2015.01.04
肉体という桎梏。空想世界と現象世界。もしくは物質世界と道重さゆみちゃん。
なんか12月27日の赤坂BLITZに武藤彩未ちゃんのライブを見に行った際に風邪を引いたらしく、この一週間くらい熱を出していたのだが、肉体の機能が損なわれ、エントリーを書いても韻が踏めず、漫然と句読点を打つのみであり、まさに自分が壊死していく経過を体感しているのである。この地球全体を埋め尽くして繁殖している地球人類のひとりひとりが、こうやって生まれたり死んでいって、永遠の生命の連環が途切れず続いていくのである。宇宙が出来てから137億年経って、5000年前にようやく人間が文字を使い始めたというのがどうも釈然としないし、たまたま137億年経過したこの現代に存在しているというよりは、そういうゲームの設定という感がぬぐい去れず、そろそろわれわれは自らのDNAを書き換える準備に入っているのだから、本当の意味で佳境に入りつつある。直立二足歩行を始めてから文字を獲得するまで500万年掛かってるのに、この5000年くらいで文明が進歩しすぎているという不自然さの問題である。そもそも現象世界がなければ物質の意味など無いのである。DVDのディスクだけあって、その再生装置が無く、見る人もいないのなら、中のデータに意味などあるまい。この137億年前に創られた宇宙にしても、人間に見せるために創られたようにしか思えず、たとえば「におい」や「味」は明らかに現象世界に映じるものである。物質そのものに「におい」や「味」はないはずなので、生物の感覚の問題である。音にしても、われわれの現象世界で感じている音とはまったく別の無機質なデータがあるだけであろう。触覚にしても、物質そのものに触覚があるとは思えないし、やはりこれは生命の現象世界の問題なのである。最初に人類の蒙を啓いた哲学者はソクラテスということになっているが、ソクラテスは自分で著作を書いてないので、たいていのエピソードはプラトンの潤色であろうし、そもそもわれわれはソクラテスに会ったことがない。この手の人物が実質的にほとんど架空の存在であることを考えると、道重さゆみちゃんによって、人類は新たな起点に回帰したのである。道重さゆみちゃんは無能なのだが、自分の無能さを理解しているという立ち位置なので、まったく隙がない賢者であり、しかしこれによってあらゆる問題を解決したのではなく、むしろ逆に、われわれを振り出しに戻し、人間的苦悩に向き合わせたのである。もちろん道重さゆみちゃんがセックスしてくれるなら、深くは考えまいし、その快楽に浸ればいいだけなのだが、やれない女としてこうやって提示されると、宇宙とか、人類とか、もしくは物質と現象世界の問題など、すべてが謎だらけであることに逢着するしかない。こうやって文字を綴ることでさえ、5000年前まで出来なかったのであり、そこまで延々と40億年くらいこの地球上で、細胞が繁殖し続け進化してきたのである。どこからも宇宙人が訪問してこないので、他には生命はいないのだろうと思うし、そもそも宇宙の大半は暗黒物質でよくわからないのだが、少なくとも、われわれの身の回りにあるモノの大半は現象世界のために人類が製作したものである。天体の運行に目的はないだろうから、すべては、われわれが生命として生き残るという意志と合目的性の問題であり、生命の進化にしても、現象世界に従わされ、快楽を求めたり苦痛から逃れたりするために個々の個体が奔走し続いていくのである。なんにせよ、この現象世界が不思議すぎるのである。すべてが夢であるとしても、こうやって夢を現象させるシステムは極めて不思議であり、それこそ宇宙全体より、この夢の方が難しい。開頭して豆腐のような脳みそを見せられたところで、なぜ物質の電気的な反応から現象世界に跳躍できるのかさっぱりわからない。道重さゆみちゃんの妊娠報告とか、新婚旅行の模様とか訃報に立ち会わされる未来も、これは徴兵されて戦艦大和に乗せられて沖縄で沈むのと同質の、時代性に強制された義務なのだが、戦艦大和も道重さゆみちゃんも、ひとりの人間の幻想ではなく、実在はしているのであり、とはいえ、その実在性は物質的なものでありつつも、あくまで現象世界のものである。