2015年1月3日14時46分
長崎の原爆で顔などに大やけどを負い、語り部活動を続けた片岡ツヨ(かたおか・つよ)さんが昨年12月30日、肺炎のため長崎市の病院で死去した。93歳だった。葬儀は1月2日、同市のカトリック浦上教会で営まれた。
カトリック教徒の家に生まれ、24歳の時に爆心地の北1・4キロの三菱兵器大橋工場で被爆。13人の肉親を失った。顔の右半分にケロイドが残り、死を何度も考えたが、カトリックの教えを支えに踏みとどまったという。61年に写真家の故・東松照明さんが片岡さんを撮影。写真は海外にも紹介され、多くの人に原爆の悲惨さを伝えた。
原爆は「神の摂理」によって与えられた試練だとする被爆医師の故・永井隆博士が説いた考えに触れ、「(神は)なぜそんなむごいことを」と信仰に迷いを持ち続けたという。81年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世(故人)が訪日した際、「戦争は人間の仕業」との言葉に救われたという。
それ以降、「核廃絶を訴えるのは生かされた者の使命。自分を平和の道具として使ってほしい」と語り部を始めた。修学旅行生らに体験を語る際には、「この顔ば、もっとよく見んね」と訴えた。82年にはバチカンでヨハネ・パウロ2世に謁見(えっけん)し、「戦争はいけません。頑張って下さい」と声をかけられた。
約20年前に平和活動を退いた。晩年は認知症が進んでいたが、ミサでの祈りは欠かさなかったという。
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朝日新聞社会部
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