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昨年にある出版のお手伝いをした。
その際に私のタウンマネージメントをまとめた原稿である。
ここから編集が加わって、結果マイルドな原稿になった。
この原稿は、編集前のものです。
書いたのは3年ほど前ですから、
少々今書いていることや、考えていることとズレがあります。
ただ、10年以上の活動をまとめたことで、
今また仕切り直して考えられるのだと思います。
これを書き上げたことで、
論文を冷静に書けるのではないかと思ています。
かなりの長文です。
お時間のある方はどうぞ。
富山市中心市街地が、お花畑になった理由。
株式会社フレーズ
タウンマネージャー長谷川圭
■決して富山の真似をしてはいけない
年間どれぐらいの視察団が、富山市を訪れるのだろう。スーツ姿の4~5人の団体を商店街内で見かけるたびに、私は少し憂鬱になる。どこかの県の、どこかの商店街が、ガラス張りの全天候型イベント広場グランドプラザを見学し、再開発で完成した都心居住のシンボルのマンションを見上げ、富山駅から中心市街地を、環状線でつなぐ路面電車セントラムに乗車し、中心市街地活性化協議会の事務局であり、長年にわたってまちづくりに携わるTMOを訪問し、富山市の自慢話をきかされる。そんな視察の中身だったら、一体何を地元に持ち帰られるというのだ。その視察団の交通費にも、税金が使われているのかと思うと、さらに鬱になる。
私は、富山市中心市街地に住む居住者で、自らのタウンマネージメント会社とクレープ店舗を中心市街地の商店街で展開する経営者です。トヤマグドットコムという富山市中心市街地の情報サイトを13年運営し、地域メディアとして自立した情報発信業を展開。富山市中央通りでコムクレープをオープン。クレープブリュレという日本初の焦がしクレープを発売。地域ブランドスイーツとして、ネット通販にて全国から注文が殺到するほか、日本テレビ全国うまいもの博に出展し、全国の百貨店に進出。富山市中心市街地にあるたった一店舗で、年間十万個以上のクレープを全国に出荷している。そして、以前は独立行政法人中小機構基盤整備機構登録の中心市街地活性化タウンマネージャーだった。
誰よりも長く、富山市中心市街地活性化に関係しているだろう。首長も途中で交代している。当局の人事は、長くて一部署には3年。商店街役員も入れ替わった。長年中活に携わる市議会議員もいない。トヤマグドットコムをはじめて、2012年7月で12周年。13年間目に入った。中心市街地のど真ん中に居続けることで、様々な状況に遭遇した。法改正も途中に経験した。当局からの圧力も感じた。商店街組合の慣例に悩まされた。タウンマネージャーとして貴重な経験を積み重ねた。その表と裏の13年の歴史、なぜ富山県の最大の商業エリアが、 現実逃避するお花畑になってしまったか。全国の商店街の視察団は、今度は我が地域にお花畑をつくろうとしていると考えると、やはりお薦めはできないのだ。
■元タウンマネージャーが語る13年
タウンマネージメントに携わるきっかけは、富山市中心市街地の情報サイトを運営する所から始まった。名付けた名前はトヤマグドットコム。地域サイトだから富山の文字は外せない。とはいえドメインは短く。富山に一文字だけ足して、響きが良い単語を探したら、トヤマグという新語となった。友人の企業から頼まれ、なんとくなく始めた情報サイト運営。当時は、中心市街地内とはいえ、商店街からはちょとはずれた立地。商店街生まれでも、育ちでもないので、外様お立場からの取材や撮影がはじまった。まだ、ほとんどの店舗がホームページを持っていなかった時代。メールさえ利用していない。IT活用など、まだまだこれからという状況だった。
本来の広告クリエイターとしての職能を使って、商店街の各店舗の販売促進のお手伝いをさせてもらった。小さな事務所の大きな一歩だったのかもしらない。トヤマグドットコムは、無報酬で運営。とにかく商店街の情報なら何でも掲載した。メインは物販店。ファッションが強かった商店街なので、お店に何度も訪問し、その取扱ブランドを理解した。飲食店200店舗近くは、自腹で食べ歩きした。完食したメニューを撮影し、トヤマグドットコムで掲載しつづけた。美容院をはじめとするサービス業も、まずはお客さんとなって来店した。今まで入った事のない美容院に突撃した。まずは、この中心市街地で何が売られているのか知りたかった。いや、知らないと話にならないだろうと思った。
少しずつ名前と顔を覚えてもらった。若いお店から老舗まで。総曲輪通り、中央通り、西町の三大商店街から、大手モール、千石町通り、太田口通り、花水木通りと袖の商店街まで足を運んだ。総曲輪通り商店街の組合で、年間販売促進を担当するチャンスをもらった。富山大学からの依頼で、生徒数名を預かって、一年かけて総曲輪通りを調査もした。NTTドコモとコラボレーションして、おサイフケータイのキャンペーンを商店街で展開し、ケータイで撮った写真でつくった写真集も出版した。コミュニティエフエムで番組を持った。1クールの間、駐車場無料化をテーマに放送した。そんな甲斐もあって、富山市中心市街地の駐車場を2日間無料開放するタウンマネージメントも実現できた。
■富山県最大商圏からお花畑への歴史とは
この13年間の途中から、あることをきっかけに、私は富山市中心市街地活性化からの表舞台から姿を消す事になった。わかりやすく言えば干されたわけである。干された結果、富山市独特のお花畑構造に気づく事になった。あのまま、富山市の中活当局から報酬が税金で支払われるタウンマネージャーだとしたら、私は何ひとつものを言えない人間になっていた。おかしいと感じる政策にも、長い物には巻かれろだっただろう。しかし、干されることで、自立の道を歩んだことで、中心市街地活性化の中でも「イチ」の活性化には、商店の自立における経済の拡大再生産の道しかないことにも気づけた。当時はまだ若いタウンマネージャーだったので戸惑ったが、その環境は衰退する商店街に必要な「たくましさ」を身につけさせてくれた。
この13年間をわけると「TMO構想時代」「中心市街地活性化基本計画認定第1期」「中心市街あ地活性化基本計画認定第2期」となる。富山市への視察団が増え、全国的にも中心市街地活性化が注目を浴びたのは「中心市街地活性化基本計画認定第1期」である。富山市は青森市と同時に、国から一号認定を受け、モデル都市になった。その前の時代に、TMO構想時の富山市がある。前市長の最後の任期。思えば不思議な状態だった。まちづくり3法改定前は、TMOつまり商店街を活性化させるためのタウンマネージメント機関を設置し、様々な主体が参加するまちの運営を横断的・総合的に調整し、プロデュースする役割を持たせた。簡単にいうと商店街をひとつのショッピングモールのように捉え、新しい商業エリアとして復興させる政策。それぞれの商店街をつなぎ、行政と市民のパイプとなるはずだったのが、全国で認定されたTMOことまちづくり会社だった。
どちらかえといえば、中心部にまとまっていた富山市を、郊外型の都市に導いた前市長最後の政策がTMO構想。なぜと疑問を感じてしまう。当時を知る市議会議員にも聞いてみた。理由はよくわからないそうで、花道的な要素もあるかもれないという解答だった。そして、もうひとつ理由らしきものがあった。チャレンジショップ「フリークポケット」の誕生だ。富山市中央通り商店街のある姉妹が、加速する商店街の空きテナント解消のために、もっと若い人が気軽に店舗を構えられるようなふ化装置をつくりたい。そんな思いで自主的に行動し、商店街組合を説得し、若い商店主(地権者の娘姉妹)が自立して始めた事業だった。まだ、中心市街地活性化も商店街活性化も、さほど認知されていない時代。パイオニアなりの苦労があったろう。それが、見事成功し、商店街に具体的な実りがあった。
