戦後70年にあたる2015年を迎えた。歴史をふり返ってみれば節目の年である。
自民党が結党して60年、日韓国交正常化から50年、先進国のサミットがスタートして40年、プラザ合意は30年、世界貿易機関(WTO)の発足から20年、京都議定書が発効して10年。それぞれ内政、外交、経済の枠組みをかたちづくってきた出来事だ。
そして今また、世界も日本も大きく動いている。われわれはどこを向いて、なにをめざしたらいいのだろうか。
■きしむ戦後の世界秩序
戦後世界を支配してきた米ソ冷戦がおわったのが1989年12月。それから25年がすぎた。イデオロギーによる対立の時代に終止符が打たれ、「歴史の終わり」で民主主義と自由主義経済によって世界はひとつになると期待された。
その中心は米国で、世界は一極支配になるかとみられた。しかし、経済のグローバル化がどんどん進み、米国の影響力が低下、中国が台頭して権力の移行がおこった。世界は「Gゼロ」といわれる権力分散の時代になっている。
グローバル化は一方で、格差の一因にもなった。亀裂が入った社会の不満を緩和し、国内をまとめていくため政治指導者はしばしばナショナリズムをあおる。ロシアのウクライナ介入や中国の海洋進出のひとつの理由がここにある。
それだけでなく、中ロ両国は米国が中心となってつくってきた戦後の枠組みに挑み、新たな秩序づくりに動いているようにみえる。
イラクとシリアにまたがる「イスラム国」にしてもそうだ。それはまた宗教や民族のつながりで、国家という存在を問い直すものでもある。スコットランドやカタルーニャの独立運動もその例だ。世界秩序がぎしぎしと音を立てているようである。
経済も同様だ。世界銀行、国際通貨基金(IMF)による国際金融の戦後秩序がきしんでいる。
75年にまず5カ国でスタートした先進国主導のG7体制も存在感が低下した。08年のリーマン・ショックの後に立ち上げた新興国も含めたG20はまだ、ものごとを決められる体制になっていない。
そこで中国が打ち出してきたのがアジアインフラ投資銀行(AIIB)だ。22カ国が設立覚書に署名しており、15年末に創設する。既存の枠組みへの挑戦といっていいだろう。
それでは中国をはじめとする挑戦者にどう向き合えばいいのだろうか。世界をうまくまとめていくための統治のかたちをいかにつくるかが焦点だ。グローバルなガバナンスの確立の問題である。
米国の影響力はなお大きく、まず米国を中心にG7の連携を強め、存在感を高めていく必要がある。そのうえで新興国参加型の合意形成の仕組みづくりをめざすべきだ。中国を排除した世界はもはやあり得ない。
既存の枠組みを破壊し新たなものをつくるのではなく、法の支配の原則のもと国際世論を背景に、今の秩序を維持し、それを強くしていくためにともに努力するよう引き入れていくしかない。
日本でも新たな統治のかたちづくりが求められている。衆院選で自民党の1強体制が継続することになったが、野党が相変わらず「多弱」な中で国会のチェック機能は低下している。
■視線は過去より未来へ
政策決定では首相官邸が主導する「官高党低」がすっかり定着、派閥も壊れて自民党内に対抗勢力はなく、単なる議員の集合体になりかねない。保守的なイデオロギー色の濃い若手議員が圧倒的多数を占めている現実もある。
与党3分の2体制のもとでの合意形成の仕組みを整えるときだ。
戦後70年の今年、とりわけ歴史問題への配慮が必要になる。発表を予定している首相談話は近隣諸国との関係に影響を及ぼすだけでなく、米国はじめ世界も注視していることを知っておくべきだ。
戦争への反省をふまえ、平和国家としての70年の歩みをあらためて確認する必要がある。視線は過去ではなく未来に向けられていなければならない。
明治時代、日本人としてはじめて米エール大の教授をつとめた歴史学者の朝河貫一が、日露戦争に勝利した後の祖国を憂えて著した『日本の禍機(かき)』に次のような一節がある。
「読者よ、日本国民はその必要の武器たるべき、健全なる国民的反省力を未だ研磨せざるなり」
それから1世紀。われわれは反省力を研磨しただろうか。