南山城 奇習 奇祭 風物 伝統文化 歳時記

京都転勤族であった私は、その先々で、この様な珍しい伝統と奇習の文化も目にいたしました。
一か所をのぞき、総ての祭事に参加又は見学させて戴きました。

行 事 名 実施場所 行事内容説明
 おんごろどん  京田辺市  子供達が農事に害する「モグラ」を集落から追い出す行事。
 いごもり祭  精華町  暗夜の火祭で集落民は家に居籠り、一切の物音を立ててはいけない奇妙な祭。
 縁たたき  宇治田原町  集落民が集落から悪疫を青竹で叩きだす行事。
 神縄座 南山城集落  南山城に伝わる神縄座の「神縄の色々」です 
 餅花さん  木津川市  本堂一面に竹串に刺した餅を飾り付け五穀豊穣を祈願するおまつりです。
 竹送り  京田辺市  奈良2月堂お水とり行事の「松明」に使用の竹を集落から送り出す行事。
 餅上げ競技  京都市  太閤花見の醍醐寺で男女が夫々重いお餅を持ち上げて耐久時間を競います。
 矢形餅の神事  久御山町  神前に弓の形、矢の形の餅を供える神事であります。
 蟹供養  木津川市  娘に助けてもらった蟹が、娘に恩返しをした。その蟹を供養しています。
 曲水の宴  京都市  平安の庭の清流にのぞんで歌を作り、巡りくる杯を乾す優雅な宴であります。
 県(あがた)祭  宇治市  暗夜の奇祭です。 本サイト「新宇治川十景」暗夜の奇祭に記載しています。
 虫送り  木津川市  子供たちが松明で田畑から害虫を追い出す行事 (未取材)
 大滝祭り  宇治田原町  ウナギにお酒を飲ませて滝に放流して行う雨乞いの儀式
 宇治茶祭  宇治市  太閤秀吉が宇治川の名水でお茶をたてた故事に由来するお祭り。
 隼人舞  京田辺市  大住地区へ移民の薩摩隼人の方が祭礼の宵宮に奉納する民俗舞踊(未取材)
 ずいき神輿  京田辺市  土地でとれた数十種の野菜、果物で製作される神輿です。
 木津川流れ橋潜没橋   木津川に架かる「流れ橋」そして「潜没橋」の風物詩です。 
          文字色は未取材です。 ホームページのトップへ

 おんごろどん (1月10日 京田辺市宮津白山地区 白山神社))
白山地区鎮守 「白山神社」 モグラを叩く 「縄鎚」 子供達がモグラを退治している図

 「おんごろどん」とは、村の農作物に害をなすおんごろ(モグラのこと)を村の子供たちが退治する正月の伝統農耕神事であります。
 退治の方法は、藁に縄を巻いて藁槌(写真中)を作り、集落の小学生達が、「背負い投げ」の様にして大地をたたき、モグラを追い出すのでありますが、行いは宵から行われ、それがまた、古くから集落の子供達のコミュニケーションの場にもなっています。
 白山地区の小学生も減少し、当夜は8名の参加(総員らしい)で、上級生の「おんごろどんの歌」に合わせ、各家庭を訪問し、庭や畑を叩きまわるのですが、叩いてもらった家は、子供達に祝儀をはずんでいるようで、子供達が待ちわびている、正月の子供主体の「モグラ叩き」です。
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☆ いごもり祭 京都府無形文化財指定 (1月11日 京都府相楽郡精華町大字祝園小字柞ノ森18 祝園神社)
祝園神社参道と山門 防音遮光の意で玄関に「ござ」を張った民家 神を迎えるため砂で清められた道
神事の開始前にお祓いを受ける氏子 2日目行事 氏子に担がれた大松明の巡行 3日目行事 氏子達の竹綱引き合戦