個々人の空想世界とはまた別の、人類に共有されている現象世界の真実性を確定するために物質が創られたかのような気がして、その不可思議さに悩まされるのである。物質とは空想世界が暴走しないための歯止めであり、ある種のコピーガードである。現象世界と空想世界は似たり寄ったりのもののはずなのに、ウナギのにおいだけ嗅がされてる問題であり、匂いで腹は満たされない問題であり、いくら空想したところで頭の中の夢想にとどまり、本当にアクティベートさせるためには、実物の道重さゆみちゃんを抱かなければならないという難問だが、今からアメフトを始めてスーパーボウルに出ろというような、端から匙を投げなければならない課題が与えられているのは、誰にとっても、ただ眷恋するだけのベアトリーチェが存在するということかもしれないが、これは生まれる前から持っている欲望なのであろうし、空想世界と現象世界の関係、その区分けをしている門番である物質世界の絶対性の酷薄さであり、どれだけ風雨に耐えても暖かい日差しに浴する日はないのである。
2015.01.02
傍観者としての読売新聞
サザンオールスターズの「ピースとハイライト」のような愚かな歌が生まれてしまうのは、まずは朝日新聞がデマを流しているせいなのだが、朝日新聞という問題に関しては読売新聞の傍観者性も酷い。読売新聞はジャーナリズムの精神の欠片もないし、訴訟を多用しすぎである。紙面では平穏だが、裏では裁判ばかりやっている。週刊ポストの「海外取材までして警視庁『2ちゃんねる潰し』を応援する読売の“見識”」という記事で裁判をやっているのも、甚だしく愚かだと思うし、(わたしはこの記事を読んでないが)、たとえ記事の中に罵詈雑言があれども、警察からのリークに基づいて取材するのがマスコミの基本となっているのは確かであろう。読売新聞の傍観者体質、もしくは、何か不満があれば弁護士に任せて裁判をやるだけという体質はジャーナリズムとしての責任放棄である。迂闊に読売新聞を批判することすら出来ないのである。読売の顧問弁護士から「ここの部分が読売新聞社の名誉を毀損しております」と法廷で指摘されるだけなのである。読売記者の子どもも、父親が気骨のジャーナリストであることなど願ってないであろうし、サラリーマンとしていいお父さんであればいいのだし、批判されたら弁護士に反撃させることに疑問を持たないのであろう。朝日新聞が流しているデマを読売新聞が大々的に糾弾してくれたら、桑田佳祐というリテラシーの低い人間の蒙を啓くことだって出来たかもしれないのである。もちろん読売は利口だと思うし、紙面でやり合わずに法廷で会いましょうという姿勢は、かなり狡猾でしたたかである。ともかくどうでもいいから、読売新聞は「ピースとハイライト」の件を黙過せずに記事にして、朝日のデマに流されている桑田佳祐を糾弾するべきなのである。慰安婦は実在したし慰安所も実在したが、強制連行の話など韓国側には残っておらず、朝日新聞に書いてあるだけなのだから、朝日が吉田証言に乗っかってデマを流しただけなのは明らかである。朝日新聞のデマに騙されてサザンオールスターズがクソ曲を紅白で披露したということなのである。朝日新聞が悪いと言うよりは、こういう狂った左翼新聞を放置していた他紙の方が常識外れだと思う。偏ったイデオロギーに基づいた新聞はいつだってあるのだから、それと戦うジャーナリストがいるかどうかの問題である。ペンを持っているのなら、朝日新聞とか、それに騙されている桑田佳祐を難じることは出来るはずである。つーか、なんで俺らのような一般人が多大な労苦を払って朝日のデマを批判しないといけないんだよ。世界最大の発行部数を誇る読売がやれば済んでいたことだろ。もちろん読売が朝日を批判したら、朝日も「正力松太郎とCIA」とか特集するだろうし、まあ紙を売るサラリーマンなのだから、喧嘩しても損するだけだとわかっているのだろう。朝日新聞はソビエトのプラウダではないのだし、批判したら警察に捕まるとか、そんなことはないわけだ。生命が脅かされるリスクが極めて低いのに、それでも喧嘩するのは損だという考えが浸透している。日本のマスメディアの馴れ合い関係のひどさは猖獗を極めており、読売新聞の批判精神のなさは凄まじい。(記者がペンで反論せず弁護士に重箱の隅をつつかせるのは論争の回避であるから、批判精神の対極である)。批判されて裁判を起こすとか、朝日新聞でさえやらないのだから、読売新聞のやり方は神経を疑う。
