例によってコモンズの引用で、上から茨城・栃木・群馬・福島の県道を比較したものだ。
日本屈指のクルマ社会の北関東では、幹線道路は昭和後半から「片側2~4車線」が基本だが、そうではない旧道沿いはこのように本来の田舎道を残している。しかし、見ての通り、まるでそっくり。その土地にしかない情緒、というものはほとんど見られない。
地方と言えば一般的に、たとえ平野部であろうともその地域にしかない感じというものがあるはずだ。家のつくりもそうだし、関西にはやたら沼地が多かったり、雪国には雪国の、南国には南国の、気候に合った植物の違いがあったりもする。そういった独自性は残念ながら、この4県には存在しない。
こういうとあれかもしれないが、これらの風景は、東京都内にもあるような「ごくありふれた田舎」なのである。つまり、都心の過密地帯しか知らない人であれば自然があることに喜びを感じるのかもしれないが、東京の人間も大半は電車で30分、あるいは1時間以上かけて通勤しているわけで、そうした郊外であれば、都市化のはざまに残された自然として存在している景観である。
その土地にしない固有の風情、難しく言うと「ゲニウス・ロキ」という概念なのだが、そういうものが、写真で見ても存在せず、実際に足を運んでもないのだ。
神奈川県で20年ばかし生まれ育って気づいたのだが、神奈川の場合それは、戦前から市街化された駅前とか、浜辺の港町には強く存在している。「山辺」の場合、箱根から相模原にかけての険しい山間部の集落ならば存在していて、土地性も観光資源になっているのだが、正直言って、県央と呼ばれる内陸地帯はそういうものはない。農村も、戦後に無理繰り作った単なる密集地にすぎないニュータウンも、それが存在せず、県央から横浜の内陸にかけて車で走ると吐き気がしてしまうこともある。無機質な密集地帯は無機質な農村地帯の延長線上にあるのだ、と言うことは、痛感するものだった。例外は、バブル時代にお金をかけて日本でも肝いりの開発が行われた高級地帯と、都市問題への対策が織り込まれて設計されている真新しいニュータウンだけだ。
そういう「都市計画に失敗した県・神奈川」を嫌と言うほど蔓延していた人間としては、たとえば東北とか、三重県とか、長崎のあの固有の郷土性の強い世界に行くと、ああ日本も捨てたものではないなあと思っていたものである。海外ならもっといい。でも、北関東の場合はそういうものもないばかりか、もともとの人口の少なさと、人口比における治安の悪さと、都市化できずに衰退して荒んでいく中で生じる退廃性というものがとてつもなく痛ましくある。
高座渋谷の千本桜商店街や長後の昭和の情緒のまま元気に開いている商店街と比べると、それをそのまま廃墟にして、神奈川県よりももっと落書きだらけにした感じは辛いものがあるし、家と家の合間がやたらと広く、昼間は同じに見えても夜は真っ暗で信号すら機能しなくなる幹線道路にはビビってしまうものがある。それでいて都心と断絶しているのだ。
そんなもので、北関東的文化圏にしばらく滞在してから湘南に戻るときは高速を降りた戸塚の1号線沿いの風景がギラギラして見える。ずっとこちらにとどまっていると、ラウンドワンやドン・キホーテもできたし北関東とそう変わらないんじゃないかと思う節操のない4車線のチェーン店街でも、その合間に立派な民家があったり、しゃれた自転車やオートバイが走っていたり、神奈中バスを待つ人が大勢いたり、横断歩道の手前に点字ブロックがあったりガードレールがしっかりついていたり、やっぱりここは首都圏であるという意識がより高まるものでもある。
そう考えると、北関東文化圏でヤンキーやお上りさんがたくさん増えるということは、別段おかしいことではないとわかる。元来そこが無機質性のある構造の地帯で、どの自治体も同じようにのない農村風景で、運命共同体の同じ苗字で同じ顔つきで同じ体系の人しかいないというままが戦後一貫していれば、はめをはずしたくならないほうが異常で、東京に出たり、ヤンキーやマイルドヤンキーになるわけである。
だからこそ、私は「マイルドヤンキー批判」とか、イオンやEXILEを単純に否定するような風潮には反対である。若い世代に対する文化支援の政策を怠った責任は公職者にあるとするのならまだ分かるし賛同もできるが、「そうなってしまった人」と「それが当たり前な構造」は否定できない。もちろんイオンの社員もEXILE研究生も頑張って働いているわけである。ようはいまの現実を踏まえた上で、存在しない地域の独自性というものを1から創造していくことの方が建設的な発想ではないか。
私はアメリカの文化が大好きだが、アメリカだって国そのものの歴史は300年に満たないし、もとをたどれば先住民族の土地を奪った植民地である。植民地主義を肯定する意味ではないが、ゼロから起こし、多くの人種がともに作り上げてきた文化が、ハリウッドの偉大な映画の数々でもあるのだ。
マイルドヤンキーのボトムアップ的に、日本版のレゲエやHIPHOPのような文化が出来あがっても全然いいと思うものだ。