日刊スポーツのニュースサイト、ニッカンスポーツ・コムです。


  1. トップ
  2. ニュース
  3. 写真ニュース
  4. 実業団女子駅伝
  5. ニューイヤー駅伝
  6. 高校駅伝
  1. 箱根駅伝
  2. 往路速報
  3. 復路速報
  4. 成績
  5. 出場校
  6. ニュース
  7. 歴代V
  8. コース
  9. 選手一覧

青学大ダメ部 伝説営業マン原監督変えた

青学大・原監督は、満面の笑みを浮かべながらゴール地点に走る(撮影・江口和貴)
青学大・原監督は、満面の笑みを浮かべながらゴール地点に走る(撮影・江口和貴)

<第91回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・6キロ)

 「伝説の営業マン」が、大仕事をやり遂げた。中国電力でサラリーマンだった青学大の原晋監督(47)は、営業畑で成功したビジネス手法を持ち込み、合理的な指導で選手を束ねた。その半面、熱く夢を語り、選手のやる気を奮い立たせるなど理論と情熱の両輪で、箱根と無縁だったチームをわずか就任11年目で記録ずくめの完全優勝へ導いた。

 歓喜の初優勝に、湿っぽさなどみじんもなかった。胴上げで3度宙に舞った原監督も「もっと痩せないといかんな」。81キロの体を揺らし、満面の笑みだった。目標を設定し、それをクリアすることで優勝に近づく。15年の箱根。ついに、その機が熟した。

 04年に監督に就任するまで中国電力で10年間、サラリーマン生活を送っていた。自称「伝説の営業マン」。企業用で約1000万円もする省エネ空調機を売りに売った。最後の3年間は新規事業を立ち上げた。社員5人で始めた部署は成長し、現在は120人もの大所帯になっているという。

 サラリーマン時代に学んだのが、目標をクリアする喜び。選手にもA4サイズの用紙2枚に、目標達成率と今後の目標を理由とともに書かせた。昨年まで不定期だった目標管理シートを、今季から毎月提出させた。「選手が自立し、成長できた」。目標が明確になり、自己管理もできてケガも減った。

 その半面、目標を達成するための夢を選手に熱く語った。「今の選手は理論で言わないと納得しない。ただ、理論だけでは男は動かない。お前のために、というのが必要」。いつも「男たるもの、何かひとつやり遂げよう」と、選手が失敗しても勇気づけた。

 就任当時「陸上部を応援してほしい」と学生に声を掛けても、集まったのは3人だけ。陸上部員も茶髪に、休むのは当たり前だった。06年の予選会では16位と惨敗し、廃部の危機にも瀕(ひん)した。退部する学生もいて「あの頃がどん底だった」。

 広島・世羅高3年で主将として全国高校駅伝に準優勝した。箱根駅伝には縁のない中京大に進学し、卒業後は中国電力に期待されて入社。だが右足首を捻挫するなど芽が出ず「5年で終わった」。その屈辱が常にある。「原という男の存在価値を認めてもらいたかった」。その反骨で、最悪の危機を乗り越えた。

 青学大には自らプレゼンして、監督に就任した。その時のうたい文句が「5年で出場、7年でシード、10年で優勝争い」。その言葉どおり、目標をクリアした卓越したビジネス感覚。加えて「卒業生と一緒に酒を飲んで夢を語るのが趣味」という情熱が、新たな箱根の時代を築き上げる。【吉松忠弘】

 ◆原晋(はら・すすむ)1967年(昭42)3月8日、広島県三原市生まれ。世羅高-中京大。大学3年のインカレ5000メートル3位。89年中国電力陸上部創設とともに入社したが、95年に引退。04年4月に青学大陸上部監督に就任。09年大会で33年ぶりに箱根駅伝出場に導いた。家族は妻美穂さん(47)。子どもはおらず、夫婦で選手と同じ寮に住み込み「どんな彼女がいるかも知っている」と、選手たちを息子のようにかわいがる。176センチ、81キロ。

 [2015年1月4日9時0分 紙面から]

PR情報






日刊スポーツ購読申し込み 日刊スポーツ映画大賞