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【戦後70年】
今年も、来年も、生命がある限り、靖国へお会いしに…戦後70年特別展「英霊に贈る手紙」 遺族、父や夫へ感謝の念
平成27年、日本は戦後70年という節目の年を迎える。先の大戦を直接知る人たちの高齢化は進み、「70年」が証言を残せる最後の節目とも言われる。靖国神社遊就館(東京都千代田区)は70年を前に、26年2月から8月末まで遺族を対象に「英霊に贈る手紙」を募り、計584通が寄せられた。その一部は遺品とともに1月1日から同館で展示される。手紙には戦死した父や夫ら肉親への感謝の念があふれ、残された遺族たちが懸命に生き抜いた“戦後史”も刻まれている。
《昭和20年1月、佐世保から、沖縄方面海軍根拠地隊司令として赴任の朝、お迎えの車の前に、家族一同が並んでお見送りしたお父様の白手袋の挙手の礼、無言で一人一人に万感の思いのこもったまなざし、あの姿がお父様との一生の別れとなりました》
当時17歳だった板垣愛子さん(86)=大阪府富田林市=は、激戦地に向かう父親、大田實・海軍中将のりりしい姿がまぶたに焼き付いている。
家族に別れを告げた約5カ月後、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ…」と玉砕寸前の司令部から海軍省に打電し、6月13日に自決した。54歳だった。17年秋に父親と2人で伊勢神宮に参拝した際の「お母様を大切にしてね」との言葉は忘れられない。
父親への手紙は多い。
《冬の寒い夜は布団に一緒に寝て暖め、おとぎ話をして寝かし付けてくださったそのぬくもりを思い出します》
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