2015年01月04日

年末年始

せっかく自分が現役なのだから、何か
盛り上げたい、そう思ったのです。
今更お前なんか、そういう声もあるかと
思います。
でも、20年という時間が経って蒸し返せるのは
僕が運良くまだ現役でいられているからだと
思ったのです。
思い上がりかもしれませんが。
僕だから出来るとも思ったのです。
敗れた側だから。
普通、勝った側が声をかけたりすると思います。
敗れた側は別にどうだっていいですから
応じたりはしないでしょう。
でも、かつて戦った相手を盛り上げに行こうと
思いました。
それは自分だから出来ることなんだという
勘違いを含めて。
色色提案して、ライターの布施さんにも声を
かけました。
これを、名古屋のキックを盛り上げる切っ掛けに
出来たら、そんな図図しい思いもありました。
20周年記念のデザインを考えて、Tシャツや
超鬼ごろしも作りました。


9月に遡ります。
都内の駅で待ち合わせして、初めて会って話しました。
僕が大好きな喫茶店に入って、コーヒーを飲みました。
まだ未定の、エキシビジョンの打ち合わせです。

彼のキックに対する思いを色色と聞きました。

「こっちの足が悪くて、」
蹴らないで欲しい、そう頼まれたので
「大丈夫だよ、ならそっちの足は蹴らないから」
「スーパーとか行ってタイヤのついたカゴを
押して買い物するのも辛くて。走れないから
体重もそんな落とせないんです」
「無理して落とすことないよ。エキシビジョンなんだから」

コーヒーを飲みながらそんな話をしました。
店を出て、彼は夫人を僕に紹介してくれました。
キックの話もそうですが、家族を紹介してくれたので
信用したいと思いました。
いつか、家族同士で飯でも食いたいなと真剣に
思いました。
家族といっても僕のところは息子と2人ですが。

少しして、関係者から電話が入りました。
「佐藤孝也と試合するんですか?」
驚いた感じでその関係者は云いました。
「試合ではないですよ。利き足は蹴らないで欲しいと
頼まれているので」
そんな会話をしました。

その後、二転三転しました。
「土居さんが、」
彼は二言目には主催者の名を口にしました。
「土居さんが試合をさせたがっている」
「土居さんがエキシビジョンでは駄目だと云っている」
僕は現地のことはしらないけれど、◯◎堂で
いいのではと再三云いました。
でも、何があったのかは知りませんが、彼は
乗り気ではありませんでした。

話が進まないので、信用できるジム生を代理人に
立てました。
「土居さんと佐藤さん、云っていることがお互い
違うのですが、」
幾度も相談を受けました。
僕は友達以上だと思う直感を信じて、
「ごめんね。でも、佐藤くんを信用して」
ジム生に云いました。
彼を信用していました。

「土居さんがエキシではなく試合でやれと
云っているのですが」
僕は裏で土居氏が無理やり佐藤くんに試合を
させようとしているのかと想像しました。
足が悪いのに試合させるなんて酷い人だと
思ったのです。

そのうち、土居氏と話すことになりました。
「佐藤会長がやりたがっているから、」
土居氏は云いました。
その時僕は、土居氏がやらせたがっているのを、
彼のせいにしていると思っていました。

足のこともそうだし、体重もそうだし、
絶対に試合にはならないと僕は思いました。

でも、そのうち佐藤くんもわからない
ことを云い出しました。
早い段階でポスターも出来ていました。
「対外的に試合ということにして欲しい」
幾度か彼は云いました。
蹴ってはいけないのに試合にして欲しいの意味が
僕には理解出来ませんでした。
肘もありだといいます。
「そこはまぁ適当に」
彼はそう返しました。
見せるだけの、そう解釈しました。
勝敗もつけるといいます。
不本意な気持ちでした。
蹴ってはいけないなら試合にする必要は
ないのです。

「2人の認識はエキシビジョンでは良いのではないかと
思います。勝敗についてはお互いの立場があるので
なんとかうまい形に持っていけたらと
思いますが・・・。折り合える着地点を
探しませんか?」

