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【テレビ界への「遺言」】
(下)ヌード、ブス…何でもありだったのに…テレビ局が“自主規制”強めたあの事件
「イレブン」から「ちちんぷいぷい」まで 関西放送作家界の重鎮・疋田哲夫氏が語る
「夜はクネクネ」「鶴瓶上岡パペポTV」「ちちんぷいぷい」など人気番組の構成に携わった関西放送作家界の重鎮、疋田哲夫さん(66)へのインタビュー。最終回は「自主規制に縛られすぎるな」と提唱する。(構成・豊田昌継)
豊田商事事件のときは飲み屋から現場へ
僕が初めて「構成・疋田哲夫」と紹介されたのは昭和40年代後半、ABCの情報番組「たけ&モンテショー」でした。当時、番組宣伝の原稿を書くアルバイトをしていたのですが、作家の1人が辞めて、番組責任者に強引に誘われたのがきっかけです。
その後、ABCで5、6本の番組をやらせてもらいましたが、当時は取材も自分でしました。ディレクターとコンビで。豊田商事の永野会長刺殺事件の時も、飲み屋から大阪市内の現場に走りました。
現在の放送作家との違いでいえば、番組台本を自分で書いていたことでしょうか。企画が通れば、日程表に沿ってコーナーの割り振りや下調べ、取材をすべてやりました。台本には、原稿用紙に実際に放送される画面を書いて、キャプションを書いて…。昭和49年からやらせてもらった読売テレビ「11PM」の台本なら、《藤本義一「こんばんは、藤本義一です。今日は××がありました」》とその日の出来事を紹介。ゲストが出演するなら、ちょっとしたプロフィルを書き添えたり…。
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