国際激流と日本

「性奴隷」ではなかった慰安婦の生活 改めて読み直したい米軍の「日本人捕虜尋問報告」

2014.12.31(水)  古森 義久

 「それら女性たちが署名した契約書は家族が前払いを受けた借金の金額により、6カ月から12カ月の期間、彼女たちが戦時の陸軍の規則および雇い主に従うことを義務づけていた。このようにして、約800人の女性が1942年8月20日ごろ、雇い主の業者とともにビルマのラングーンに到着した。女性たちは、8人から22人のグループに分けられ、ラングーンからビルマ各地の日本陸軍の駐屯地近辺の町村に配された。ミイトキーナにはこのうちの4グループが到着した」

【生活と労働の条件】

 「女性たちはミイトキーナでは2階建ての大きな建物に各自、個室を与えられていた。この個室が彼女らの居間兼寝室であり、営業の場でもあった。食事は雇い主が作り、それに彼女たちは代金を払っていた。彼女らの生活は、ビルマでの他の地域に比べれば、むしろ贅沢と言えた。慰安婦には食料や物資への厳しい配給統制がなかったためである。彼女たちは多額のお金を持っていたため、欲しいものを購入することができた。彼女らは兵士が故郷から送られてきた慰問袋の品々を贈り物として受け取った上に、衣類、靴、タバコ、化粧品なども買うことができた」

 「慰安婦たちはビルマでは、日本軍の将兵たちとともに各種のスポーツや催しに参加して楽しんだ。ピクニック、演芸・娯楽、社交的な夕食会にも加わった。彼女らは蓄音機を持っていたほか、町へショッピングに出ることも認められていた」

【料金システム】

 「慰安婦たちの営業は、陸軍の定めた規則に基づいて実行されていた。特に慰安所が混雑した地域では、規則は厳守されていた。 陸軍は混雑した地域では各部隊に慰安婦所での一定の価格、優先順位、時間割が必要と考えた。尋間により得られた標準的な方式は以下のようだった」

 「(1)兵士 午前10時~午後5時 1円50銭 20~30分、(2)下士官 午後5時~午後9時 3円 30~40分、(3)将校 午後9時~12時 5円 30~40分」

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