■思わぬ大量視察が狂わせた歯車とは
この1997年に始まったミニチャレンジショップ「フリークポケット」が、富山市中心市街地の最初の歴史といっていいだろう。私がトヤマグドットコムをを始める3年前の話。知り合いが出店したことで、間接的にその存在を知ることになる。商店街の空きテナントを改装し、2坪ほどの小さな店を集積。商売をしたことのない若者に、格安の家賃で貸すことで、自分の店を持つという夢を商店街サポートしようという試みだった。フリークポケットで1年間修行し、商店街に自分の店を持ってもらうことで、商店街の空きテナントを埋めていく構想。この方式はずばり成功し、多くの若者がフリークポケットを卒業し、商店街の空きテナントも埋まって行く。また、フリークポケット自身も、サブカルチャーな要素がうけて、若いお客さんを集客した。開始後2年までは、とても順調だった。
商店街の商店主、しかも次世代の地権者が自主的にはじめて活性化事業。とても良いスタートが、富山市のTMO構想認定で株式会社まちづくりとやまが設立されて、歯車が狂った。まちづくりとやまの最初の仕事は、このフリークポケットの監理を商店街から移管して、まちづくりとやまの事業とされたことだと思う。移管すること自体は間違いではないが、今思えば、商店街の自立を、富山市当局が自らの成功事例としてしまう前例にもなってしまった。無論フリークポケットが軌道に乗れたのは、富山市当局の補助もあったろうし、その他サポートもあったはず。とはえいえ、1997年フリークポケット誕生から、2000年まちづくりとやまの主幹の移管で、もっと大事にすべき部分は「商店街の自立した活動」であり、富山市の中心市街地活性化事業第一号とすべきだったろうか疑問なのである。なぜ、自立をクローズアップしなかったのか。そこには「視察」が関係している感じる。
中心市街地活性化や商店街活性化で、たいした事例を持たなかった富山市。フリークポケットの成功が全国に伝わったことで、彼らが驚いたのは、全国の自治体や商店街からの「視察」の数だったと思う。当局が自らはじめた事業ではなかったことも、驚きに拍車をかけたはずだ。当初は商店街の若手が考えた、現実味のないチャレンジ企画が、ビジネスモデルとして成功すると、こうも全国から注目を集めるものかと驚愕したに違いない。地方の自治体が、全国から注目の的になることは珍しい。活性化というテーマで注目を浴びたのは、富山市として初めてだったろう。そのときの感覚、そのときの感動が、のちに富山のまちづくりに大きな影響を与えることになる。「視察病」。私はそう呼んでいる。
■本来は商店街の自立が脚光あびるべきだった
富山は保守王国と呼ばれるお国柄だ。あらゆるジャンルで官主導が色濃く、市民の自立は目立たない。逆に、市民も官からの補助金に頼るケースが多いのかもしれない。富山市中央通り商店街発のフリークポケットは、商店街の自立が脚光を浴びるべきで、当局の自慢話にするべきじゃなかった。このフリークポケットの成功がなければ、TMOを富山につくろうという発想はなかったかもしれない。全国から注目をあびて、視察の数が活性化のバロメータとなってしまった「視察病」は、2012年現在まで続いていると感じる。2006年に私は香川県高松市丸亀町商店街に取材に行ったことがある。丸亀町商店街再開発はどう進められたのかを当時の常務理事に聞いたのだが、その印象は民間主導だった。市も県も国も、日本で再開発における中心市街地活性化の成功事例である丸亀町商店街に、毎日いろいろ聞いてくるとの話だった。
丸亀町商店街は、確かに商店街が一念発起し、自ら描いた理想を実現すべく、商店街の人間が動いた政策だ。強いイニシアチブをとった商店街は、市も県も国も動かした。自ら借金し、駐車場建設など投資も行なった。途中も丸投げにすることはなく、現在も商店街ありきで活性化は進む。富山は、どうだろう。官が強い。元々の風土も伴い、官製の中心市街地活性化の様相だ。これは、良い面と悪い面が存在する。官主導の商店街活性化は、商店街がものを考えなくて済む。事前にメニューが決められ、すでに用意されている補助金と活性化策に便乗したら良い。他県からは想像つかないかもしれないが、今の富山市には本当にある現象。自ら努力することなく、100万円で商店街キャラクターがつくれたり、たいして望んでもいないのに、商店街に交流スペースが空き店舗対策ですんなり作られる。
悪い面を言えば、困った時の補助金という体質にどっぷりつかると、自分たちで予算をつくって、リスクを背負って事業をしようなどの発想には、二度と戻れない。過去、富山の商店街も自立のチャンスはあった。フリークポケットの監理を、まちづくりとやまに移管せず、最後まで自分たちで面倒をみたら、3年目のから衰退は加速しなかったかもしれない。中央通りも現理事長に交代した2000年がチャンスだった。現状の商店街にスターバックスコーヒーなどのリーシングをしていたときまでは良かった。再開発の道を選んだときから、補助金なしでは成立しなくなった。総曲輪通りも2003年に開催された総曲輪フォトグラフィックストリート開催が最大のチャンスだった。若い販促委員会が大きな仕事をした。それを、執行部は評価しなかった。翌年から、やる気のある若手商業者は、商店街振興事業に参加しなくなった。
■執行部が牽引テナントではない現実
鶏か卵か。官主導が強い地域だからか、商店街が自らの自立の目をつぶしてきたからか。今思えば、後者の責任は大きい気がする。なぜ、自立の目を、自ら経つのか。私が考えられる理由は2つ思いつく。ひとつ目は、商店街執行部の店舗が、この商店街で商売をしていないことが要因に考えられる。富山市中心部の三大商店街といわれる、中央通り・総曲輪通り・西町。その理事長をはじめとるする執行部は、どんな店舗で形成されているか調べてみた。
富山市中心市街地の中心商店街には、2つの協同組合と3つの振興組合がある。5人の理事長が存在する。それぞれの方の商売は、展示会が販売の中心となる呉服店であったり、中心市街地店舗をアンテナショップとし、郊外店と県外店での売上が主な収益源であったり。ましてや、中心市街地に事実上店舗を持たない立場の方もいる。そして、全員が地権者であって、家賃リスクのあるテナントではない。中心市街地の集客を牽引するファッション店とは、まったく異なるターゲット層が顧客だろう。
つまり、商店街を牽引すべき執行部が、実際には商店街で商売を重要視していない。実際に商売をしている我々とは、意見が同じはずになるわけがない。私たちは今日の売上で右往左往する。店頭での売上がメインの収益事業ではない執行部には関係のない話。再開発は、テナントには関係ない。富山の新幹線開業は、流出するほうに影響があり、観光客誘致は夢のまた夢である。また、富山市中心市街地を牽引するテナントに、観光政策はあまり関係がない。牽引テナント=商店街執行部が理想なのである。しかし、富山の現実はそうではない。
富山市の中心市街地が、通行量が現象しても、年間の小売販売額が大幅に下がっても、ぎりぎりテナントが残っていて、しかもお洒落なファッション店が現存できているのは、商店街振興策のおかげでもなく、当局のにぎわい創出のおかげでもない。まちがいなく個店の努力と、ネット通販への取組などのウェブ対策にあるだろう。自立して、自活しているのだ。商店街組合活動に依存はしていない。牽引テナントは、価値観も危機感も、商店街執行部とは共有できないので、商店街組合活動にも距離をおいている。なので、商店街組合は機能していなくても、組合員から追求されることはない。それをいいことに、執行部は商店街振興をすることもなく、できもない再開発や、年に一度しかないイベントに執着する。これが、現実である。
■現実や課題を外にみせない影響力
