラマであって、「似て非なる何か」なのです。特撮ドラマの「主役」はあくまでミニチュアであり着ぐるみであり、光線やメカ、破壊と爆発でなければならんのです。漢の世界なのです。
(【炎上】有名オタク業界人「女性が見る特撮は特撮ではない。イケメンが特撮に出ると特撮魂が曇る」 → 女性特撮ファン達「は?」 〜「オレ的ゲーム速報@刃」)
問題提起としてこれらの事案を羅列しましたが、今ここまで読んで下さった方は既に色んな思いをお持ちの事と思います。
先にも書いたように、この記事で扱うのはともすれば大火傷を招く「ジェンダー論」であるため、多角的な視点から、ひとつずつ丁寧に紐解いて持論を述べていきたいと思います。
■「ダサピンク現象」のズルさと危険性
「女子はピンクが好き」という決めつけが残念なものを生み出すという“ダサピンク現象”は、果たして本当に存在するのだろうか。
先に結論から述べると、YESかNOの二択であれば、私はYESだと考える。
哀しい事に、そういった決めつけを持っている男性はいると思うし、それが実商品に反映され世に出回る事もままあると思われる。
しかし私は常々思うのです。「それは本当にダサピンク現象なのか?」、と。
つまりこのダサピンク現象という考え方は、“「女性ってピンクでかわいいものが好きなんでしょ?」という認識”を持つ一部の男性を批判するものであり、その認識の存在有無や濃度について確固たる背景は何一つ無いのである。
本当に嫌味な言い方をしてしまえば「それは一部の女性の被害妄想では?」とも一蹴してしまえる、そんな危うく脆い考え方とも言える。
なぜ私がそう思うかというと、だって、ピンクが好きな女性は多いからである。
例えば最も身近なところでうちの嫁さんを例にとるが、彼女はピンクのコートをよく着るし、化粧道具はピンク色のアイテムが多い。
そういえば常用している鏡も、裏面は真っピンクだったかな。
また、私が以前住んでいた福岡天神のパルコに「スイーツパラダイス」という文字通りスイーツが食べ放題のお店があるが、これがまた女性に大人気であり時期によっては長蛇の列。そしてこのお店の内装は、目がくらむ程のピンクである。
実際に調べてみると「色カラー」というサイトの調査において2014年の7月から11月にかけて最も女性に好まれた色は、ピンク色である。(回答者数:女性/755人)
同時に嫌いな色にもピンクがある事が面白いデータともとれるが。
つまり何が言いたいかというと、疑いようもなく「女性はピンク色が好き」という事実は確かにあり、企業側が「女性にウケるためにピンクを用いよう」と考える事は至極当然ではないか、という事である。(無論、全ての女性が必ずピンクを好む訳ではない)
要するに、「企業がマーケティングの結果として売りたい層(女性)に向けてピンクを用いる」という至極当然の背景と、「女性はピンクが好きだろうという決めつけでピンクを用いる」というダサピンク論法の、この2つの線引きはとても難しいのである。
これを見境なく一緒にして「ダサピンク現象だ!男の決めつけだ!」と叫んでしまう事は非常に危険な事であると同時に、腫物を触るような話題である性差を絡め男性側の反論を先んじて封殺してしまうような“ズルさ”を、私は感じてしまうのである。
最近話題になったものでいうと、「文庫女子フェア」というものがある。
例えばこのエントリーでは、以下のように書かれている。
ピンクだらけの画面に、ふにゃふにゃしたフォント、ハートマーク。
並んでいるのは殆どが恋愛本ばかり。
まさに、ダサピンク現象現る!って感じである。
これ見て、今まで本買わなかった人が買いたいと思うなんて本気で思ってんのかよ!!