 毎年、正月の中旬に祝園(ホウソノ)神社で行われる、集落柞ノ森(ハハスノモリ)の鬼神を鎮めるための行事で3日間続きます。
 中でも、中日のお松明の時からは、暗闇の中に松明だけが燃える奇祭で、暗夜の中で集落の鬼鎮めと豊作等の祈願が行われ、行事が始まりますと、村中が消灯し、音曲は勿論大声さえ慎み、集落民は深く静かに家に「居籠る」のが習わしです。
 静音に心がけ、、料理は「茶椀や包丁の音がするので控え、祭りの名もそこから生まれた様ですが、家庭でも現在の防音装置宜しく、自分の意思を神に理解して頂くため、玄関にゴザ等を張り(写真上段右)、明かりや音が外部に漏れないようにして神事に服します。
 3日目は、居籠るに反して、昼間の境内で、村中総出でワッショイの竹綱引き合戦が展開される等、静動混同の奇妙なお祭りであります。
 ※同様の祭りは、当祝園神社と木津川を隔てた対岸の「山城町の和伎神社」でも毎年2月に行われています。
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☆ 縁たたき (1月14日 京都府綴喜郡宇治田原町大字高尾小字向ヒ坂 阿弥陀寺)
縁たたき行事が行われる阿弥陀寺 縁たたきの行い この日昨年の竹は焼却されます。

 高尾地区は現在13戸を残す過疎集落と成っていますが、それでも「縁たたき」と申します古式伝統行事が継がれています。
 縁たたきとは、村落の長老様にお聞きしますと、源平時代後期から続くもので、現在は集落から一切の厄病追放祈願等でありますが、時代によって豊作や、未だ集落に50戸位が居住の頃は「成人式」の意味合いを含んだことももあり、時の世情で少しは対応された神事に変化があったこともありましたとの事でした。
 行いは、住職様読経(無言)の間に、経のリズムに合わせた様に、次々と長さ1m位の竹を、本堂の縁に叩きつけた割っていきますが、坊様から経が終わるの鐘が鳴らされると、信徒様が立ち上がり、竹割所作が大げさで激しくなり、言葉通り「破竹の音」が鳴り響きく激しい行事でありました。
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☆ 神縄座 (1〜2月 宇治田原町立川糠塚集落)
神縄制作に集合の座の方達 約70数名 神縄制作中の座の方達 集落入口の高台から集落を守る神縄

宇治田原町立川糠塚地区の神縄座
 神縄のことを、同地区では、「しめ縄」「勧請縄」「龍」等と申され、私には、いずれの表現が正しいのか分かりません。
 この集落の神縄は、座員70名ほどが、約5時間をかけて制作され、直径50cm、長さ10m超、胴体にシキミの前垂れがついた、とてつもなく大きいものです。
 出来上がりますと、「神」の名がつく縄でありますのに、何故か仏に仕えられる寺院の僧侶様のお祓いを受け、集落入口の高台(神縄の森)に置かれ、一年の災いの集落侵入を見張り、そして防ぐ大役に就きます。

 見学中、古老様から、神縄が集落の災いを防ぐ役を務めるのはその通りであるが、土地の民話には、「その昔田舎集落に子取りがやってきて、子供をさらって村外れまで連れ去ったが、子供は、「そこにあった縄にすがりついた泣いて救援を待って助かった」事に由来する行事である」等のお話も聞くことができました。

