映画「男はつらいよ」シリーズを第一作から順に見ると、昭和の日本が現在とは全く異なる風景をしていることに気づくはずだ。
それは葛飾柴又であってもそうだし、寅さんがめぐる各地の地方はなおさら郷土の独自性がある。青森県の鰺ヶ沢とか、別府とか、いい味出している。
しかし、1980年代のシリーズになると急激に「葛飾柴又」が既視感のある風景になる。ビルの並びとか、住宅とか、江戸川の河川敷とか、京成線の柴又駅とかが、基本的に「今と同じ土台」になっているのだ。つまり、東京の街並みの基本は1980年代に確立されたものなのだというこことだ。それでもさすがに、筑豊や萩の雰囲気はやはり別世界である。
これは同じく東京の城東地域を舞台にした「3年B組金八先生」もそうだ。
第一作や、社会現象にもなった第二作はまだ「寅さん的な雰囲気」が風景に漂っている。しかし、1988年の第三作にもなればもう現代丸出しなのだ。まだ年号は昭和なのに、80年代なのに、である。
しかし、世の中は確実に変わっている。あれほど過密地帯でマンションのある23区だというのに、ロケ地だった中学校が少子化により廃校になってしまった。跡地は東京未来大学である。近くの北千住にも3つの大学が移転しており、都心はそこに住む子どもが通う小学校を失う代わりに大学が増えている。学生はみな地方出身者だろう。
実際、動画を見ればよくわかることである。
東京の街並みは、都心も、下町もこんな調子で、車の種類とか人の風貌などの一部の「昭和っぽさ」をのぞけば基本系は今のものと全く同じだ。これは埼玉や千葉・神奈川などの首都圏郊外にもいえたことで、名古屋や大阪などの各地の大都市も同じだろう。
それに比べて地方はどうか。
と言う風に。昭和の情感以上に、固有の郷土的性質というものが強力に存在しているのだ。プレイステーションの人気シリーズの「ぼくのなつやすみ」とも重なるものだ。私が幼い頃(1990年代だが)に伊豆や東北地方に行くとこれが当たり前であった。
しかし、こうした過去の風景は、今ではもうフィルムの中にしか残っていない。どの地方都市も、今はもう残念ながら「埼玉の掃いて捨てるような幹線道路沿い」のようなものが支配的になっている。
つまり地方都市が道を踏み違えたのは、1990年代以降のことである。おそらくは、バブル・コンプレックスだろう。
1980年代後半に発生した現象が、「バブル絶頂期」と「鉱山の閉山」だ。
バブルの恩恵はもちろん東京などの大都市に偏重していた。地方都市は「日本全体の好景気の高揚感」はあったものの、基本系は三丁目の夕日時代のものであった。大馬鹿愚かな政治家がふるさと創生事業に手を染めてオラが地元に巨大リゾートやテーマパークを無理して建てたりしたが、需要のない場所に客が来るわけもなく、バブル崩壊後はあっけなく潰れてしまった。
それよりも目立ったのは鉱山の閉山だ。北は北海道南は九州まで、最後まで残っていた鉱山が一斉に終わったのがこの頃である。鉱山産業はその20年前には衰退に転じていたものの、ようやく終止符が打たれたのだ。時代が変われば基幹産業も転換するのは当たり前のことだ。国鉄末期に鉄道の廃止が相次いだのも、炭鉱がなくなったとか、そういう基幹産業の消失が原因である。人がいないのなら当然運ぶものもなくなるし、商店街はシャッター化するわけである。
日本は戦後直後には全国等しく物乞いと化していた。
都心から山奥まで貧困を共有していたし、空襲の瓦礫しかない東京よりも農村の方が家も畑もあって豊かだったくらいだ。
しかし、高度成長期が発生すると、東京から立ち直り、やがて5大都市、県庁所在地、末端の地方都市と、右肩上がりの恩恵が波及していった流れがあった。これが1970年代くらいまでのことだが、根底には北陸裏日本や九州四国だろうとも炭鉱をフル稼働させ、県庁所在地にはプチ工業団地を作っていて、その類の産業を柱にしていたことがあった。原発もバンバン増やした。
反知性主義の跋扈する地方では、こういう当たり前の現象を誰一人客観視できなかった。大学を出た公務員や政治家さえも、大多数のお客様である市民のレベルに迎合し、「地方の窮状」をでっち上げて、「新潟だろうが高知だろうが東京と同じであるべきだ」というふざけた発想のもと自民党の政治家を介して利益分配を行い続けたのだ。若ければマトモかと言うと、ネット原住民を見ていると40代でも30代でも地方人はこの手の「最初から最後まで金目」で、「ゆすりたかりの名人」の発想を持っており、中年なのに感情的で理論が幼稚でゆがんだエゴに狂った人が多い。
郷土本来の文化的情緒の良さとか、尊さとか、そういうものに見向きもせずに、「バブル期の恩恵が我々にもこないじゃないか」という不満だけを抱き、田中角栄型の政治の延長線上にあるふるさと創生事業を求めた。バブルが崩壊し、東京の駅の看板広告がスポンサーがつかずに真っ白になり、サリン事件辺りでようやくもう日本は後戻りできなくなったのだと国民全体が気付くと、地方人は、むしろ余計にバブルの恩恵を欲するようになり、それがあのきらびやかなイオンモールの繁栄につながっているのだ。
わが国日本には残念ながら情緒のある地方はもう、残っていない。
むしろ東京近郊ほど良い。柴又などの下町はもちろん、青梅は東京都内ながら昭和レトロを売りにしているし、川越も都心通勤圏ながら味わい深い。こうした町が郷土資源を積極的に大切にするようになったのは平成以降のことだ。小田原から伊豆箱根にかけての風情とか、湘南の江ノ電の沿線とか、そういう場所は戦後昭和やバブルの時代錯誤なゆがんだ「発展至上主義」の逆を目指すことで、本質的に豊かで人気を集める地域になっている。21世紀にもなって新幹線を誘致している北日本や南九州とは大違いなのだ。