では、商店街組合としてほとんど商業振興策をとらない、つまりやる気のない商店街は、ほおっておけばよいという考え方もある。自浄能力がないのだから、自然淘汰されるのもひとつの選択だろう。議会で、そこに血税を投入していいのかと疑問を投げかける市議会議員がひとりぐらいいてもいい。ただし、富山の場合はそうはいかない。中心市街地活性化基本計画一号認定された以上、淘汰されましたではなすまない。そこで、当局は、商店街組合が望んでいようがいまいが、牽引テナントと関係あろうがなかろうが、補助金をつかった振興策を与える。商店街組合に関係なくとも、にぎわい創出事業を計画する。一号認定としてのメンツもあるだろうが、最もな要因は視察病にあると感じる。
富山の中心市街地活性化が、全国的に注目されたのは1997年。その2年前の1995年から2012年現在までの、富山市中心市街地を訪れた視察団数をとりよせた。結果は以上である。
◎富山市中心市街地活性化を目的とした視察団の訪問回数
平成18年度46件 2006年
平成19年度93件 2007年
平成20年度80件 2008年
平成21年度40件 2009年
平成22年度41件 2010年
平成23年度49件 2011年
他県の中心市街地への視察数は定かではない。それでも、最高視察数の年に、4日に一度の視察があるのは脅威に感じる。富山はPRが下手な県と言われる。下手なゆえに何かと「富山ってこんなにすごいのだ」という自慢に終止しやすい。富山市中心市街地活性化をとっても、ふりあげた拳は下ろせない。偶然にも、自らの露出が全国にされることにとても執着する首長がいることも拍車をかけた。そのバロメータであり、エネルギー源が、視察である。時折、ネット上で富山市中心部を視察した商店街や議員の感想を、ブログなどでみつけることがある。決まってこう書いてある。「セントラムやグランドプラザなど恵まれた環境であるが、商店街に人がない」。ごもっともな意見だ。商店街や商店の顔がみえないという声もある。予備知識なく富山市中心部を訪れたら、街としては奇麗だし、コンパクトなまちづくりにふさわしいインフラは整備されている。
それは、官主導の恩恵の賜物であり、商店街が自立してすすめた事業ではない。当局と商店街組合はほとんど連携されていない。当局の事業を「地主」たちが承認しているだけのようにも見える。ましてや、牽引テナントと当局とは、何のコミュニケーションもないだろう。現実この商店街で、こんな状態でも集客できる店が牽引テナントであり、その既存客も満足とはほど遠いところで、当局は自己満足な事業を展開する。基本計画にふさわしいという基準で、現実の我々の大事なお客様へのサービスや満足とはほど遠いだろう。全国から注目されいている富山。これをいったいいつまで取り繕うのか。2012年9月に、日経MJで富山市の中心市街地活性化が採点された。公の場で、はじめて富山がダメだしを食らった日でもあった。
■富山のTMOはお花畑の象徴ではないだろうか
最後のお花畑の象徴として紹介したいのは、やはりTMOの存在である。まちづくり3法改定前、つまりTMO構想時代は、商店街と商店街、商店街と当局をつなぐ役割があった。それに努力していた気配もあった。ところがまちづくり3法が改定され、その存在意義が見なくなったとたん、富山のTMOである株式会社まちづくりとやまは、中心市街地活性化協議会の事務局という何とも機能性のないポジションからリスタートし、あげくの果てには、商店街組合の同意も意思もあまり尊重せずとも、中心市街地内でにぎわい創出的な商店街振興策もどきを、勝手にすすめられるポジションになっていた。商店街にやる気がなければ衰退する。するなれすればいいのだが、まちづくりとやまはその衰退を隠すように、体裁を保つように、商店街とは関係なく、あたかもこの地域は商店街振興に努力していますよとばかりに、中身のない、蓄積されない、補助金がなければ継続されないにぎわい創出に躍起になる。
法改定とともにTMOを廃止した都市はある。富山と同時に中心市街地活性化基本計画一号認定された青森市がそれにあたる。富山にもTMOは本当に必要なのかと商業者の立場で尋ねられたら、私は必要ないと答えるだろう。法改定された原因のひとつは、全国のTMOが機能しなかったからとされた。富山も該当する。しかし、検証はされていない。活性化できなかった一翼の組織が検証なしで、責任問題無しでのざらしとなっている。商店街に貢献した思われる2つの事業、フリークポケットは商店街から主幹移行され、駐車場無料デーは私がタウンマネージメントしたもので、自ら考えたものではない。これといった実績のない十数年。結果、お花畑の象徴では、一体なんのために存在しているのかわからない。
商店街振興として成功事例をつくれないTMOの存在。にぎやかしの予算消化はできても、まちづくりとやまが自立して成功した事例はないだろう。2011年。富山市総曲輪通りに、あるスペースが完成した。「富山まちなか研究室MAG.net(マグネット)」である。富山大学生らが、富山市中心市街地活性化を目的とした研究や活動の中心とするために設けられた。補助金事業として学生参加のまちづくりは、全国どこにもである。問題はその名称だ。私たちが運営するトヤマグドットコム。そこから派生した事業に「マグビー」という地ビール事業や、「マグチケ」という中心市街地ポイント事業がある。そこに「マグネット」という名前がつけられた。私たちと関係があるのか?と一部誤解も受けた。そこで「なぜこの名称になったのか」を問い合わせてみた。
まずは、富山大学からの返答。
「富山まちなか研究室MAG.net」の名称決定は、先ほど電話で回答させていただいたとおり、「(株)まちづくりとやま」が主体となり、「まちなか研究会検討委員会」において当該名称を決定したと聞いております。名称を決定したのは本学ではありませんので、本件に関する詳細については、「(株)まちづくりとやま」にお問い合わせ願います。
そして、まちづくりとやまからの返答。
「富山まちなか研究室」の愛称「MAG.net」は、磁石のように街なかに人を引き付け、この施設から様々なネットワークが生まれるようにという意味を込めて付けられたものであり、同研究室は、大学生が主体となって、街なかの状況を勉強したり、イベントを計画したりするサークル活動的な場所として位置付けられています。愛称は、大学生の提案により名付けたものであり、御社に関わる名称との関連を意図して決めたものではなく、また、類似性があるとは認識していません。
というものだった。原文そのままである。
富山大学はまちづくりとやまが決定したといい、まちづくりとやまは大学生が決めたと主張する。マグ~を当社が商標登録しているわけではない。どんな名称をつけてもいい。ただ、こんな小さな街で、後発事業がわざわざ誤解されそうな名称をつける必要もない。官学協業事業でありながら、問い合せしたら名称を決定したのはあちらだと主張することにも、違和感を感じ得ざるをえない。
その中心市街地や商店街の、年間小売販売額とはさほど関係がない「市民参加」「学生参加」の事業。そこには補助金も投入しやすい。事業内容はイベントなどが多い。結果はイベント開催当日だけの話に終わりがちであり、専門生のない市民や、能力の乏しい学生事業は、結果が求められない補助金消化事業であり、お花畑の象徴とも呼べないだろうか。
■小売年間販売額1000億円のダウンの現実
富山市中心市街地活性化基本計画の数値目標は「路面電車乗車人員」「中心市街地歩行者通行量」「中心市街地居住人口」の3つである。2012年4月、第1期が終了後に達成率が好評された。「路面電車乗車人員」は目標達成率84.7%、「中心市街地歩行者通行量」は目標達成率63.0%、「中心市街地居住人口」は目標達成率89.2%という結果だった。どれも100%にはほど遠いが、これで概ね達成という雰囲気である。
2012年6月に発表された「認定中心市街地活性化基本計画の最終フォローアップに関する報告」での富山市の見解はこうだった。
