はてなの古参が主張しとる窮屈とか不自由って言葉の使い方は完全に逆。
はてなという境界があって、窮屈さがあったからこそ、その境界で区切られた中にいる自分たちが、自由を感じられたわけだ。
おどれらは、長いことその壁に守られてきたから自分たちの自由が何に守られてきたかもわかっとらんのよ。
お前らが自由と読んどるのは囲われた自由だ。 隔離された自由だ。
理解されない、放置されてることによって得られる消極的な自由だ。
おどれらには、はてなという世界の片隅の窮屈な空間がちょうどよかった。
その窮屈な世界の片隅で、存在が小さいから放置されてるのを自由と思い込んでいられるほうがよかった。
そんだけのことだ。
もう勇気のある奴は壁の外に向かって出て行った。
今壁の中に残っとるのは家畜の安寧虚偽の繁栄が失われてるのを嘆く豚だけだ。
ネットの作法がわかっとらんとか言ってしまうのは老害そのものだ。
改めて思う。
今の老害化した一部のはてな民と違って、昔の先住民たちは実に寛容だった。
興味がなかっただけかもしれんが、俺達のような新参が来て、わけもわからずウロウロしていた時に
ネットの作法がわからんやつが俺たちを窮屈にするとかきもいことは言わなかった。
きっと、それは彼らが自分ではてな村を開拓して作ってきたからだ。
彼らはいざとなったら自分たちで生きていけるから、居心地が良い間だけ愉しめば良いという余裕もあった。
はてなに寄生しないと生きていけないから、意地でも今のはてなを守ろうとする。
自分たちが作り上げてきたわけでもないのに、先人たちへの敬意もなく、自分たちだけのものだと主張する。
おそらく今初めて、はてなというネットの片隅から、「ネット老害」という新たな存在が生まれ始めている。
むしろ、はてな開始時にいた人間よりもここ5年以内にはてなをはじめた人間に多い。
twitterを除くとはてな以外の活動拠点を持たない人間に多い。
そういう人間は、普段団塊以上の世代の既得権益を叩くような言動をしていながら、
いざネットにおける自分たちの既得権益にはしがみつこうとする。
この醜さはリアルとネットの違いはあれど明確な老害そのものだ。
「ネット老害」に対処しきれなければ、はてなは滅びるし、実際滅びるべき。
はてなの先住民たちは、既得権益にしがみつこうとするなら、駆逐されるのがジャスティスでありマニフェスト・デスティニーである