(「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた 〜「田舎で底辺暮らし」)
私は、この「女子文庫フェア」が本当にダサピンク現象の産物かというと、疑問を感じてしまう。
つまりは、このフェアの発案者や実行チームが、「女性はピンクが好きだろうからピンクで!」とダサピンク思考でこれを作ったのか、はたまた「マーケティングの結果これが世の女性にウケる!」という当たり前の企業マン思考でこれを作ったのか、その真相は分からないからである。
私は自分のセンスに自信がないのでこの企画(ポスターや選書)そのものがダサいか否かについて言及はしないが、仮にダサかったとして、それは「ダサピンク現象」でも「性差」も「ジェンダー」も関係なく、ただ単に担当者のセンスが残念だったに過ぎないのだ。
勿論、これが出来た背景に本当にダサピンク思考の持ち主がいた事も考えられる。もっとイケてる企画やポスターが案としてあったが、決裁権を持つダサピンクな部長が「そんなんで女子にウケると思ってるのか!女にはピンクだ!ピンクに変えろ!文字ももっとゆるふわにしろ!」と現場を叱り飛ばした可能性も否定はできない。
しかしそれは同時に「ダサピンクなんて無かった」という可能性の裏返しをも意味し、どっちが本当なのかは悪魔の証明であり水掛け論でしかない。
要するに、ただ単にこのポスターや企画を見て「ダサピンク現象現る!」と断言してしまうのは非常に早計であり、まさにここに「ダサピンク現象」という概念のズルさと危険性が埋まっているのである。
つまり、「ピンクで(その人にとって)ダサいもの」を目にすればそれを「でた!ダサピンク現象だ!」と安易に“言えてしまう”事こそが問題であり、むしろそっち方面での決めつけによる誤用が、今この瞬間にも一人歩きしてしまっているのではないだろうか。
というのも、前述のこの現象の名付け親を自称されているyuhka-unoさんも同エントリーで『その層(ピンクが好きな人)を狙い撃ちすることを意識して作られたものと、漫然と「女性ってピンクでかわいいものが好きなんでしょ?」という認識で作られたものは、やはり違うと思う』と書かれており、私が上で指摘したような“意図したマーケティング”との違いについては言及されている。
ただしこれは出来たての言葉にはよくある事で、非常に誤解されやすく、すぐ一人歩きをしてしまう。
今や一部の人にとって「ダサピンク現象」とは、「女は“こう”と決めてかかっているであろう男性やその産物を批判する概念」として、非常に“便利に”出回ってしまっている。
その用途において、本当にその差別意識なるものがあったか否かは問題ではなく、そう感じた女性が「これはダサピンクだ!」と叫べば、“そういうもの”として広まってしまうのだ。
これは、非常に恐ろしい事態である。
実態として、「文庫女子フェア」をダサピンク現象とぶった切った先のエントリーを読んだ人は、「これこそがダサピンク現象の好例」だの「ついに本屋にまでダサピンクが…」だのという感想をSNSで漏らしており、そこに「これは本当にダサピンク現象なの?」と疑問を投げかける人は殆ど見当たらない。
名付け親の方には悪いが、ここまで兆候がはっきり見えているので、おそらく「ダサピンク現象」はこの“使い勝手の良い男性批判”の意として定着していくことだろう。
そこに、単純なマーケティングなのか、ただの担当者のセンスの欠如なのか、そこを精査する意図は最初から含まれず存在しない。
ただ単に気に入らない物を簡単に性差と絡めて批判できてしまうのである。
男性の“決めつけ”を批判する単語が、使用者の“決めつけ”の上で用いられる。なんと皮肉な事か。
もっと言うと、「文庫女子フェア」はもしかしたら女性を中心としたチームが企画した可能性も、ゼロではないというのに…。
■「男の子向け」は排他的な表現なのか?
「ダサピンク現象」という概念の危うさを指摘したが、次に異を唱えたいのは「男の子向け」の曲解である。
最初に挙げた私の「ベイマックスは男児向けの色が濃かった」に対する反論への反論となってしまうのですが、なぜ、「男児向け」と言ってしまう事がこの方にとってダメだったのか。
それはこの方が、「男児向け」という表現に「女は見るな」を読み取ったからに他ならない。
私にそのような意図は全くないのに、である。
例えば、「仮面ライダー」と「スーパー戦隊」。
これらは作り手の東映やバンダイにより明確に対象性別と対象年齢が定められており、メインのお客様は言うまでもなく「男の子」であろう。
ドラマ展開を作る上で“男の子が理解できるか”という視点は絶対にひとつあるだろうし、変身ベルトや武器をデザインする人は日夜どういったものが男の子にウケるのか研究している事だろう。
そうして、「男児向け」として番組を放送し、玩具を売っている。
それがこの日本でのメインストリートであり、だからこそ「ヒーローが活躍する何か」はもはやたとえそれが仮面ライダーやスーパー戦隊でなくとも「男児向け」とカテゴライズされる。(そういった無意識な区別が文化として根付いている)
東映やバンダイの担当者の誰一人として、おそらく「男の子向けに作ったものだから女の子は買うな!」なんて思ってないだろうし、むしろ女性にもウケたのであれば儲けものである。
だからこそ私は、「ベイマックスはヒーローが活躍するから男児向けの色が濃い」と書いたのである。
実際に仮面ライダーやらは男児から好評を博し何十年も続いているのだから、その“マーケティング”は間違っていないのだろう。
重ね重ね言うが、そこに女性を排除する意図はどこにもない。
男の子の大多数が、ドッカンバッタン殴りあって火薬が爆発するアクションものが好きなだけで、そこにあるのはただただその事実のみである。
そしてその嗜好を持つ女性も当然いて、だがしかし、それを好む女性は男性より少ないという真実だけが存在しているのだ。
これはもう好みの問題、もっというと生物学的な話なので、差別だなんて議論のテーブルには本来上がりっこないのである。
私の大学の後輩でプリキュアが好きでたまらなくてフィギュアを集めている男性がいる。
知り合いには、劇場版アイカツの公開日0時に映画館に駆け付ける男性もいる。
彼らは(メインとして)「女児向け」として発信されているコンテンツを楽しんでいるにすぎない。
そして同時に、「“女児向け”と表記する事はプリキュアを楽しんでる我々男性に向けた差別だ!」などと素っ頓狂な叫び声を上げたりもしないのだ。
例として挙げた「パシフィック・リム」もそうだ。
恐れず言うが、この作品は「男向け」だと私は考える。
日本の文化史における“男が好きなもの”が詰まっているからである。
しかしそこに「女は見るな」という意図は無く、この作品の女性ファンに対しどうこう言う気も微塵も無い。
「多数の男と少数の女が好む作品」も「多数の女と少数の男が好む作品」も、当然両方あって、それはゼロサムで語るべきものではない。
なぜ「男の子向け」「女の子向け」という表記に差別を感じてしまう人がいるのだろうか。
この区別を躍起になって修正しようとするのだろうか。
だって、男と女は違うから。区別がむしろ普通だと、私は思うのである。
(補足として、だからといって「パシフィック・リムの楽しさは女には分からん」などと自ら排他的に異性を叩くような発言は、その人がおかしいだけで言語道断である。)
■男と女を区別する事は当然では?
