政治・行政

安倍政治を問う〈5〉「世界からかけ離れ」伊勢崎賢治さん

 血で血を洗う紛争の現場を知る東京外国語大大学院教授、伊勢崎賢治さん(57)の目には、こう映る。

 「武力こそ行使していないが、米国の求めに応じて自衛隊をイラクに派遣したのは集団的自衛権の行使と実質的に同じ。2003年の時点で憲法9条の意味はほとんど失われた。そしてこのたびの解釈改憲によって最後のタガが外れ、9条は骨抜きにされた」

 歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈を百八十度転換させ、集団的自衛権の行使容認に踏み切った安倍晋三首相。もたらされる変化を憂う。「平和国家のイメージは失われる。自衛隊員が海外で人を殺し、殺されることにつながる」

 そして続けた。「総選挙では、この大きな変化の是非を争点にするべきだ」

 

■現実離れ 

 国連スタッフや政府代表として紛争地域に乗り込み、武装解除という難題に向き合ってきた。自称に自負と自戒がにじむ「紛争屋」として残念に思うのは、世界の潮流からかけ離れた議論しか行われていないことだ。

 集団的自衛権を必要とする根拠として政府が示した15事例は「どれも個別的自衛権と国連を中心とした従来の措置で対応できる。あえて憲法解釈まで変更する必要はない」。機雷掃海や米国に向かう弾道ミサイルへの対応、米艦船の防護など国家間の紛争を想定するものがほとんど。「先進国が懸命に取り組んでいるのはテロとの戦い。前提が荒唐無稽な上、国際社会の関心からほど遠い」

 ため息が続く。「テロとの戦いで大きな力となるのは非武装の自衛隊と平和国家としての日本のイメージ。いずれも安倍首相が失わせようとしているものだ」。現実との乖離(かいり)が意味するものは何か。

■発想転換 

 失敗に学び、変化した米国の対テロ戦略に伊勢崎さんは注目してきた。

 アフガニスタンは憎悪の悪循環のただ中にあった。「傍若無人で侵略者たる米国に家族や仲間を奪われ、テロリストたちは自らの存在理由を懸け、爆弾を抱えて襲いかかっていた」。そうして民衆の支持を得て、社会に溶け込み、むやみに攻撃すれば民衆が巻き添えになり、敵意は拡大していく。

 「いくら兵力を増やしても米国は勝てなかった。そこで発想の転換がなされた。テロの温床を生み出さず、テログループが住みにくい平和な社会づくりに主眼が置かれるようになった」

 そこに非武装の自衛隊の活躍の場があると考える。

 成功体験がある。03年、米軍の支援を受けてタリバン政権を倒した地元軍閥に武装解除を掛け合った。混乱に乗じ、すでに内戦を引き起こしていた軍閥には北大西洋条約機構(NATO)も米軍も手を焼いていた。

 丸腰で軍閥の幹部に会い、武器を捨てるよう求めた。すると「ジャパンはすごいな」と親しげに声を掛けられた。

 「日本は日露戦争でロシアに勝ち、第2次大戦で米国に負けた。米国にひどい目に遭わされたイスラムの人たちは、日本に勇猛な被害者という印象を持っている。われわれの痛みが分かる唯一の国だと。大きな誤解なのだが」

 結局、武装解除は「日本に言われたら仕方ない」と首尾よくいった。日本の軍隊がアフガンの人々を傷つけていないことが大きかった。不戦を誓う9条がもたらした国益だった。

 米軍幹部からは「日本は美しく誤解されている」と言われたが、「世界中で戦争をして嫌われてきた米国にはできないこと。そこに日本の役割がある。9条が武器になる」。

 それもしかし、集団的自衛権が行使され、武装した自衛隊が戦闘に加わった途端に失われる。

■自衛意識 

 落胆は深い。総選挙を前に論じられるのは賃金アップ、雇用拡大、アベノミクスの是非といった国内経済の問題ばかり。「国際問題に無頓着な国民の意識も影響しているのではないか」

 テロとの戦いに関心を持ってほしいと市民集会で呼び掛けると、「震災復興も進んでいないのだから、国際協力より国内問題を重視すべきだ」といった意見が聞かれた。

 発言者は「昔ながらの平和運動を担ってきた年配の人だった」。

 諭すように反論した。

 「日本のものづくりに使われているレアメタルや宝石店に並ぶダイヤモンドの多くはアフリカの紛争地で採掘される。日本から流れ込む資金は腐敗を生み、紛争を生み出す一因になっている。国際的な問題を無視して日本だけでは生きられない」

 世界の中の日本という意識の欠如。そして「自衛」の響きが持つ危うさをひしと感じる。

 「あらゆる紛争の現場に戦意を育む民意の形成があった。人々は平和を欲するからこそ、平和を守るため、自衛の名の下に戦争を起こす。いまの日本には、ネットをはじめとして好戦的な主張をしても構わないという風潮があり、特定の民族への憎悪をあおるヘイトスピーチもみられる。もう、戦争間近なんじゃないかと思う」。だからこそ力を込める。「大切なのは敵をつくらないことだ」

 では、集団的自衛権の行使容認に踏みだした安倍首相は、この国をどの方向に導こうとしているのか-。

 しばし腕を組み、答えた。

 「解釈改憲で9条を骨抜きにした先にある本音は憲法改正だろう。自主憲法を制定し、日本を自立した国にする。そうしないと男がすたる、と。それ以外にしっくりとする答えはない」

 そう口にして、やはり首をひねるのだった。

 「米国からの自立という意味では、沖縄の基地負担を軽くするといったさまざまな発露の仕方がある。なのに9条だけに固執している。いずれにしろ、国際社会や国益を冷静に分析した結果ではないのは明らかだ」

 いせざき・けんじ 1957年東京都生まれ。東京外国語大大学院教授。国連PKO上級幹部や日本政府の特別代表として東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンで武装解除を指揮した。

【神奈川新聞】