社会

安倍政治を問う〈10〉 対米追従から脱却を 元外務官僚の孫崎享さん

 歴代首相最多となる49カ国をこの2年で訪問した成果を強調する安倍晋三首相だが、孫崎享さん(71)には空虚に映る。「政権延命のためのうわべ外交だ」。外務官僚として長年外交の現場に身を置いてきただけに、向けるまなざしはシビアだ。

 2年半ぶりに実現した日中首脳会談にも欺瞞(ぎまん)をみる。第2次安倍政権では初の首脳会談が北京で実現したのは、衆院解散が正式表明される8日前の11月10日。自らの靖国神社参拝で日中関係悪化を招いた安倍首相だったが、「関係改善の一歩になった」と胸を張ってみせた。

 沖縄県・尖閣諸島をめぐり、双方の認識のずれが依然深いことが明らかになったのは会談後だ。

 合意文書には「双方は、尖閣諸島など東シナ海の海域において近年、緊張状態が生じていることについて異なる見解を有している」とあり、一見すると領土問題の存在を前提にしているように読める。

 だが、日本側は「異なる見解」とは、中国公船の日本領海侵入や東シナ海の防空識別圏の設定、一方的な東シナ海ガス田開発などを指しているとして、「尖閣諸島の領土問題は存在しない」という従来の見解を主張する。

 孫崎さんは「領土問題の存在を認めさせたい中国に対して譲歩するかのような表現でだました。合意文書は首脳会談を実現させるためのうそだった」と断じ、「衆院解散をにらんだ安倍政権の戦略。安倍首相が悪化させた日中関係が批判の的となるので、その前に不安要素を取り除きたかったのだろう」と解説する。

 代償は大きい。「中国の信用を失ったに違いない。もう、首脳会談は実現しないのではないか」

 ダボス会議や日本の首相として初となるオーストラリア連邦議会での演説、原発の建設技術の売り込みで存在感を示そうとする姿勢にも「ほとんど国益をもたらしていないし、各国と新しい関係を築けていない。一過性のアピールを好む政権の特徴が外交によく表れている」。再開した拉致問題をめぐる日朝協議も「支持率を意識したパフォーマンスに見える」。

■便 乗

 孫崎さんに言わせると「安倍政権は対米追従路線をひた走る」。10日午前0時に施行された特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使容認、米軍普天間飛行場の辺野古移設-。その淵源(えんげん)は小泉政権時代にあるとみる。

 2005年の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で合意された「未来のための変革と再編」と題した文書。「国際的な安全保障環境の改善のための取組」が重点分野に位置付けられ、「国際的な安全保障環境を改善する上での二国間協力は同盟の重要な要素。(中略)実効的な態勢確立のために必要な措置をとる」「共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置」「(普天間飛行場の)代替施設は、(中略)沖縄県内に設置しなければならない」といった文言が並ぶ。

 だが、「当時の日本政府は文書の意義をあまり説明せず、注目もされなかった」。その後の福田康夫内閣は集団的自衛権の行使容認を見送り、民主党への政権交代後も鳩山由紀夫首相は普天間飛行場の移設について「最低でも県外」の見解を示すなど、合意にあらがう動きはあった。

 追随しない方策も考えられたが、安倍首相はこの路線に便乗したのだと孫崎さんは言う。「日本には安全保障政策に関する戦略はないから、米国に従わざるを得ない。もし、のまないようなら態度を変えられてしまうので、政権を長続きさせたいと思えばなおさら、米国に従うのが得策」と実情を明かす。

 そうである以上、日中関係の悪化は安倍政権にとって都合がいいということになる。「中国が攻撃を仕掛けてくるかもしれないという状況になれば、日米の安全保障政策の強化は正当化される。少なくとも、そういった方向に世論が高まる。だから、わざと中国との関係をこじらせているのではないかという疑念さえ抱いている」

■国 益

 外交官としての信条があった。「外務省の役割は、2割が予算配分と人繰りで、国民と諸外国を結び付ける橋渡しが8割」。これに照らせば「今の日本は、国の都合で国民が海外で活躍する機会を奪っている」。念頭にあるのはやはり冷え切った中国、韓国との関係だ。

 日本の輸出入額は06年以降、米国が占める割合が減り続けていたが、12年に増加に転じ、安倍政権発足後も微増した。前回の総選挙で自民党が交渉参加の反対を掲げた環太平洋連携協定(TPP)が合意に向けて進んでいるのは象徴的な事例だ。

 孫崎さんは「安全保障政策を米国に依存しているから、経済活動において米国に配慮せざるを得なくなり、東アジア圏での市場拡大が進まない。食料品の品質や安全に問題がある中国では、信頼性が高い日本の製品や農産物は飛ぶように売れる。東アジアの市場を拡大した方が日本経済は発展する」と言い切る。

 経済の東アジアシフトは安全保障政策にも通じるというのが持論だ。「日本を攻撃したら自国の経済が滞るという状況をつくれば、攻撃はしてこない。新たな安全保障政策となる」

 そのためにも尖閣諸島や竹島などの領土問題の解決が必要だと説く。鍵となるのが「棚上げ合意」。「互恵関係の構築を大事とし、領土問題については互いに見解は異なるまま解決を先送りする」という考え方だ。

 「ポツダム宣言には領土問題となっている竹島や北方領土は日本の国土として明記されていない。尖閣諸島は日中双方の言い分に根拠がある。日本固有という歴史認識は間違っている。感情論よりも国益を優先させるべきだ」と苦言を呈す孫崎さん。「戦後レジームからの脱却」を標榜(ひょうぼう)する安倍首相について、こう切って捨てた。「対米追従の枠組みを強化しているという意味では、『脱却』からは逆行している。信念は全く感じられない」 

 まごさき・うける 1943年旧満州生まれ。外交評論家、東アジア共同体研究所所長。66年外務省入省。英国、ソ連、米国、イラク、カナダ勤務を経て駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。著書に「戦後史の正体 1945-2012」(創元社)など。

【神奈川新聞】