活性化が図られた(図られなかった)要因(富山市としての見解)
本市では、今後本格化する人口減少や公共交通の衰退、市街地の低密度家などの都市の諸課題に対応するため、「公共交通を軸としたコンパクトなまちづくり」を推進しており、その理念は、串(公共交通)とお団子(徒歩圏)の関係に例えられるように視覚的にもわかりやすい特徴を持ち、市民に広く浸透している。また、この理念の浸透こそが、活性化が図られた大きな要因であると考える。 コンパクトなまちづくりの一環として、中心市街地活性化の必要性や戦略の啓発をしっかり行ったことで、各事業と本市のまちづくりの理念との関連がより明確となり、その結果として多くの市民や事業関係者から理解と協力を得ながら事業に取り組むことができた。また、計画に基づいた各事業が推進されるに従って、実際の成果が現れることで民間の投資意欲が活発化し、計画事業との相乗効果が発揮されたことも、活性化が図られた要因であると考える。
これを成功とみるとか、失敗と感じるかは、立場によって異なるだろう。私が注目したいのは、別の数値目標である。中心市街地の小売年間販売額である。調べたところ1991年の小売年間販売額1973億円が、平成2007年の小売年間販売額953億円だった。13年間で約1000億円もダウンしている。簡単にいうと、中心市街地で物が売れなくなってきている事を指している。そして、店舗が減少していることを指している。売り場面積が減っていることを指している。
●富山市中心市街地小売年間販売額
H6年1973億円
H9年1912億円
H11年1694億円
H14年1513億円
H16年1182億円
H19年953億円
H24年?(2013年発表予定)
小売年間販売額が発表された資料に添えられた富山市の説明は、たったこれだけだった。
中心市街地の小売販売額は大きく減少し、平成19年には平成6年の約48%の 額となっている。富山市全体に占めるシェアも平成6年には35.8%であったが、 平成19 年には18.7%に低下している。
「路面電車乗車人員」「中心市街地歩行者通行量」「中心市街地居住人口」がどれだけ増えても、商店街の売上が下がっていて成功と呼べるのか。同じ一号認定の青森市は、目標に小売年間販売額が入っている。富山は、公式には入っていないため、1000億円減少しても、目標未達成とはならない。だからといって成功では、現実とかけ離れている。本来、改訂されたまちづくり3法は、商店街だけを中心市街地とは規定しない方法だった。地域の一部として商店街があるはずだった。ところが、富山市の活性化策は結果的に商店街振興がメインになっている。
約1000億円減少は2007年までのデータであり、2012年現在までの7年間のデータはまだ算出されていない。一節によればさらに数百億円のダウンという話もある。数値上だけはわかりにくいので、日本一活性化されているとされる富山市の中心市街地に「ない」コンテンツを紹介しよう。全国どこの中心市街地にはあって、富山市中心市街地の主である総曲輪界隈にはないものは、ケータイショップ、ファミリーレストラン、コンビニエンスストア、プリクラ、100円ショップがない。ファッションビルもゲームセンターもない。ドラッグストアも大型電気店もない。牛丼が食べられない。ドーナツも食べられない。ハンバーガーもフライドチキンも食べられない。
これらのコンテンツがないのは、マーケット判断なのだろう。どれだけ活性化していると当局が発表しても、ナショナルチェーン店は「出店する価値のない地域」と判断しているのである。12年で1000億円以上小売総額が下がった市場につきつけられた現実。私は、当局や組合とこの問題への危機感を共有したいと行動するが、臭い物には蓋であり、公的目標ではないので対応するつもりはないようなのである。危機感が共有できなければ、話しあう意味もない。私たち、既存の商業者は個店の努力で集客し、売上をたて、営業を継続している。富山市中心市街地に経済の拡大再生産はおこっていない。目標達成など、まやかしの何者でもない。
今こそ、危機感を共有できる、新しく正しい数値目標がいるのである。
■まずは商店街三分の計を試みる
中心市街地活性化がお花畑状態になってしまう理由のひとつに、3つの基準を混合して考えることにある。私は、イチ・マチ・トチで分けて考えます。商店街活性化三分の計。イチとは商店街マーケットとしての商店街。マチとは地域コミュニティとしての商店街。トチとは再開発リブランドとしての商店街。富山市中心市街地の商店街は、この3つが混同され、それぞれの目標が曖昧になり、それぞれの政策が検証できず、危機感が共有できない。多くの中心市街地でも、同じような自体が発生いているのではないだろうか。
当局が主導するのは、あくまでも地域コミュニティとしての商店街、つまりマチである。インフラ整備やにぎわい創出といった事業が代表である。それらには、商店街にたくさんの人が集まれば良いわけであって、集客できても売上につながるかどうかは関係がない。一日のイベントでも何万人と集まれば成功で、その何万人が商店街の顧客となるかどうかは、別の話。市民参加や学生参加といったプロセスが必要で、商業者が自らの利益につなげる活動と大きく異なる。多くが補助金事業であり、成功の裏付けはにぎわったか、どうか。商店街を地域コミュニティと位置づけは、小売年間販売額とは関係がない。商店街を365日分の1日で考える政策である。
商店街を再開発して活性化につなげる政策は、全国的にも多い。私は、商店街の再開発リブランド、つまりトチとしての発想と位置づけている。その昔は一等地だった商店街。再開発は、路線価も下がり、以前のような家賃設定もできず、建物の老朽化も考慮し、地権者が集まってすすめる政策だ。一瞬、商店街の活性化とも思えるが、そこに商店街の既存テナントの存在はない。富山市の場合も、家賃を払い商店街で商売し、現在の商店街の集客や売上を牽引するテナントは、再開発が決まれば移転しなくてはいけない存在であり、再開発は今日や今週の売上目標を設定して商売するテナントの活性化とはほど遠い。発想としては、365日分の3650日というものだ。10年後に結果が出る。
イチつまり商店街マーケットとしての発想は、365日分の365日である。毎日毎日の商売が勝負であり、例えイベントで数万人集客しても、自分の店の売上に変化がなければ意味がない。再開発事業が決定しても、自分の店が移転をよぎなくされたり、噂がたつだけで集客に影響がでるほか、移転はなくても工事期間中に売上が下がれば逆効果だ。同じ商店街というエリアでも、イチか、マチか、トチかで考えると手法も結果も違ってくる。富山市の小売年間販売額1000億円以上ダウンは、イチとして危機であり、マチにもトチにも関係がない。
マチとしては、売上をあげるのは商業者の仕事という言い訳ができる。トチしてしては、だから再開発が必要なのだと言い訳を与える。危機感が共有できない原因はここにある。これは、数時間議論してもまとまらない。それぞれの立場は、それぞれに成立しているし、正論だ。ただ、マチとしては、商業小売総額が下がれば税収源につながる。トチしては、再開発後テナントリーシングの難しさにつながる。本来は、関連しているが、イチとしての立場ほど逼迫感はない。イチは、イチの住人がお客様のために何ができるか、自ら考えないと解決はできないのだ。365日分の365日は、毎日の活性化は必要という意味である。
■ニーズは検索キーフレーズとなって