宇治田原町禅定寺地区の神縄 宇治田原町荒木地区の神縄 山城町平尾里屋敷和伎神社の勧請縄
 禅定寺地区入口(府道大石東線沿い)の大木に巻付いて集落を守る神縄。
 毎年1月上旬に制作。
 神縄座の方10数人参加。
 大きさ、太さ15cm、長さ8m位。
 集落入口(田原川神定橋北詰付近)の榊に巻付いて集落を守る神縄。
 毎年1月11日頃に制作。
 龍の形の縄に足が付いているのが特徴も座員数が少ない為か小形である。
 集落に所在の和伎神社の山門屋根裏から睨みを利かす勧請縄(この地方の言い方)。
 毎年2月旧正月、「居籠祭」の時に制作。
 縄のことを勧請縄といわれている。 神社山門の屋根裏に取り付けるので小さいものである。
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☆ 餅花神事 (2月1日 木津川市相楽清水1 相楽神社 府無形民俗文化財)
儀式が行われる相楽神社 儀式開始を待つ巫女さんです。 餅花の接近写真です。
 相楽神社の「餅花神事」
 拳大で、食紅色付の餅を竹串に刺し、神前に供え、五穀豊穣を祈願する神事で、府の無形民俗文化財に指定されているお祭りであります。
 竹串は、粘土を藁で包んだ「ションラマ」と申す瓢箪型の台に差し込んで、行事を行う広い堂一杯に、所狭しと吊下げられて飾られますので、華やかでそこが見所です。
 写真で見えるように、一本の竹串に何個の餅が付き、ションラマには何個の串が刺さっているのか、勘定しませんでしたが、相当数の餅数で、行事が終わった後、各氏子様家庭に配られます。
 言い伝えによりますと、その昔、皇族の方が、おやつのない子供を、美味しそうなお餅で楽しまそうとしたのが始まりとのことらしいですが、それでお餅に派手で美味しそうな色付けがされている意味もわかったような気がしました。
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☆ 竹送り (2月11日 京田辺市普賢寺下大門13 大御堂 観音寺)
お祓いを受け観音寺を出発の寄進竹 竹は集落民によりはこばれていきます。 奈良二月堂「修ニ会」の松明
 
 1250年の伝統を持ち、真冬の寒夜に二月堂の舞台から、竹の柄のついた大松明を観客に突出して火の粉をまき散らす、奈良東大寺二月堂修ニ会(お松明)の行事はあまりにも高名であります。
 この松明を突きだす部分の竹は、山城竹の子の産地、京田辺市から二月堂に送られているのですが、集落では、早朝に根の着いた竹を伐り出して、地元観音寺にてお清めを受けた後、寺子や集落民によって送り出し搬送されています。
 この竹を担ぐのは、集落民や近隣信者様の他、観光見学者も参加させて頂けます他、農産物の直売所等も出店され、早朝の清々しくも賑やかな行事となっています。
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☆ 餅上げ競技 (2月23日 京都市伏見区醍醐東大路町 世界遺産 醍醐寺)

餅上げ競技開会宣言 競技風景 競技風景

 境内においでの「五大力の神」に力を奉納する行事で、男性は150kg、女性は90kgの餅を持ち上げ、その耐久時間を競い、優勝者にはその餅がそのまま賞品として授与されます。
 出場資格は、昨年の優勝者は除く」他、特に制限はありませんので、多くの人が挑戦され、氏子様等は、その日の為に年中トレーニングを重ねられていますし、各社報道関係者もこられ賑やかな行事であります。
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☆ 矢形餅の神事 (3月6日 京都府久世郡久御山町大字下津屋小字室ノ木98−1 室城神社)
町内からお餅が奉納されてきます。 弓の形をしたお餅(白い部分) 矢の形をしたお餅

 町内60戸のうち、当番となった3戸が、写真に写しますとおり、弓の形をしたお餅3個、矢の形をしたお餅3盆を作り、他にお供えのニンジン、大根なます、目の黒い魚、野菜類を、舟といわれる大きな台に積み、神主様の先導で境内に運ばれ、神前に飾り付けてお祭りの行いが始まります。
 悪病退散祈願が終了後、お餅は参列者等に配られますが、頂いて食べると、厄病よけになるということで、私も戴きました。
 行いは、聖武天皇のころより始ったといわれ、当時は本物の弓矢を奉納されていたのが、何時のころからかお餅にかわったそうであります。
 境内は、側する木津川の洪水で流されるまで、神社と寺院部に分かれて所在した大きさでありましたが、明治維新の神仏分離で寺だけが外されたり、色々歴史があったとのことを古老様達が説明下さいました。
 弓の形の大きな餅は、昔の5合餅でそれだけの大きさで、餡子のない白い部分が弓を形どり、矢の方もそれだけのもち米で作られているとのことで、60戸数で3戸ずつ当番が回るので、次回当番が回るのは20年先になるとのお話でありました。
(各餅のお皿が直径35cm位でした。)
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☆ カニ供養 放生会 (4月18日 木津川市山城町綺田 蟹満寺)
参詣客で賑わう「蟹満寺」 カニ供養塔 カニは先ず塔前の水鉢に放流される。 海の幸 供養されえるカニ
山の幸 放生される沢カニ達
 
