今日は親父の話をしよう。
Blogにもちょこちょこ、おかんの事は書いてるけど、
親父の話をしたことはほとんどなかった。
そんなひどい親父だったのか?って?
違う違う。
僕の親父は、多分僕が2歳くらいの時に離婚した。
一緒に過ごしたことはない。
というか小さすぎて覚えていない。
覚えているのは、僕を胸に抱いている写真を何枚か見せてもらったことがあるということくらい。
だから顔は知っていた。
そんな親父と初めてしゃべったのは、
僕が中学生のころ、
親父が急に僕の家に僕を訪ねにきた。
いきなり夜中に知らないおじさんが来た。
その時おかんはまだ仕事で留守だった。
でも僕はおじさんの顔を見て、すぐに父だと気づいた。
父はこう言った。
『たかし、餃子とビールを買ってきた。飲まないか?』
僕は、
『とりあえず、どうぞ。』
と家に入れた。
父が買ってきた餃子を僕が焼き、
父とビールを飲んだ。
初めて口にしたビールはまずかった。
何を話したのかは覚えていない。
覚えているのは、
父が来た、そして30分位話をした。
それくらい。
父が来てから、30分位しておかんも帰宅して、
おかんと何やら口論をしていた。
そして、父は帰っていった。
僕が父とまともにしゃべったのは、後にも先にもこのときくらいだった。
その次、父と会ったのは、
僕が17のときだった。
僕の姉の葬式だった。
僕は一人、姉を亡くしています。
その姉の葬式で会った父は、変わり果てていました。
頭は白髪で真っ白で、細く弱々しい姿だった。
なにやら重い病気にかかっていたらしい。
新しい記憶からなくなっていく病気だそうだ。
末っ子の僕の事は覚えていなかったと思う。
でも、お姉ちゃんが、
『パパ、パパの息子やで!五人目のたかしやで!』
って、父に言ったら、
『たかし、大きくなったね。』
って一言言ってくれた。
覚えていたのかどうかはわからないけど、
それが父から聞いた最後の言葉だった。
その2年後くらいだったと思う。
おかんから、
『パパ、危篤です』
って連絡をもらった。
その頃大阪でホストをしていた僕は、
最後かもしれないと思って、父に会いに岐阜県の病院まで行った。
最後に見た父の姿は、病院のベッドで呼吸器をつけ、
意識すらない状態だった。
その後、何日かして父は亡くなったと聞いた。
葬式に僕は行かなかった。
お姉ちゃんたちは一緒に過ごしたことや想い出があるけど、
僕にとって、親は育ててくれたおかんひとりだったから。
僕が20歳をすぎ、大人になり、
少しずつ、父がどんな人だったのか気になるようになった。
たまにお姉ちゃんとかおかんに聞いたりもした。
僕の父は、昔、神父だったらしい。
神父は結婚してはいけないそうだ。
しかし、父は神父をやめて、おかんと結婚したそうです。
その後は、英語や数学の塾を開いたり、
大学で講師をしたり、
親父は頭がよかったらしい。
そして、親父の故郷は、
九州のどっかの島だと聞いた。
僕も2歳くらいのときに一度行った事があるらしい。
覚えていないが、小さい頃に一度飛行機に乗ってどこかに行ったことがあるというのはうっすらと覚えていた。
いつか一度行ってみたいと思っていた。
今回、日本を旅しようと思ったとき、
絶対父の故郷に行こうと決めていました。
いろいろな人に聞いて、
父の故郷が、長崎県の平戸島って事がわかった。
今まで何の付き合いもなかったけど、
いろいろな人のおかげで、
父の生まれた家に今も住んでいる、父の兄とコンタクトがとれた。
その人を頼って、今回、長崎県の平戸島に行ってきました。
九州本土から、平戸島には立派な橋が架かっていました。
そして、父の生まれ育った宝亀町という町に行ってきました。
伊万里から平戸島まで、乗せて頂いた和田さん夫妻ありがとうございました。
平戸島は、出島より先にオランダと貿易をしていた島だそうです。
宝亀の町の山の上には、
宝亀教会がありました。
そして、父が好きだったという、紐差教会にも行ってきました。
すごい大きな教会でした。
外国みたいでした。
中はもっと凄かったです。
日本にもこんな素敵な教会があるなんて知りませんでした。
本当に素敵な教会でした。
父が好きだったっていうのもあって、ジーンとくるものがありました。
いつかこんな教会で結婚式をあげたいなって思いました。
でも、ちょっと遠すぎるか。
教会を見た後、
父のお兄さんの家に招いてもらいました。
そりゃ、もう本当に美味しかった。
魚の美味しさに感動しました。
父の兄、奥さん、ご馳走様でした。
その後1時間~2時間ほど、父の話や、その昔、僕のおかんがこの島に初めて来たときの話。
いろいろ聞かせていただきました。
僕の知らなかったことや、いろいろなこと。
僕のおかんが、仏壇に手を合わせて、
『おばあさん私、この家に入りたい』
ってつぶやいていたそうです。
その時、父のお母さんたちはいきなり変なこという人だなぁ。
と思っていたそうですが、
後からわかったことは、このとき、おかんは妊娠していたそうです。
その後、父は神父を辞め、井上家に養子にきてくれたそうです。
僕も、同じ仏壇に手を合わさせてもらいました。
父の、お父さんお母さんにありがとうございます。
と。
僕にとって、おじいちゃん、おばぁちゃんですね。
そして、1枚の写真を見せていただきました。
若かったときの写真初めて見ました。
そして、何枚か、僕に持って行きなさいと父の写真を下さいました。
その後、近くに住んでいる、
父のもう一人の兄さん(長男)のお宅にも訪ねさせてもらいました。
父は7人兄弟だったそうです。
皆さん、暖かく迎えてくださって本当にありがとうございました!
帰りにお土産もくださいました。
平戸の名物の川内かまぼこ。
これを父が大好きだったみたいです。
ストローをはがしながら、食べていくのはこっちでは当たり前だとか?
とても美味しかったです。
父が好きだったものを、
父の故郷で食べさせてもらいました。
天国の父も喜んでくれてるかな?
父が生きていたら、今73才くらいだそうです。
そんな父の兄さんたちは、もう80や85歳でした。
今回、いろいろお世話になりました。
本当にありがとうございました。
僕のおじさん、おばさんにあたる人です。
ありがとうございました。
今回、平戸島、
あいにくの天気だったけど、
父が好きだった、高台からの景色も見てきました。
晴れたら、そりゃもう綺麗な景色だそうです。
海では、イルカもたくさん群れをなして小魚を食べにやってくるそうです。
昔は鯨も泳いでいたそうです。
今度、平戸島に来るときは天気が最高のときに来たいと思います。
平戸島、父の故郷。素敵なところでした。
そして、今まで、父のことよく知らなかった。
記憶もないし、正直、父親という意識すらなかったかも知れない。
でも、今回、
初めて、親父に、ありがとうって心から言えた。
親父、ありがとう。
親父がいたから、今の僕があります。
親父が愛した人。
これからも、親父の分まで、おかんを大切にしていきます。
早速、おかんに電話したよ。
いろんな気持ちがあふれて、
涙でうまく喋れなかったけど、
父の故郷に足を運んでいろいろ感じたこと、
おかんも喜んでくれた。
僕も親父みたいにたくさんの人に愛される人間になりたいです。
親父、おかん。
生んでくれてありがとう。
だめだ、なんかまた溢れてきちゃって涙でブログ書けないや。
親父とおかんにもらったこの人生。
大切に生きていくね。
父の故郷に行ってよかった。
長崎県平戸島。
みんなありがとうございました。