多くの市民が、商店街が活性化したと認めるのは、その商店街がに多くの店があり、多くの品があり、買物が楽しめることを指す。毎日の生活や、休日のショッピングに出かける価値のある場所か、どうかだろう。本来は小売年間販売額1000億円以上ダウンではなく、1000億円アップがイチとしての活性化を現わすはずだ。そこで、私がかねてより中心市街地及び商店街の活性化に、新しい指標を導入してはどうだろうと提案している。それが、その中心市街地の地域メディアの検索数やアクセス数である。地域メディアは、商店街のホームページと言い換えてもいいかもしれない。
私が富山市中心市街地で独自にはじめた地域メディア「トヤマグドットコム」。テナントの商品やキャンペーン情報はもちろん、イチ・マチ・トチのすべての情報を掲載し、すべての情報が検索でき、すべての情報を交換できる場として運営している。そこで、こんな調査を行った。2008年9月。富山市の唯一の百貨店である富山大和が、再開発ビル総曲輪フェリオに移転オープンした。オープン前は、富山大和にどんなブランドが入るのか?どんなテナントが入るのか?といった話題で、トヤマグドットコムは情報交流が盛んになった。
富山大和移転オープン時の商店街の集客は、今までにない人出であり、富山大和はもちろん周辺の商店街にも大きな利益をもたらした。イチの活性化策としては大成功だった日である。十億円以上が一日で動いた日でもある。そんな日のトヤマグドットコムのアクセスは15000人で過去最高を記録。その9月の月間アクセス数もトヤマグドットコム史上最高のアクセス数だった。つまり、商店街の売上と地域メディアのアクセス数は、一致することを示している。その後もトヤマグドットコムのアクセス数は毎日カウントしているが、この記録を超えたことない。そして、商店街として全体の売上げがあがった月もないだろう。次が2000年9月のベスト20の検索キーフレーズである。
●2008年9月のヤフー等からトヤマグドットコムに検索でアクセスされたキーフレーズベスト20
総曲輪フェリオ テナント/2118回
総曲輪フェリオ/1811回
トヤマグ/1326回
富山大和/1041回
富山大和 テナント/555回
富山 総曲輪フェリオ/352回
富山大和 フェリオ/345回
富山大和 総曲輪フェリオ/263回
富山 大和/262回
総曲輪 フェリオ/246回
総曲輪/202回
大和 フェリオ/201回
toyamagu/185回
富山 フェリオ/184回
富山大和 オープン/155回
foma905i/151回
総曲輪 フェリオ テナント/118回
大和 富山/111回
大和フェリオ/109 回
総曲輪フェリオ ショップ/109回
富山大和が移転オープンする。そういった期待にわいた2008年9月の検索キーフレーズは、大和が入居するビルの名前「総曲輪フェリオ」もしくは「富山大和」そのものが多かった。注目度=集客数=売上額=検索数=アクセス数とも言えるかもしれない。
イチの活性化の理想は、テナント同士が互いに売上を公開できるか、どうかだと思っている。我々商業者は、やはり互いの売上を気にする。多くの売上を誇る店を尊敬する。多くの店舗を保有する店にあこがれるのが自然だ。売上もない名ばかりの商店街理事長の話など、実は誰も聞く気はない。また、売上を競いあうことこそ、商品開発やサービス向上につながる。商店街の商業者同志が、いつでも売上を情報交換できたら、明日からでも活性化すると思っている。ただ、これを実現することはハードルが高い。他人に鑑賞されず、自分の店を持ちたい人間が、それぞれにテナント契約する商店街。売上公開実現など一筋縄ではいかない。実現するために努力している間に、商店街の衰退はさらに加速する。
では、それぞれのテナントのアクセス数なら、可能ではないかと考える。さらに、地域メディアのアクセス数は、その商店街の集客や売上と比例することを考えると、活性化指標のひとつして掲げても良いのではないか。これなら、売上公開よりも障壁は低い。指標として数値化されれば、誰にとってもわかりやすい。マチの活性化指標である通行量や、トチの活性化指標である路線価よりも、現在のお客様の支持率に近いのではないだろうか。中心市街地活性化や商店街の活性化に、地域メディアや商店街ホームページのアクセス数を採用する。これが私が提唱する「iモールトレンド」である。大手検索サイトのグーグルでは、インフルトレンドというサービスを実施している。特定の検索キーワードでの検索数がインフルエンザの流行の指標となることを発見したグーグルは、インフルトレンドと銘打って検索の集計データを使用してインフルエンザの流行を予測するサービスを提供している。iモールトレンドは、商店街の集客や売上を、地域メディアが予測するものだと考えてもらっていい。
皆さんが、買物をするときに、飲食店を予約するときに、インターネットで検索するはずだ。今ではいたって普通の購買行動のひとつである。商店街で物が売れる場合にも、当然左右される。本来商店街活性化も十分に意識しないといけないはずだが、ネット上での対策は全国でもほとんどとられていないだろう。IT導入が商店街活性化にも叫ばれているが、ホームページの開設やデジタルサイネージの導入といったような部分だけで、アクセス数や検索数を計測するといった地味な作業はなされていないと思う。ホームページのアクセス数や検索キーフレーズを確認しないことは、私からすると、商売はしているがレジの金額は知らない状態。まだ、未確認の自治体や商店街の皆さんは、ぜひ一度アクセス解析をされたほうがいい。活性化のヒントがたくさん詰まっている場所が、アクセスログである。
■iモールトレンドは活性化の新指標である
このiモールトレンドの考え方を、私が在住する富山市、富山市と同時に中心市街地活性化基本計画一号認定となった青森市、富山市と比較されやすい隣県金沢市に対して取材を試みた。結果、次のような解答をいただいた。
●富山市の場合。解答いただいたのは富山市都市整備部中心市街地活性化推進課。
質問は、活性化の指標に、地域のメディアでの検索数を入れる、 という考え方についてどう感じますか?
基本計画における目標指標とは、計画に掲げた目標の達成度を客観的に判断するために設定されているものであることから、「地域のメディアでの検索数」を本市の基本計画の目標指標に設定することは馴染まないものと考えている。
●青森市の場合。解答いただいたのは青森市経済部商店街振興課中心市街地活性化チーム。
質問は、活性化の指標に、地域のメディアでの検索数を入れる、 という考え方についてどう感じますか?
指標については、第2期計画の策定時に議論されることとなると思うが、 中心市街地活性化の進捗状況を計るためには、 各種事業の実施によって得られる成果(アウトカム)が 何であるかを踏まえたものを設定する べきと考えることから、活動指標(アウトプット)の設定は避けたい。 何を持って「活性化した」と言えるのか、その状態を評価するには どのような指標が適しているのか、この問題は非常に難しいものであり どの都市も同じ悩みを持っているかと思います。 ご提案いただいた「地域のメディアでの検索数」については、 検索者側の興味関心度を図る上では適当な指標となるかもしれませんので、 市民等の中活に対する関心度を図る指標としては良いかもしれません。 しかし、そのメディア検索数という活動結果は、中心部への来街者数や小売販売額に比例しているとは言えないかと思います。 したがって、前述したように、活性化した状態をどのようにとらえる のか、これは各市が中活計画に掲げる大目標の設定によって違う指標が 設定されるべきだと思います。ただ、一方では、中活を進める意義の中 で、都市経営の観点から“地価の下げ止まり”、つまりは固定資産税 収入の維持というものがあるかと思います。そういう意味では、 『中心部の地価』を全都市のベンチマーク的な指標として設定するのもありなのかもしれません。
●金沢市の場合。解答いただいたのは山野ゆきよし金沢市長。
質問は、活性化の指標に、地域のメディアでの検索数を入れる、 という考え方についてどう感じますか?