2014.12.31
道重さゆみちゃんと中元すず香が似てるという人がいるが
BABYMETALを見た人が「道重に似ている」という感想を漏らすことがよくある。そして中元すず香について調べて、だんだん実は美人ではないと気づき始めて失望するわけである。その過程で、料理に添えられたパセリだと思っていたMOAMETALとYUIMETALこそ本体のメインディッシュだと気付いた人が、そっちに転ぶのがパターンである。
さて、道重さゆみちゃんと中元すず香の容姿だが、それなりに共通点はあるわけである。
・身長が160センチかそこら
・小顔で全体の等身のバランスが美しい
・髪型の類似
・鼻筋が通っている


綺麗に映っているところを抜き出すと似ているようにも見えるが、残念なことに実際の顔面偏差値はかなり違いがある。
(なお、この画像の道重さゆみちゃんは25歳時点だから、若い頃ならもっと可愛い)。
また決定的な違いは肩幅の問題で、道重さゆみちゃんは頭の先から足の先まですべてが細長いわけである。中元すず香は両肩からみぞおちまでの逆三角形の骨格がはっきりしており、これは男性美の特徴なのだが、女子としてはマイナスである。ギリシャ時代の彫像のように力が引き絞られた芸術的フォルムなのだが、あくまでこれは男性に求められているわけである。女性はやはり軟体動物のようにナヨナヨしていて、素肌の張りで脂肪の柔らかさを強調するのが望ましい。
日本人の感覚からすると、中元すず香は顔つきに関しても、女子らしい可愛さがない。ローティーンの頃だとまだ女の子らしかったのだが、17歳現在ではさっぱり女の子らしくない。海外でブレイクしたのも、欧米人からすると、中元すず香の骨格は女子として普通であろうし、女の子に見えるのだろう。
メタルというジャンルにしたのも、素顔でアイドルやれる容姿ではないというのも大きいであろう。メタルなら化粧して爛々たる光を照射すれば美人にも見える。アーティストとしても可愛らしさがないから、メタルくらいしかなかったのだろうし、それで売れたのだからかなり僥倖にめぐまれたのである。
中元すず香はたぶんテレビでは扱いづらく、日本人の感覚として可愛いわけではないから容姿も褒めづらく、温厚でおとなしい気質ではあるが、頭が悪いので、なにかしら失言もありそうである。そもそも中元すず香が道重さゆみちゃんの容姿レベルと聡明さを持っていたら、ブレイクするまでにこれほど時間掛かってないし、女子らしい華奢な体格だったら、あの声量が出るわけがない。
中元すず香はモデルのような等身ではあるし、ある種の超越的な美しさは持っているが、あまりそれを言い表す言葉がない。女の子を褒めるときに使う言葉は、すべて似つかわしくないのである。女子らしいところがないので、イケメンとか男前というしかないが、ステージ上でSU-METALを演じるにはそれが最高に映えるとしても、ステージを降りておとなしい女の子に戻った中元すず香にイケメンイケメン言うのも変だし、性格はいい子なので和田アキ子と同じ枠に入れるわけにもいかず、なんかステージ外での扱いが難しく、本来ならすぐに消える存在であろう。だが、多くの人がゆいもあに取り憑かれて離れられなくなってるので、失速する要因は見あたらない。結局のところ、どうなっても最愛ちゃんという天才的な人物を中心に歴史は編まれていくのである。
さて、道重さゆみちゃんと中元すず香の容姿だが、それなりに共通点はあるわけである。
・身長が160センチかそこら
・小顔で全体の等身のバランスが美しい
・髪型の類似
・鼻筋が通っている
綺麗に映っているところを抜き出すと似ているようにも見えるが、残念なことに実際の顔面偏差値はかなり違いがある。
(なお、この画像の道重さゆみちゃんは25歳時点だから、若い頃ならもっと可愛い)。