お寺様に、 
 「蛇に求婚された娘の危機に、かって娘に助けられたカニが駆け付け、みづらを犠牲にし
て蛇を退治した。娘はカニと蛇をともらうためにお寺を立てました」との伝説があります。

 その説に基づくカニ供養の行事が今も続いていますが、
行事は、本堂で読経の後、境内
のカニ供養塔の前に、供物された海の幸の毛ガニ(冷凍)と山の谷川で捕れる沢カニ(約300匹位)
のうち、生きている沢カニの方を塔前の水鉢に放生して供養する行いです。

 信者様は市近辺料理店、カニを扱う業者さんが多いようですが、お寺様には、この伝説が
子供でも理解できるように、絵図が掲出されていますので、家族ずれ参詣も一興と思います。
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☆ 曲水の宴 (4月29日 京都市伏見区鳥羽離宮町7 城南宮)

宴が行われる「城南宮」 宴に先立つ白拍子の舞 宴本番 女性側から男性側に流れる杯。

 曲水の宴は、平安時代の中期まで、宮中の年中行事として行われ、ここ城南宮では春と秋の2回行われています。
 新緑に包まれた庭園で、公家や女官に扮した歌人達が鑓水近くに座し、与えられた「お題」の歌を、巡りくる杯が来るまでに作り、短冊に書き留め、そして杯を乾します。

 同神社は、戊辰戦争勃発、即ち鳥羽伏見の戦いの開戦の地としても知られておりますが、この行いは、とても優雅であり、今の世にあっては、のどかで別世界に遊ぶような気がいたします。
 ちなみに、本年(平成22年春)の「お題」は「寄衣恋」であり、神社様によりますと、
   「風にそよぐ、若葉に映えつつ城南宮、袖ひるがえす天つ乙女か」

等の句が作られたそうであります。
 風そよぐは、歌人を始め、見物人の方全員が、境内で実感したことで、それが即歌われたことに感心し、驚きました。
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☆ 大滝祭り (9月1日 京都府綴喜郡宇治田原町湯屋字大滝)
大滝大明神様境内神域入口 大滝上部の出張鰍放流場所 氏子代表によって鰻が放流される。

 杉材とお茶の産地、京都宇治田原町湯屋谷の山中には、落差30数メートル超と云われる立派な滝が有り、同所には「大滝大明神」が祀られています。
 して、その土地には、「昔干ばつの時、滝つぼに住いしていたウナギに、お酒を飲ませて滝つぼに帰したところ慈雨に恵まれ、お米が豊作となった」との民話が残っています。

 そして、その民話を裏付けるように、現在も毎年9月1日にはウナギにお酒を飲ませて滝つぼに放流する行事が、現在も行われています。
 9月の雨乞いは農作に遅いのではないかと、祭事をされるお年寄りにお聞きしますと、昭和の時、土砂崩れが有り、台風シーズンも無事におさまってくれるようお願いしているのではないか?等の話も聞けました。

 なお、本年この行事が行われた後の2010,9,5日、隣町の京田辺市では気温39,9度の気温日本一が記録されましたが、原因は、このウナギが酔っぱらって、天迄ウナギ登りしたからではと、その効果に驚いて位なす。
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 ☆ 宇治茶祭 (10月1日 宇治市宇治 宇治橋周辺、興聖寺)
行事挙行の宇治橋のモニュメント 清水汲みあげのの儀式 興聖寺前「茶筅塚」
 宇治茶業奉賛会と興聖寺が行う宇治茶祭りは、毎年10月の第一日曜日、宇治市宇治川宇治橋周辺と同寺で行われます。
 この時期に行われるのは、その年に収穫し興聖寺のお茶壺に保管したお茶を、初めて封切されることに合わせての事です。