とても面白いし、新しいと感じている。 調査結果や論文が完成したら教えてほしい。 グーグルインフルトレンドと同じような結果となったら面白い。
これは、三市とも実際に取材に出かけ、直接ヒアリングした結果である。それぞれに考え方が浮き彫りになって、面白い結果となった。中心市街地活性化がにおいて官主導が強いとされる富山市は、提案を明白に拒絶し、商店街の小売総額が中心市街地活性化基本計画目標となっている青森市は、そのリアルな苦悩を感じる。三市の中でも最も商業的に成功している金沢市は、その発想から面白いと興味をしめてしていただいた。ちなみに三市とも本来はスケジュールを半年以上とって、首長への取材を申し込んだ。結果、富山市は担当者への取材となり、青森市は一度はOKいただいたが震災後に予定が変わり担当者への取材に変更。金沢市のみが首長への取材が実現となった。
このヒアリングは、あくまでもマチの活性化(地域コミュティ)を目的とする各自治体へのもで、イチのトップつまり地域の商店街理事長に質問したものではない。いずれそのヒアリングもしてみたい。iモールトレンド研究結果は、私が所属する日本社会情報学会と日本広報学会で論文発表予定である。
■センターリング理論で活性化を試みる
iモールトレンドが活性化の新指標であるなら、中心市街地や商店街を活性化の根本的に変える理論がある。iモールトレンドの新指標をベースに、商店街を活性化させるには、今までとは異なる商店街活動が必要である。考え方はこうである。2002年に提唱したセンターリングという発想から、富山市の中心市街地活性化と、地域メディアであるトヤマグドットコム、その管理人である私を例にした内容となっている。その名も「センターリング理論」である。
地域商店街活性化のための地域メディア(トヤマグドットコム)が存在してきた。 メインコンテンツのショップインフォの店舗情報が左回りの外輪で遠心力をつくり、 タウンボイスのユーザー情報情報が右回りの 内輪で求心力をつくる。 立地的中心から、情報の中心を目指した「センターリング」発想で、 それぞれの情報が、勢い良くまわることで、 情報同士(行政と店舗視点と顧客発想)が ぶつかりあい摩擦が生じる。 その摩擦は地域商店街活性化の火種である。 両輪の情報をまわすブースターである 「フロムトヤマグ」を使って、 情報をより強力に内と外にまわしつづけることで摩擦に耐え、 乗り越えることでトヤマグ管理人として成長していった。
地域商店街情報により、店舗視点の遠心力と 顧客発想求心力でセンターリングを形成することで、 従来の商店街運営のような輪(護送船団方式)ではなく、 ITタウンマネージメント方式で 渦(新しいマーケット)をつくれたとしたら、 トヤマグ管理人は地域商店街を活性化できるタウンマネージャーとなったことになる。 その摩擦に、管理人が摩耗してしまえばサイト閉鎖となる。 逆に、摩擦に生じる火種でうまく発火すると、 秩序ある波風(商店街活性化)が立つ。 嘘や中傷で発火を誤れば、炎上するときもある。
ちなみに、内輪と外輪の回るスピードは、 地域メディアのユニークユーザー数と延べユニークユーザー数、 サイトの情報量に数値化され「サイト内外の検索数は、商店街や商店の「売上」と関係してくる。 地域メディアで、内輪と外輪とブースターを 「別々」に保有するプラットフォームは、 トヤマグドットコムをプロトタイプとする「iモールプラットフォーム」だけであり、 他の地域SNSやブログでタウンマネージャーが誕生しにくいとしたら、 摩擦を発生させないプラットフォームの仕組みと情報アップ方法にも関係がある。 プロデューサーH的なタウンマネージャーが日本で稀だとしたら、 それは日本には、タウンマネージャーを育てる地域メディア 「iモールサイトプラットフォーム」が、 トヤマグドットコムだけしか機能していないからである。 トヤマグドットコムのようにiモールプラットフォームでの地域メディア運営が、 サイト管理人を戦略的にタウンマネージャー(摩擦に耐えうる人材) としてプロ化することができたとしたら、 地域メディアを収入源とした税による補助金ゼロベースでの、 自立型まちづくり会社の運営もタウンマネージャーを中心に可能である。
地域情報で「摩擦」を発生させることができる地域メディア (iモールプラットフォームで構築されているトヤマグドットコム)は、 偶然にサイト管理人にさまざまな経験を与え、 それを乗り越えるノウハウ (販促方法やIT戦略、テナントリーシング能力、 タウンマネージメント能力)を身につけさせ、 地域メディアを経済の拡大再生産を実現するビジネスモデルとして進化させ、 10年以上の歳月をかけて、地域から収益の得られるタウンマネージャーに成長させたのである。
これは、私がサンプルとなって富山市中心市街地のタウンマネージャーとして経験したことである。地域メディアの情報発信力は遠心力となって、商店街や個店の情報を全国に広げた。お客様から書き込まれるニーズは求心力となって集客効果となる。そして、遠心力と求心力の間に生まれる摩擦。この摩擦が、活性化だと言いたい。
■活性化とは秩序ある摩擦である
自己投資し、毎日の売上に右往左往する商店街の商業者。イチの住人には、活性化が失敗した場合は、商店街からの撤退や破綻という結果がある。危機感を常にもって、365日商店街で商売をしている。そこに、イベントで集客すると売上があがるというマチの発想や、再開発を実現させて商店街をリセットするというトチの発想を持ってこられると、まともに会話は成立しない。1000億円以上下がった小売年間販売額を意識しない立場の皆さんには、撤退と破綻もない。自ら利益を出さなくても、補助金でイベントも再開発も可能である。たった一日の集客に補助金を湯水のように使うにぎわい創出や、できるかどうかも未定の再開発計画を、私はお花畑と呼ばずにはいられない。こういう発言を、地方の小さな商店街で発すると、それは、波風が立つはずである。皆わかっていて黙っている。我慢している。その予定調和な活性化策に意見を言わない限り、活性化が成功などと言えるのだろうか。
私が運営する富山市の地域メディア「トヤマグドットコム」には、これだけの機能と目的もある。ひとつは、中心市街地及び商店街のすべての情報公開。ふたつ目は、関係するすべての意見集約。3つ目は摩擦を起こす触媒。誰かか声をあげないと、活性化など生まれない。皆が同じ意見のはずがない。皆が同じ知識なわけもない。このイチに何が必要かを、当局や組合、テナントやお客様の立場で情報交換することが、理想である。なんちゃって活性化や活性化ごっこが通用する時代ではない。お客様もそんなに甘く無い。いわゆるガチで、全方位で話し合う。地域メディアを使って、波風を立てる。民間レベルで、私がおこした波風の結果、良の摩擦と負の摩擦がおこった。それを紹介したいと思う。
◎良の摩擦をおこせ
富山市中央通り有限会社エスニックワールドの場合「民間再開発ビルminimall091」
私が自ら商店街にコムクレープを出店する際、そのすべてを相談したのが老舗レディスファッション店シーバースを経営するエスニックワールドの高松社長だった。高松社長は、私がトヤマグドットコムを始めたころからの理解者で、私のタウンマネージメント方法にも耳を傾けてくれた。商店街の副理事長を務めていらしたので、商店街事業のチャンスも多くいただいた。歳は親子ほど離れているが、二人で商店街活性化について話す時は、それを無視してお互い言いたいことを言い合った。時には罵声もとびかった。トヤマグドットコム上でも、掲示板内でやりとりは公開された。それぐらいに真剣な内容だった。活性化ごっこではなかったろう。そして、ついに私がリスクを背負って出店する際に、自らが保有するビル内に出店しないかと誘われた。場所は富山市中心市街地の一等地。当初は躊躇したが、腹をくくって出店を決めた。問題はそこからである。
