【営業状況】
「将校は1週間に7日 兵士は1日、慰安所を利用することが認められていた。だが激しい混雑は解消されなかった。女性たちはすべての顧客を受け入れることができず、兵士たちの間には不満が高まることも多かった。兵士たちは慰安所に入ると、名前と所属部隊と階級を確認された後、料金を支払って左側に順番、右側に慰安婦の名前が記入された約5センチ四方の厚紙のチケットを受け取り、順番待ちの列に並ぶ。慰安婦には、客を拒否する特権が与えられ、その特権は、兵士が過度に酔っている場合にはしばしば行使された」
【支払いと生活条件】
「慰安所では慰安婦の雇い主が、女性たちの契約時の負債の金額に応じて、各慰安婦の総収入の50%から60%を得ていた。慰安婦の1カ月の稼ぎの総収入は約1500円だった。彼女たちは雇い主に750円を返済していた。だが多くの雇い主は、食料やその他の必要物資の代金として高額を請求し、女性たちに困難な生活を強いていた」
「1943年の後半に陸軍は負債の返済を終えた女性は帰国してもよいとの命令を出したため、返済した女性たちは朝鮮に帰えることが認められた。彼女たちの健康状態が良好であることが尋間によって確認された。あらゆるタイプの避妊具が彼女たちに支給され、兵士たちも軍が支給した避妊具を持参していた。慰安婦たちは自分自身や顧客の衛生についてきちんとした訓練を受けていた。陸軍軍医が毎週1回慰安所を訪問し、病気の兆候のある女性を発見した場合には、必要に応じて治療、隔離、入院などの処置がとられた」
【日本軍将兵の反応】
「日本兵は一般的に慰安所で他人に見られるのは恥ずかしいことだと思っていたようだ。ある兵士は『慰安所で列に並んで順番を待つのは特に恥ずかしい』と述べていたという。しかし兵士たちから慰安婦に対する結婚の申し込みは多数あり、実際に結婚に至った場合もあった。女性たちの意見が一致した嫌いな客は、翌日は前線に行かねばならないので、酔っぱらって慰安所を訪れる将校や兵士たちだった。だが日本兵はかなり酔っていても、軍事機密や部隊に関する話をすることは決してなかったという」
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