 祭りは、「名水汲み取りの儀」から始まりますが、この行いは、宇治茶に関係が深い「太閤秀吉」が、宇治川の水をその場所から汲み上げて茶をたてたことに由来するものです。

 汲み上げた水は、興聖寺に運ばれ、お寺様でお茶会が催されますが、同日は、府立宇治公園にて、お茶の品種当てコンクールが開かれたり、源氏物語ミュージアムや、宇治神社ではお茶がふるまわれたりします。

 写真右は、興聖寺前にあります、お茶に使用した茶筅を供養する供養塚であります。
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 ☆ 隼人舞 (10月14日 京田辺市大住 月読神社)
月読神社 隼人舞奉納の碑石 隼人舞の内「楯の舞」 隼人舞の内「炎の舞」
 10月14日、地元の中学3年生が、前記場所で「狩衣姿で大住隼人舞を奉納するお祭」が行われます。

 この舞は約1300年前、九州の大隅から当京都の大住に移住してこられた人々が、朝廷等に奉納されたのが始まりで、現在京田辺市の無形文化財となっています。

 境内で、松明の明かりの中、狩衣姿で、神招舞、楯の舞、弓矢の舞、剣の舞、火の舞と演じられる舞姿は、勇壮であり、又幻想的であります。
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☆ ずいき神輿 (10月15日 京田辺市田辺棚倉49 棚倉孫神社) 京田辺市無形文化財
完成された大人用と子供用ずいき神輿 ずいき神輿の一部拡大 お神輿制作に準備された「ずいき」

 棚倉孫神社のずいき(里芋の茎)お神輿は毎年体育の日に巡幸されます。
 この神輿は、土地で収穫する数十種の野菜や果物等で出来ており大人用と子供用があり、京田辺市の無形文化財となっています。
 使われる材料は、屋根に使った「ずいき(里芋の茎)」や、米、小豆、黒豆、トウガラシ、ミカン、きんかん、柿、粟、等青果屋さんも真っ青になる多種であります。

 祭りが終わった後、この青果物の運命につきましては、「調査未遂」でありますので、各人様方よろしくです。
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☆ 木津川風物 流れ橋 潜没橋 
通常時の「木津の流れ橋」 増水で流失した流れ橋 潜没橋恋路橋 増水の時潜没します)
 
 木津の流れ橋 (流れ橋=八幡市と久世郡久御山町を結ぶ木の橋)
 正式名上津屋橋と言いますが、八幡市と対岸の久御山町を結ぶ、歩行者用生活橋でありますが、洪水時には橋桁が水に流されてしまいますが、平常時は町民が使用の外、時代劇撮影場所としても世に知られております。
 平成15〜6年頃までの初夏、ここで、一般人が徳川家康になったり、水戸黄門になったりして参加出来る「時代行列(流れ橋祭)」が行われていましたが現在は町予算の関係で中断されていますので、復活を望んでいます。
 洪水時、橋桁は流失しませんが、確か8分割位に分割されロープで繋がれている「橋板」が桁から外れてしまうのですが、水が引いた後は、板に番号が打ってありますのでそれを基に戻せば、又橋がよみがえるという仕組みになっています。

 木津の潜没橋 (通称 恋路橋=京都府南山城村南大河原))
 「流れ橋」と同じ木津川に架かる橋ですが、こちらは洪水時河底に沈んで姿を消すコンクリート製の橋です。(写真右端)
 橋南詰に恋の神、「恋志谷神社」があり、この橋を渡れば恋が叶うとの事で若者に人気スポットであります。
 水が引けば元通りに姿を現しますが、激流の様に激しく血潮が流れた恋であっても、引けば正常通りになる橋と見立ててしまったのは、恋の経験のない私のひがみでしょうか。
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