当初、空いているスペースにコムクレープを作るだけだったはずが、同フロアにある自身の店も改装し、その広報に5坪ほどの民間チャレンジショップを作ろうと思うと告げられた。それをプロデュースしてほしいとも同時に告げられた。それが、現在のminimall091だった。私も数百万円、高松社長も数千万円を借入しても大事業。民間のビルの民間の再開発。補助金など一円もない。投資後の回収は必須のプロジェクト。3店舗のチャレンジショップのテナントリーシングと、コムクレープの店舗設計を同時にこなしながら、必死に進めた。その間も、打ち合わせでも、トヤマグドットコム上でも、互いに議論はつくしあった。途中にすべて頓挫かという危機もあった。
互いに波風をたてたことで、信頼できる関係にあったと思う。私も高松社長に甘えることなく、結果を出した。2004年4月。民間再開発minimall091はオープン。高松社長の店であるシーバースは完全リニューアルし、コムクレープもスタート。それから2ヶ月は毎日行列が続いた。3区画あったチャレンジショップも埋まり、新しいオーナーが商店街で商売をすることになった。なあなあの関係では、短期間の実現は無理だったろう。高松社長がまだまだ若造だった私を信じてくれたことにつきるとも思う。裏切らない結果を出すために、互いに言うべきことは言った上での成功だと思う。これが、リスクを背負った経営者の、商店街活性化の事例だとも思う。
◎良の摩擦をおこせ
富山市荒町有限会社ホリーズプラニングの場合「民間商店街商品券事業マグチケ」
堀井社長は私は同世代。古くからのトヤマグドットコムの理解者で、会えば商店街活性化についてよく話す仲である。トヤマグドットコムの加盟店であり、富山市中心市街地でショウワをはじめとする5店舗を経営している飲食店オーナーとして尊敬している。とはいえ、お互いのマーケティングや商品開発、スタッフ教育の理論や手法に関しては、一切妥協はしない。仲は良いが、プロ同士としてつきあっている。そんな堀井社長が、ある日こんな相談を私にしてきた。「当店で商品券をお客様に発行したい。それをトヤマグ加盟店で使えるようにしたい。その財源はすべて当社が出す」。耳を疑う相談だった。何度も聞き直し、何度も忠告したが聞いてくれなかった。とにかく、商店街のお店に恩返しがしたいと一点張りだった。
本来なら、商品券を発行するなら商店街組合の販促であったり、公的な財源が主なパターン。堀井社長は自らの売上を財源に充てた。ホリーズプラニング各店で利用金額の5%の商品券「マグチケ」を配布。ホリーズプラニング各店で利用できるのはもちろん、コムクレープや先に紹介したシーバースなどトヤマグ加盟店でも商品券として使える。トヤマグ加盟店で利用された分は、ホリーズプラニングが現金に換える。マグチケが自店に戻ることは喜ばない。トヤマグ加盟店で使われればと望んでいた。結果、マグチケ回収期間4ヶ月間での戻り率は00%。枚数は000枚。予想を超えた回収率だった。トヤマグ加盟店で回収した分だけ損をするはずなのだが、堀井社長はじめホリーズプランニングのスタッフは、お客様に丁寧に説明した結果だった。
公的な商品券事業では、この結果はでないかもしれない。トヤマグ加盟店の中には、その財源を聞いてマグチケ回収後に請求しなかった店もあったぐらいだ。日々のふたりの商店街はどうなる?という会話から生まれたマグチケ。マグチケを始める前に「事業叩き」なるものを堀井社長に提案した。市議会議員や当局職員、商業者の3つの立場の方々から「マグチケは失敗する」を前提に、この企画を否定してもらった。否定のひとつひとつを検証し、打たれ強い企画となってスタートしたのだ。自己投資だから無駄にするわけにはいかない。お客様がよろこぶタウンマネージメントを実施しないといけない。誰にも頼まれていない商品券事業。失敗すれば非難されるリスクもある。それでも堀井社長は、自ら摩擦を起こし、波風を立てたのである。
◎負の摩擦を経験すると
株式会社まちづくりとやまのタウンマネージャーへの圧力問題
協同組合中央通商栄会の組合員申請拒否と不当な賦課金徴収問題
秩序あるといっても波風は、波風である。地方では、本音を思い切って発表することはむずかしい。商店街は村社会でもある。出る杭はおのずと打たれる。商売もしづらくなるだろう。それでも、摩擦をおこすよそ者、若者、馬鹿者が全国で必要とされている。私の場合は、13年の時間のなかで、当局に対しても、組合に対しても提案をしてきた。ネット上でも、直接の会談や取材でも。その結果の摩擦は、先に紹介した良のものばかりではなく、負の摩擦も発火してしまった。現在係争中でもあるので、ここで紹介することは控えるが、結果が出次第、トヤマグドットコムなどで発表する。ここで言いたいのは、活性化とは秩序ある摩擦であり、現状を打破するエネルギーでもあるということだ。
■タウンマネージャー議員は輩出せよ
ここまでに、富山市の中心市街地活性化は、危機感を感じないお花畑状態であることをお知らせした。なぜ、富山市はお花畑になってしまったかの歴史も独自に解析してみた。年間小売販売額1000億円ダウンの現実も書いた、そして、それらを具体的に解消する「中心市街地及び商店街のイチマチトチの三分の計」「検索数を活性化指標にするiモールトレンド」「遠心力と求心力と摩擦のセンターリング理論」を提案した。では、自らの商店街の危機なのだから、自らの努力で改善すればよいではないかとの声があるだろう。13年間、本当にいろんなことにチャレンジした。単発での成功を繰り返しても、翌年にはなかったことにされる現実と向き合いました。私は、富山ではイチの人間でありながら、商店街に所属できない状態である。数年間組合費は納め続けさせられても、地権者でなくテナントであるという理由で、組合員の権利がまったくありません。商店街の組合員でなければ、活動をすることも、トップを選ぶ選挙に参加するも、予算の使われ方にも意見もいえない。
これだけの「事実」を日々つきつければ、当局も無視します。商店街も無視します。TMOも無視します。無視だけならまだ良いほうです。ひとりではどうしようもない。仮に私が富山市中心市街地のお客様の声を代弁していたとしても、ネット上でしか活動できない。タウンマネージャーとしての登録も解除され、ほんとに何の権利もない。そこで、考えたのが「タウンマネージャー議員」です。
1000億円を回復するには、1000億円下がった不満を解消し、お客様にもどってきてもらうしかありません。そのためには、イチ・マチ・トチの関係者に影響を与えられる立場の人間が必要です。現在はイチの代表者である商店街理事長はお客様が選挙で選ぶことはできませんし、お客様が意見をのべる機会もない。マチのトップである首長は選挙で選ばれますが、商店街活性化だけが仕事ではなく、選んでいるのは市民であってお客様ではない。トチのトップは各再開発組合の理事長となりますが、こちらのトップ選出に対しても、お客様は意思表示できない。ただし、タウンマネージャー議員という名の市議会議員なら、お客様が選ぶことができる。お客様の代表者として、イチ・マチ・トチに意見が言える。
私が定義するタウンマネージャー議員とは、中心市街地活性化の専門家を目指す市議会議員である。商店街活性化にはタウンマネージャーは必要だと言われているが、タウンマネージャーは公的資格を必要とする仕事ではない。テストに合格して免許を取得し、職業として成り立つものではない。専門家であるが、医師や弁護士とは異なり、身分保障も就職先も収入もとても曖昧である。よって優秀な人材は集まらない仕組みであり、若い人が挑戦するような価値もない。勉強したくても本格的な学校もない。まちづくり3法が改訂されても、タウンマネージャーは必要とされている。全国でタウンマネージャーと名乗って仕事をしている方はいるが、基礎的な能力は一律ではない。国から派遣やコンサルタント契約、縁故や公募など雇用方法もバラバラである。
