社説:戦後70年・歴史と政治 自分史に閉じこもるな
毎日新聞 2015年01月04日 02時30分
村山談話は「過去の一時期、国策を誤り」「植民地支配と侵略によって」「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」との認識が核になっている。戦争責任について公式に下された総括である。
◇誇るべきは戦後の歩み
戦後日本は廃虚から立ち直るとともに、他国との争いを厳に慎み、一国平和主義から国際貢献の主体へと脱皮してきた。誇るべきはその歩みであり、戦前の歴史ではない。
中国や韓国には戦後の和解過程について「日本はドイツに見習うべきだ」との声がある。謙虚に聞く必要はあるが、旧ソ連に対抗するために欧州の結束が必要だったドイツと、サンフランシスコ条約体制によって中韓との関係正常化が遅れた日本との単純な比較は妥当性を欠く。
重要なのは、政治指導者が国際社会に向けて明確なメッセージを発信し続けることだ。85年5月に当時のワイツゼッカー西独大統領が「過去に目を閉ざす者は現在も見えなくなる」と演説したことでドイツの評価が高まったのは間違いない。
今年は日韓の国交正常化50年という節目でもある。日韓基本条約は65年6月22日に結ばれた。本来なら和解を深化させるステップにすべきなのに、慰安婦問題が両国関係を冷え込ませたままになっている。
日本では朝日新聞の誤報を契機に、慰安婦問題の提起自体を不当だとする論調が現れている。事実関係の修正は当然だが、慰安婦を必要とした社会の醜さに鈍感であっては、どんな反論も通用しないだろう。
韓国の朴裕河(パク・ユハ)・世宗大教授は、近著「帝国の慰安婦」で日本軍による「強制連行」説に固執する韓国世論を批判しつつ、「戦争に動員された全ての人々の悲劇の中に慰安婦の悲惨さを位置づけてこそ、性までをも動員してしまう<国家>の奇怪さが浮き彫りになる」と書いている。
戦後日本が過ごした70年という歳月は、明治維新から敗戦までの77年間に匹敵する。今や歴史を排他的なナショナリズムから遮断すべき時期である。他者への想像力を伴ってこそ、その主張は受け入れられる。日本の政治指導者は、偏狭な自分史に閉じこもってはならない。