中にキラメキも入ってる。それがポッカサッポロの商品です。
商品こそ、会社を表す。人を表す。ポッカサッポロのヒラメキから生まれた商品たちのエピソードを紹介します。私たちが培ってきたスピリッツを感じてみませんか。
まだ戦後の物資不足が続く時代。レモンは珍しい商品でした。輸入数量が少なく、1個100円以上という価格。当時の会社員の初任給は数千円でしたから高額商品と言ってもいいかもしれません。レモンが使われていたのはもっぱらバー。ハイボール50円なのにレモン系カクテルは200円でした。もっと気持ちよく飲めるように、レモンをもっと手頃にできないか……。そのヒラメキがポッカの始まりでした。ニッカバーを経営していた、後のポッカ創業者たちは試行錯誤を重ね、合成レモン液の開発に成功。レモン系カクテルを100円で出せるようになるとバーはますます繁盛。そのうえレモン液の引き合いが殺到したこともあり、ポッカの前身となる会社が生まれました。"エビフライにかけるとおいしくて健康的"といった食習慣の提案を行い大ヒット。その後、レモン果汁を増やすなど改良を重ね、ポッカというより日本の定番商品になったのです。
TOP1960年代、まだコーヒーは喫茶店やお店で飲む嗜好品でした。缶に入ったコーヒーをつくれないか……。そのヒラメキが生まれたのはある夜、ポッカ創業者が高速道路を走っていたときのこと。運転手が「サービスエリアでコーヒーを飲まなければ、もう京都についていたなぁ」とつぶやいたのです。「クルマの中で飲めるコーヒー、缶コーヒーをつくろう。夏はアイスで、冬はホットで飲めるように」。ポッカでは当時レモンの缶飲料に続く第二の缶飲料を模索していました。開発は難航を極めました。コールド用のコーヒーはうまくいったものの、ホットにするといらない菌が発生してしまう。2年の研究を重ねた末、砂糖に問題があることを発見。1972年春にようやく発売にこぎつけました。その先は"コーヒーは店で飲むもの"という常識との戦いでした。苦戦を重ねながらも冷温兼用自動販売機の投入とともに人気爆発。缶コーヒーは日本の常識となりました。
TOP1980年代、食生活の洋風化があたりまえになった時代。ポッカはパン食に合う商品の展開を考えていました。その理由は事業の安定化です。飲料事業は人が冷たい飲み物を欲する夏は売れ行きがよいものの、冬はどうしても売れ行きが落ちてしまう。飲料以外の食品で冬に売れる商品はなにか……。そこで生まれたヒラメキがスープでした。それも粉末スープ。1981年に発売しました。粉末スープはお湯をかけるだけで手軽に飲めます。粉末にすると軽いので、缶飲料を運ぶトラックの空きスペースに積んで運べるという利点もありました。"パンにスープを"という提案は新たなマーケットを開拓。96年に発売した「じっくりコトコト煮込んだスープ」はユニークな名前も話題となりヒット商品になりました。まさに、じっくりコトコト続けた展開。日本のあたりまえになりました。
TOPお茶、炭酸、ジュース。今ではどんな飲料でもPETボトルに入っています。そんなあたりまえは、今から約30年前ではありえないことでした。当時、飲料は缶や瓶、パックに入ったものが主流でした。そんな時代のただ中である1985年、サッポロはPET容器を使用した「リボンオレンジつぶつぶ1L」を発売。これは果実飲料としては世界で初めてのことでした。当時、果実飲料のPET容器化は、製造工程の中でボトルが変形するという問題があり実現不可能とされていました。サッポロは協力会社とともにこの難題にチャレンジし、PET容器化を実現したのです。もしもリボンブランドの挑戦がなかったら、現在のあたりまえも、なかったことになっていたかもしれません。
TOPようやく完成した缶コーヒーだけに、おいしく味わって欲しい。しかし販路が課題でした。夏はアイスで、冬はホットで売れる環境はないか。その答えとしてヒラメいたのは、冷温兼用の自動販売機の開発でした。まず共同開発してくれるメーカーを探したところ、大手電機メーカーはほとんど乗り気になりません。粘り強く企業を回る中で唯一応じてくれたのが冷蔵ショーケースをつくっていたメーカー。「そこまで熱心に言うならやりましょう」。両社が二人三脚で開発を始め、完成にこぎつけたのは2年後。最初の1台は缶コーヒーのヒラメキを得た高速道路のPAに置きました。その後思い切った投資を続け、自販機の展開を加速。自販機台数が増えるにつれ、缶コーヒーの売り上げも上昇。1980年代になると自販機は社会に完全に定着していきました。商品をつくるだけではなく、売る環境までつくる。そんな心意気がポッカサッポロにも息づいています。
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