また決定的な違いは肩幅の問題で、道重さゆみちゃんは頭の先から足の先まですべてが細長いわけである。中元すず香は両肩からみぞおちまでの逆三角形の骨格がはっきりしており、これは男性美の特徴なのだが、女子としてはマイナスである。ギリシャ時代の彫像のように力が引き絞られた芸術的フォルムなのだが、あくまでこれは男性に求められているわけである。女性はやはり軟体動物のようにナヨナヨしていて、素肌の張りで脂肪の柔らかさを強調するのが望ましい。
日本人の感覚からすると、中元すず香は顔つきに関しても、女子らしい可愛さがない。ローティーンの頃だとまだ女の子らしかったのだが、17歳現在ではさっぱり女の子らしくない。海外でブレイクしたのも、欧米人からすると、中元すず香の骨格は女子として普通であろうし、女の子に見えるのだろう。
メタルというジャンルにしたのも、素顔でアイドルやれる容姿ではないというのも大きいであろう。メタルなら化粧して爛々たる光を照射すれば美人にも見える。アーティストとしても可愛らしさがないから、メタルくらいしかなかったのだろうし、それで売れたのだからかなり僥倖にめぐまれたのである。
中元すず香はたぶんテレビでは扱いづらく、日本人の感覚として可愛いわけではないから容姿も褒めづらく、温厚でおとなしい気質ではあるが、頭が悪いので、なにかしら失言もありそうである。そもそも中元すず香が道重さゆみちゃんの容姿レベルと聡明さを持っていたら、ブレイクするまでにこれほど時間掛かってないし、女子らしい華奢な体格だったら、あの声量が出るわけがない。
中元すず香はモデルのような等身ではあるし、ある種の超越的な美しさは持っているが、あまりそれを言い表す言葉がない。女の子を褒めるときに使う言葉は、すべて似つかわしくないのである。女子らしいところがないので、イケメンとか男前というしかないが、ステージ上でSU-METALを演じるにはそれが最高に映えるとしても、ステージを降りておとなしい女の子に戻った中元すず香にイケメンイケメン言うのも変だし、性格はいい子なので和田アキ子と同じ枠に入れるわけにもいかず、なんかステージ外での扱いが難しく、本来ならすぐに消える存在であろう。だが、多くの人がゆいもあに取り憑かれて離れられなくなってるので、失速する要因は見あたらない。結局のところ、どうなっても最愛ちゃんという天才的な人物を中心に歴史は編まれていくのである。
2014.12.29
baoという天才小学生ツイッタラーが出てきたのでこれから批判していく
https://twitter.com/bao829

なんか変なのがまた出てきた。
九歳という設定ならバッシングされないと思ってるんだろうな。
なおかつ茂木健一郎とか安部昭恵が後ろにいる段階で、これは継続的に批判するべき対象なのだろう。
人間の知能は可視化されてないのだけど、安倍首相夫人はたぶん知能指数90くらいだと思う。
なんか人権問題に首をつっこみたがり、変な運動に顔を貸していることが多いわけである。
人間なんて生きても100歳くらいだし、あと50億年くらいすれば太陽が膨張して地球も駄目になるし、これだけの短い期間に行われる愚行など咎めたところで何の益もあるまいが、なんか九歳を表に出しておけば誰も批判しないだろうという、人権主義者の薄ら笑いがむかつくので、相手が何歳であろうと、わたしは批判はしていく。
安倍昭恵と茂木は、この九歳が詰んだら別の子どもを連れてきて楯にするのだろうし、たぶん次から次へとこの手の小学生論客が出てくるのだろう。
本当に優秀な芸能人の子は、中学生からデビューするので、小学生の間なら、同世代と比較されないし誤魔化せるわけである。
はるかぜ(娘)の気の毒な現状を見れば、安倍昭恵みたいな、子どもを楯にするババアを許せるわけがない。
はるかぜのババアと安倍昭恵は知能程度も同じくらいであろう。
馬鹿が考えることは同じなんだなと痛感させられる。
なんか変なのがまた出てきた。
九歳という設定ならバッシングされないと思ってるんだろうな。
なおかつ茂木健一郎とか安部昭恵が後ろにいる段階で、これは継続的に批判するべき対象なのだろう。