何故、彼はそこまで試合に拘るのか、
僕に条件をつけてまで最後まで試合という形式に
拘るのか僕には理解できませんでした。

そういうメッセージが着て、それっきりでした。

前日に計量をして場所を移して、トークショーを
行いました。
来場者も僕も佐藤くんも熱い時間を過ごせたと
思います。

当日、リングに上がって、雰囲気でわかります。
彼は最初からそのつもりだったのですね。
肘は幾度も当ててきました。

ただ、時間を過ごしました。
たまに左ローを蹴るだけです。
後遺症があるとは思えない程、左ミドルは
蹴ってくるけれど、その足が蹴れません。
今思えば、動かせるじゃないかと思える
のですが、その時はただ不自由さだけを感じて
いました。
3ラウンドに一度だけ、間違って蹴ってしまいました。
「ごめん」
わざとではありません。
ラウンド中に思わず声に出して謝りました。
約束だったからです。

試合後、すぐにリングを降りて着替えて物販も
切り上げさせて会場を後にしました。
何人かのファンが追いかけてきてくれました。
ありがとう。
少しして、佐藤くんがジム生だかと追いかけて
きました。

「間違って蹴ってごめんね」

周りには彼のジム生、僕のファン関係者数人がいましたが、
謝りました。
3ラウンド中とこの時、彼は言葉にでは出来ない
それだけで全てを察する嫌な表情を僕に見せました。
それは、僕の余計な一言で周囲に察知されることを
危惧したのかもしれません。


移動中、車内でTwitterを見たら、名古屋の僕の
ファンらしき喫茶店店主が観に来たがっていた旨の
呟きを見つけたので、調べて電話しました。
訪ねたら喜んでくれました。
店主は20年前に買ったという着込んでボロボロの
僕のデザインされたTシャツを見せてくれました。
コーヒーをみんなで1杯飲んで店を出ました。
出る際、店主が僕の大好きな豆を焙煎して
持たせてくれました。


息子と悠作が車内で大きな声で唄っていました。
だから、僕も一緒に大きな声で唄いました。
時に悠作すら知らない古いアニメや特撮の
テーマソングを息子と一緒に唄いました。


もう、名古屋に行くことはないと思います。
主催者の土居さん、一時は疑って本当に
すいませんでした。
佐藤くんに対してはどうでもいいです。
信じた僕が悪かったし、騙されたのなら騙された
僕が悪かったのです。
彼との過去の試合も忘れることもないと思います。
もう、自分をその記憶で鼓舞するこもしないですが。
試合をするつもりなら、最初からまともに
歩けないとか体重は落とせないとか、5ラウンドも
動けないから3ラウンドにしてくれとか、
こっちの足は蹴らないで欲しいとか頼んだら
駄目ですよ。


「過去の自分に恥ずかしくないのか」
対談の際、志を変える選手を指して云って
いましたが、
彼はどうなのでしょう。
ジム生らに対しても恥ずかしくないのでしょうか。
指導している子供が大きくなってそのことを知ったら
なんて思うでしょうか。


エキシビジョンだったら、それでいいと
思います。
引退しているのに佐藤の方が強いじゃないか、
そういわれてもなんとも思いません。
蹴らないで欲しいと頼まれていてもそれで
いいと思います。
黙ってもいます。
でも、僕に1敗という結果がついたので
発言してもいいと思います。

温度差は凄くありました。
僕自身、未だもやもやしたままです。


今日、布施さんが息子の取材でジムに着ました。
僕はいつも通り、応えました。
彼はまだ何もしていないし、何の形にもなって
いないし、何色でもありません。
否定が出来ない代わりに肯定も出来ません。
諦めるのなら早い方がいい、人生の選択肢は
彼にはまだ、いくらでもあるのです。
楽しいことよりも必要以上に痛いし辛い競技です。
返事の仕方が悪ければ教えません。
態度が悪ければ、挨拶の声が小さければ
ミットは持ちません。
そうやってきました。
「父親じゃねぇ、ここでは会長でトレーナーだ」
それがいつも僕の云い分です。
常識やマナー、その他色色キックボクシングを
通じて教えてきました。

多分、それはこれからも変わりません。
彼が他の何かになりたいのなら全力で付き合おうと
思います。
でも、ミュージシャンになりたいとか云われたら
打つ手なし。
早速お手上げです。


asshi_elvis at 00:58│ 日記