必要とされている割には、目指す術もなく、職業としても安定していない。そこで、その商店街を活性化するために、タウンマネージャーになってみたい人間がいるのなら、その地域の議員を目指せば良い。過去に有名百貨店の販売促進としていたとか、大手コンサルタント会社で勤務していたとか、一流デベロッパー企業でプロジェクトを手掛けていたといった実績は、イチのタウンマネージャーには通用しない。一番必要な要素は、毎日商店街にいることだ。365日、商店街を駆けずりまわる事だ。次に必要な能力は、その商店街の物販店・飲食店・サービス店のビジネスを知り、個別のアドバイスができるかどうかだ。そして、お客様の最新のニーズやクレームを把握し、クリアできる戦略を考えることだ。また、毎日商店街で起こるニュースを発信し、意見を吸収し、問題提起をし、それを解決する。さらにテナントやお客様の要望をまとめ、当局や議会や組合と対等な交渉ができる能力だ。最後に、それらの仕事を全うしたいという情熱だ。
■全員参加の選挙できめられる商店街代表者
このタウンマネージャー議員は、成りたい人が成ればいいと思っている。若くてもいい。経験等がなくて当たり前。本来、商店街が雇用できればいいが、現実的には無理。だったら、商店街とお客様が、有権者となって議会に送り込めばいい。タウンマネージャーとしての経験を積ませながら、皆で育てながら、4年間責任をもって、指導する。雇用する。理事長は選べなくても、タウンマネージャー議員は選べるのだ。クビにもできるのだ。4年間従事して、お客様と商店街に選挙で審判される緊張感もいいだろう。1名とは限らない。複数候補がいたら、それぞれの能力ややる気をアピールして、全員が目指してもいい。タウンマネージャー議員は、決して商店街に補助金を確保する仕事でない。イチは逆だ。商店街に無駄な補助金を使わせず、自立して売り上げる方法を考えるのが仕事。商店街に居住や修学、勤務などで関係のない方も、無駄な補助金を使わせないためにも、ぜひタウンマネージャー議員を支持してほしい。毎日商店街にいて、毎日必死でイチのタウンマネージャーの勉強をしたら、一般的なタウンマネージャーの能力は、一年で持てると思う。
その商店街の活性化の専門家を、議員として育てる。職業として成立し、誰にでもチャンスがある。4年間集中して商店街活動に取り組めるし、認められれば8年でも、16年でも、24年以上でも続けられる。商店街とお客様で選べるし、その公的な立場は、首長も当局も、組合もTMOも無視できない。私はいい事尽くめの「よそ者、若者、馬鹿者」タウンマネージャー養成方法だと思っている。ただし、選挙での当選は必須条件である。そこは、地域メディアでバックアップする。それが商店街ホームページだとしたら、そこに皆でアクセスを集める努力をして、タウンマネージャー候補の活動も名前も紹介し、ユーザーに知ってもらう。iモールトレンドで当選させるとしたら、候補者の名前が一日30回~100回検索されたら、3000票ぐらいが当選ラインの選挙ぐらいなら当選するはずだ。日々の活動が「就職」につながる。選挙に無駄なお金もかからない。
タウンマネージャー議員には、次の仕事を中心に活動してほしい。これがイチの活性化の第一歩といえるだろう。
○議員活動において、すべての補助金の使われ方をチェックする。情報公開する。
○中心市街地及び商店街活性化を中立的な立場で検証する「第三者委員会」を導入する。
○市民やお客様のクレーム収集と発表と具体的改善の公表し、実行する。
○地域メディア運営に参画し、iモールトレンド導入によって活性化新指標の発表する。
○地域メディア運営の中で、日々あらゆる情報を発信し、求心力と遠心力と摩擦を強化する。
中心市街地活性や商店街活性化は、法律や政治と密接に関係する。そこには、リアルなタウンマネージメントがあると、経験上感じている。よってお花畑化することに、非常に抵抗があるのだ。
現実的には、富山市民も中心市街地を利用するお客様も、富山市中心市街地活性化には、ほとんど興味はないだろう。あるとすれば、街に百貨店ができる、美術館ができるといった大きなニュースのみ。細かい情報は、多くの方の生活とは関係がない。当局にとってみたらとても都合がいい。失敗しても追求されない。成功ぎみなら自画自賛するだけで大成功とアピールできる。その昔に選挙直前に「有権者は寝てくれていたらいい」と発言した政治家がいたが、富山市はそんな状況に感じる。正しい情報を伝えて、正しい判断をしていただくには、 戦場に悲惨さを世界に知らしめるジャーナリストのようタウンマネージャーがいる。
当局には危機感がない。組合は活動すらしていない。できるかできないわからない再開発計画もいまだ続いている。このお花畑状態を、地元の御用学者たちは賞賛し、補助金事業を請け負う太鼓持ちローカルマスコミは、ニュースの核心には触れない。タウンマネージャー議員が、市民や消費者に都合の良い発表だけを鵜呑みにさせず、真の情報を発信する。私が長年トヤマグドットコムで書き綴っても影響力はないが、たった一度だけ日経MJが富山市中心市街地活性化にダメだしするだけで、状況は変わる。タウンマネージャー議員からの日々の発表は、リアルな現実を見つめられる貴重な情報であり、困難を乗り越えられる提案であると思いたい。
■富山市中心市街地の中心商店街とは
私は、青森、弘前、盛岡、仙台、水戸、大宮、千葉、新潟、長野、松本、金沢、福井、名古屋、静岡、浜松、京都、大阪、広島、高松、高知、岡山、福岡、熊本、那覇といった地方都市の中心部や商店街を、取材や視察で見てきた。わが富山市は、地理的にも、歴史的にも、経済的にも、文化的にも、環境的にも中心市街地活性化モデルにふさわしい都市であるとは思う。当局の政策を100%反対するわけではない。商店街のテナントとしての立場、タウンマネージャーとしての立場を理解してもらって、小売年間販売額1000億円以上のダウンに、危機感を持ってもらえれば問題はない。現実を共有できれば、まだまだ可能性はあると思っている。
基本計画目標には入っていないとか、小売年間販売額増は商店街の仕事であるとか、法改定により商店街活性化は中心市街地活性化のすべてではないであるとか。現実から逃れられる答弁はいろいろある。しかし、富山市中心市街地活性化が、見た目何とか体裁を保てるのは、個々に努力するテナントの経営者が、日々の現実と未来への絶望と戦い、努力しているからに他ならない。富山市中心市街地の商店街は、いわゆる日用品が買いそろえられる商店街ではない。郊外SCや金沢市中心市街地を競合とする、百貨店と牽引ファッション店を中心とした、買い回り品が揃っている商店街である。これも現実だ。
イチ・マチ・トチとを分けて考える「商店街三分の計」。地域メディアの検索数を活性化指標に導入する「iモールトレンド」。商店街の求心力と遠心力を強化し、秩序ある摩擦をおこして問題提起する「センターリング理論」。それらを実現する「タウンマネージャー議員」の輩出。13年の研究と検証の結果は、すべて書いた。これらは、すべての中心市街地や商店街に該当はしないかもしれない。それでも、上辺だけのお花畑視察を繰り返すよりも、日本全国の商店街の役に立つ、リアルな情報や検証報告として読んでもらえたら幸いである。こう書いている瞬間、富山市中心市街地では、また新しい課題が生まれているだろう。13年はあくまで通過点であり、この執筆はあくまで分岐点である。全国にお花畑をつくらない、出発点でもありたい。
トヤマグドットコムの検索結果キーワード一覧です。
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