人間の知能は可視化されてないのだけど、安倍首相夫人はたぶん知能指数90くらいだと思う。
なんか人権問題に首をつっこみたがり、変な運動に顔を貸していることが多いわけである。
人間なんて生きても100歳くらいだし、あと50億年くらいすれば太陽が膨張して地球も駄目になるし、これだけの短い期間に行われる愚行など咎めたところで何の益もあるまいが、なんか九歳を表に出しておけば誰も批判しないだろうという、人権主義者の薄ら笑いがむかつくので、相手が何歳であろうと、わたしは批判はしていく。
安倍昭恵と茂木は、この九歳が詰んだら別の子どもを連れてきて楯にするのだろうし、たぶん次から次へとこの手の小学生論客が出てくるのだろう。
本当に優秀な芸能人の子は、中学生からデビューするので、小学生の間なら、同世代と比較されないし誤魔化せるわけである。
はるかぜ(娘)の気の毒な現状を見れば、安倍昭恵みたいな、子どもを楯にするババアを許せるわけがない。
はるかぜのババアと安倍昭恵は知能程度も同じくらいであろう。
馬鹿が考えることは同じなんだなと痛感させられる。
2014.12.28
武藤彩未と平野綾ちゃんの類似性の危惧
https://twitter.com/_mutoayami_/status/548998031048069120

昨日(12月27日)は赤坂BLITZで武藤彩未(さくら学院初代生徒会長)のライブがあったわけだ。赤坂BLITZは一階のキャパが1150人くらいで、二階は150人くらいだと思う。二階は関係者席として使われていた。一階の客入りはたぶん1000人くらい。ソールドアウトしてないが、スタンディングだとこれくらいの方が余裕があって見やすかった。なんか二階席でSU-METALに似た少女を見かけたのだが、わたしは視力に自信がないので、本人かどうかわからない。ただ、武藤彩未のライブを見に来るアミューズ関係者ということだと、かなり限定されるわけで、他人の空似というよりは、さくら学院二代目生徒会長のSU-METALが見に来ていたと考えた方が自然ではある。
この武藤彩未ライブのバックバンドだが、こういう面子であった。
nishi-ken
大村真司
楠瀬タクヤ
なんか既視感があると思ったら、平野綾ちゃんのバックバンドとかぶっている。
Drums:かどしゅんたろう
Guitar:五十嵐勝人
Piano&Organ:nishi-ken
Bass:黒須克彦
言うまでもなく平野綾ちゃんと五十嵐勝人というギタリストがベッドに入っている写真がブブカに掲載されたわけである。
以前から何となく、武藤彩未(さくら学院初代生徒会長)と平野綾ちゃんは気質が似ているのではないかと思っていたわけである。もちろん違うところは多数あり、歌唱力では平野綾ちゃんも上手いが、武藤彩未はさらに上手いし、容姿では圧倒的に(10代の頃で言えば)平野綾ちゃんである。武藤彩未はすごい社交性があるし、女子と非常に仲がいいし、これだけ社交性のある人間は滅多にいない。平野綾ちゃんはぼっち体質で、女子とまったく仲良くないので男性に依存していた節がある。似てないところがたくさんあるので、どこが似ているのかと言うと何とも言えないのだが、ただ、なんかやたらと努力アピールするところは似ているし、またあまり処女性を感じないのも共通点がある。
たぶん武藤彩未がライブでギターを入れたのは最近のはずである。以前はキーボード中心のアレンジだったと思うのだが、ギターを入れたことで元の無機質なサウンドと変わってグルーヴ感が出ていたように思える。これ自体は楽曲の個性が引き出されてよかった。ハロプロみたいにグループならカラオケでいいけども、ソロでカラオケだと、賑やかさに欠けるので、それこそカラオケボックスで歌ってるような虚しさをかもしだすから、生演奏でバンドということ自体はよいと思う。平野綾ちゃん問題として危惧されるのは、武藤彩未がMCの中で「ギターを練習したい」と言ったことである。平野綾ちゃんも(上達はしなかったが)ギターをやりたがってたし、なんか既視感があるというか、少女がギタリストに食われる軌道に入ってきた気がするのである。