決めつけによる「ダサピンク現象」の誤用も、「男の子向け」批判も、要は“女はこう”“男はこう”という区別に過度に反発しているに過ぎない。
私はこれを「区別アレルギー」と呼んでいる。
区別される事を極端に嫌い、少しでもどちらかを向いている物や人に突撃して平等に向き直らせようとする人の事である。
男と女は違う生き物だ。
身体の構造は違うし、DNAに刻まれてきた社会的役割も違う、脳だって違うと昨今はよく言われる。
それを区別して扱う事の何が問題なのだろうか。
違うものを違うと言っては、いけないのだろうか。
私が言っているのは「区別」であり、決して「差別」ではない。
「差別」は縦軸で、行えば優劣の視点が発生してしまうもの。
「区別」は横軸で、横並び前提で言い換えれば“適材適所”。
その「区別」すら絶対に許さないというアレルギー持ちの人が増えすぎてはいないだろうか。
私は小学校の頃から吹奏楽をやっていた典型的な文化系男子だったが、高校の持久走では10キロを走らされた。
女子は5キロだったのに。
私より足が速く体力もある、例えば陸上部の女子でさえも、5キロだ。
ヘトヘトになりながら10キロを完走した苦い記憶を今でも覚えている。
なぜ男子は10キロで女子は5キロなのか。
それは、男女の体の構造が違うからに他ならない。
なにも私は「全国の学校は男女で距離差を無くせ!」と叫びたい訳ではなく、これは当たり前の「区別」であると言いたいのだ。
男女は違うから面白いのであり、社会が回っているのである。
「区別」すら無くしていくとすると、突き詰めていくと「なぜAKBに男は入れないのか!」や「なぜジャニーズに女性メンバーがいないのか!」という訳のわからない理論にまで行き着いてしまう。
そしてそれは性差だけでなく、年齢や生まれた土地による価値観の違いも同義である。
AKBは女だけだから面白いのであり、ジャニーズは男だけだから魅力的なのだ。
スイーツパラダイスはピンクな内装が女性に好評であり、仮面ライダークウガは赤くてかっこいいから男の子にウケたのだ。
ヒーローに向かって「ダサレッド現象だ!」と叫んで、そこに何が生まれるのか。
なぜそうも“過剰”なのか。
なぜすぐに顔を真っ赤にし、肉親を殺された敵を討ちに行くかのように「区別」を批判するのだろうか。
■矢を放つ前に考えよう
勿論、良い「区別」と悪い「区別」はある。
悪い「区別」とは、それこそが「差別」である。
でも、ただ違うだけで(区別されているだけで)、他の判断無く噛み付くのは如何なものだろうか。
それは正統なものか、批判されるべきものか、噛み付く前に考えてみようじゃないですか。
安易に「ダサピンクだ!」と叫ぶ前に、それが本当にそうなのか、今一度考えようではないですか。
「“男の子向け”だなんて女は見るなって事か!」と批判する前に、その送り手が考える対象やマーケティングをもう一度考えてみては如何でしょうか。
何事もアレルギーのようにカッと反応して噛み付いても、それは“決めつけ”による墓穴にしかならないのですよ。
昔OLをしていた母は今でもよく「お茶汲み万歳」と私に言います。
母によると、「お茶を淹れるのは台所経験が多い女性の方が上手いのだから、女性がやるのはある意味当たり前だ」、と。
しかし同時に、「女が淹れて当たり前という男性には淹れたくない」「ありがとう、と一声かけてくれる男性にはまたお茶を淹れようと思える」とも言っていた。
つまりはこういう事で、「区別」の差は無理やり条件を同列にして埋めるのではなく、互いの「理解」と「尊厳」によって埋めるものではないだろうか。
当たり前の「区別」を、「理解」や「尊厳」を欠かして批判的に語る男性がいるから、女性が怒る。
必然である「区別」なのに、「理解」と「尊厳」を無視して揶揄する女性がいるから、男性はムカつく。
結局は「私と小鳥と鈴と」のような結論になってしまう訳だけど、違う事・区別する事を全肯定するのではなく、ただ盲目に違う事に噛み付く「区別アレルギー」は捨てていきましょうと、私はそう提言したいのである。
それと、「ダサピンク現象」という単語は、正しく用いましょうね。
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