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社説

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<戦後70年に考える>未来への責任 「歴史」の視座ゆがめるな

(01/04)

 尖閣諸島、島根県・竹島も絡み、中国や韓国との関係は冷え切ったままだ。

 先の大戦から時が過ぎても、近隣諸国との間で歴史認識をめぐる摩擦が解消されていない。

 政治家も戦後世代が圧倒的多数を占めるようになった。戦争への想像力の欠如が解決を難しくしているようにも見える。

 現状をいつまでも放置していいのか。節目の年に新たな一歩を踏み出したい。

■「談話」の理念生かせ

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」

 20年前の1995年、終戦記念日。当時の村山富市首相が戦後半世紀に当たっての首相談話を全国戦没者追悼式で読み上げた。

 いわゆる村山談話だ。戦争に突き進んだ日本の誤りを認め「痛切な反省の意」や「心からのおわびの気持ち」を率直に語りかけた。

 近隣国との間に残したわだかまりをなくしたい。文言からそんな思いが伝わる。

 忘れてならないのは、談話は閣議決定され、政府方針であるということだ。当時政権にあった社会党、新党さきがけに加え、自民党の閣僚も賛成している。

 しかも歴代内閣に引き継がれ、日本政府の歴史問題の基本認識として内外に定着してきた。

 ところが戦後70年を前に、自民党の一部から新たな首相談話で村山談話を見直すべきだとの声が出ている。

 節目の年に、新談話があっていい。だが、問題は中身である。村山談話を貫く平和主義や近隣諸国との共存という思想まで見直すというのだろうか。

 確かにこの20年間で中国の台頭、世界の警察とも言われた米国の地盤沈下など日本を取り巻く環境は変化した。だからといって日本の過去は何ら変わっていない。その教訓から導き出された理念が変わっていいわけがない。

■過去に向き合う姿勢

 大量の子供の靴、衣服…。数々の遺品を見て犠牲者の無念さに思いをいたす時、言葉を失う。

 昨秋、ポーランド南部にあるアウシュビッツ収容所跡地の博物館を訪ねた。100万人超のユダヤ人らが毒ガスなどで亡くなった。

 女性の遺体から刈った髪は生地に加工するためだった。人間の心に潜む狂気に打ちのめされる。

 だれの目にも明らかな非人間的な行為。ドイツはナチスの全否定を前提に時効なきナチス犯罪追及、強制労働の被害者への個人補償、歴史教育の徹底などを進めた。

 ドイツの姿勢は1985年のワイツゼッカー大統領の演説から見てとれる。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」。現在と未来の根底には常に過去があるという考えだ。

 翻って日本である。負の歴史を曖昧にしてこなかったろうか。それゆえ、今も歴史観が問題にされる。ドイツに学ぶべきは歴史と真正面から向き合う意志だ。

■解決の糸口探る時だ

 「対話のドアは開かれている」。中韓との関係改善を尋ねられると安倍晋三首相は語ってきた。

 だが韓国が従軍慰安婦問題、中国が南京事件などを持ち出してくると、明確な答えを示してきたと言えるだろうか。

 もちろん中韓のかたくなな姿勢にも問題はある。しかし、両国との関係が修復できないのは安倍首相の歴史観にも原因があるのではないか。

 安倍首相は一昨年春、「侵略の定義は定まっていない」と国会で発言し、その年の暮れには靖国神社を参拝した。安倍首相は第1次政権で参拝できなかったことを「痛恨の極み」と公言、参拝の時機をうかがっていたともされる。

 最後は側近の制止さえ振り切り強行したが、中国や韓国はもちろん米国の反発も招き、日本が孤立しかねない事態にも陥った。

 そもそも、靖国神社はA級戦犯を他の戦没者と合わせてまつっている。この合祀(ごうし)には遺族の中にも違和感があり、外国の要人が参拝する場としてもふさわしくないとの指摘がある。

 忘れてはならないのは、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が一昨年の来日時、靖国を避けて宗教色のない千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れたことだ。それが何を意味するか。

 過去には福田康夫官房長官の私的懇談会が無宗教の国立追悼施設の建設を提言した。自民内には靖国のあり方をめぐり議論もある。

 内向き姿勢では歴史問題のもつれた糸をほぐせまい。将来も見据えながら、幅広く意見を取り入れ解決の道筋を探るべき時だ。

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