もちろん平野綾ちゃんのスペースクラフトと、武藤彩未のアミューズでは事務所のマネジメントの能力が違いすぎるし、仮に武藤彩未にスキャンダルが出ても、わたしはダメージを受けないし、仮にブブカに載ってもわたしは武藤彩未のライブに行くが、とはいえ、アイドルとしてファンになっている人もいるだろうし、何よりも、さくら学院の生徒が真似をし始めたら不安である。アイドルとバックバンドがくっつくというのはビジネスの破綻であり、積み上げてきたすべてを崩壊させるものであるし、平野綾ちゃんという暗澹たる教訓が遺髪と共に残されているので、武藤彩未がロックとか言い出さないことを願うのみである。
昨日(12月27日)は赤坂BLITZで武藤彩未(さくら学院初代生徒会長)のライブがあったわけだ。赤坂BLITZは一階のキャパが1150人くらいで、二階は150人くらいだと思う。二階は関係者席として使われていた。一階の客入りはたぶん1000人くらい。ソールドアウトしてないが、スタンディングだとこれくらいの方が余裕があって見やすかった。なんか二階席でSU-METALに似た少女を見かけたのだが、わたしは視力に自信がないので、本人かどうかわからない。ただ、武藤彩未のライブを見に来るアミューズ関係者ということだと、かなり限定されるわけで、他人の空似というよりは、さくら学院二代目生徒会長のSU-METALが見に来ていたと考えた方が自然ではある。
この武藤彩未ライブのバックバンドだが、こういう面子であった。
nishi-ken
大村真司
楠瀬タクヤ
なんか既視感があると思ったら、平野綾ちゃんのバックバンドとかぶっている。
Drums:かどしゅんたろう
Guitar:五十嵐勝人
Piano&Organ:nishi-ken
Bass:黒須克彦
言うまでもなく平野綾ちゃんと五十嵐勝人というギタリストがベッドに入っている写真がブブカに掲載されたわけである。
以前から何となく、武藤彩未(さくら学院初代生徒会長)と平野綾ちゃんは気質が似ているのではないかと思っていたわけである。もちろん違うところは多数あり、歌唱力では平野綾ちゃんも上手いが、武藤彩未はさらに上手いし、容姿では圧倒的に(10代の頃で言えば)平野綾ちゃんである。武藤彩未はすごい社交性があるし、女子と非常に仲がいいし、これだけ社交性のある人間は滅多にいない。平野綾ちゃんはぼっち体質で、女子とまったく仲良くないので男性に依存していた節がある。似てないところがたくさんあるので、どこが似ているのかと言うと何とも言えないのだが、ただ、なんかやたらと努力アピールするところは似ているし、またあまり処女性を感じないのも共通点がある。
たぶん武藤彩未がライブでギターを入れたのは最近のはずである。以前はキーボード中心のアレンジだったと思うのだが、ギターを入れたことで元の無機質なサウンドと変わってグルーヴ感が出ていたように思える。これ自体は楽曲の個性が引き出されてよかった。ハロプロみたいにグループならカラオケでいいけども、ソロでカラオケだと、賑やかさに欠けるので、それこそカラオケボックスで歌ってるような虚しさをかもしだすから、生演奏でバンドということ自体はよいと思う。平野綾ちゃん問題として危惧されるのは、武藤彩未がMCの中で「ギターを練習したい」と言ったことである。平野綾ちゃんも(上達はしなかったが)ギターをやりたがってたし、なんか既視感があるというか、少女がギタリストに食われる軌道に入ってきた気がするのである。もちろん平野綾ちゃんのスペースクラフトと、武藤彩未のアミューズでは事務所のマネジメントの能力が違いすぎるし、仮に武藤彩未にスキャンダルが出ても、わたしはダメージを受けないし、仮にブブカに載ってもわたしは武藤彩未のライブに行くが、とはいえ、アイドルとしてファンになっている人もいるだろうし、何よりも、さくら学院の生徒が真似をし始めたら不安である。アイドルとバックバンドがくっつくというのはビジネスの破綻であり、積み上げてきたすべてを崩壊させるものであるし、平野綾ちゃんという暗澹たる教訓が遺髪と共に残されているので、武藤彩未がロックとか言い出さないことを願うのみである。