アンジェリークちえこのわくわく日記

「徳島・東新町」で12年目を迎えた美容室。
そこで出逢うお客様の笑顔。
ご縁ある人たちのハッピーストーリー。
そして…妻として、母として、女として
愉しく生きてる私の想いや感じたことを
ありのままに語ってマス。
Love&Peace


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はじめまして。

アンジェリークのChiekoです。

ブログを覗いてくださりありがとうございます。

私は18歳より7年間、徳島の某美容室に勤め

25歳で徳島市東新町で美容室アンジェリークを開業。

美容業全般、エステ業を中心に

今はオーラソーマセッションもさせていただきながら

我が信じる道を全うし、毎日愉しく生きております。



・・・とシンプルにに語ればこんな感じ。

でもこの人生振り返ると結構面白い人生を歩んできました。

「横隔膜ヘルニア」という病気を持って、息もしない状態でこの世に誕生。

夜間にも関わらず、オペができる先生や輸血をしてくださる方々が揃ったことで奇跡的に命を救われた私。

幸いにも後遺症はなく、無数につけられた点滴の縫い後とお腹一面に一直線に縫われた傷跡のみ。

3歳の冬、ストーブの上で炊いてたご飯をかぶり左腕を大火傷。

私の記憶はないけれど、毎日泣きながら治療に通い処置をしてたそう。

残ったのは左腕に地図のような火傷の跡。

この火傷は将来腕の曲げ伸ばしが出来なくなるからと、小学生のときに手術。

後3回手術を受ければキレイな腕になると言われたけど、子供ながらにお金のことを考えたり、通院場所が東京だったことが嫌で止めてしまう。

そんな中、16歳の時に両親が離婚し父と妹弟で暮らすようになる。

キモチのやり場がない私は父に反発。

学校も家も自分も適当になる時期を過ごす。

身体にある多くの傷にコンプレックスを持ち、心の傷を隠すのに必死だった子供時代。

数年後には両親が再婚。

18歳、今後の進路を決めなきゃいけないときに、声をかけてくれた美容室に就職。

人をキレイにしたりするのは好きだったけど、このときは家を出て一人暮らしできれば何でもよかった。

当時は高校から就職した人たちの中でも「一番最初に辞めそう」と言われてた私。

実際、自我の強い私は先輩ともよくぶつかった。

だけど負けず嫌いが功を奏したのか、辞める事なく続ける事ができた。

20歳には結婚。

すぐ妊娠したものの授かった命も自信の無さから子供をおろした。

2回目授かったときには、流産という悲しい体験をした。

その後、結婚生活も2年半でピリオドを打つ。

仕事を優先し子供の命と天秤にかけた自分を悔い、それからは結果をださなければとガムシャラに働いた。

いろんな資格を取る為にお金が足りなくなったときには、掛け持ちで夜の仕事をしたこともあった。

転機がやってきたのは24歳の時。

自分で開業する夢を持ち、進んでいた私にチャンスが訪れる。

美容室の居抜き物件で開業してみないかとの話。

開業目標は25歳だった事もあり、独立を決心する。

準備期間中いろんな試練を乗り越え、以前勤めてたお店を辞めてから2ヶ月で開業。

このときなんと25歳と2ヶ月。

準備期間中には有難いご縁にてひとりの女性が入社、オープンし1ヶ月後にはもうひとりの女性が入社し3人でお店を切盛りする。

雇われから経営者となった私は日々模索。

必死で働きすぎ完璧を求める故、よく身体も壊し、仲間とは幾度となくぶつかった。

そんな毎日を繰り返し、いつの間にか長い年月が経ち、仲間とはどこにも負けない明るさと強い絆ができたアンジェリーク。

32歳のときには幾度となく繰り返すギックリ腰にて、初めて行った治療院で7歳年下のやすくん(夫)と出逢う。

・・・が数回の通院にてそれきり患者と先生の関係で疎遠。

その半年後、偶然にも阿波踊りで再会し毎日逢うこと20日目にしてプロポーズされる。

不思議にも一言返事でOKの返事。

半年後にめでたく結婚。

楽しい結婚生活の中にもいろんな出来事で、夫婦の絆を試された。

子宮内膜症が見つかり、子供は難しいかも・・・と治療に入りだす直前に有難く妊娠。

でもハードな毎日の行いから切迫早産の危険があり、妊娠8ヶ月目から入院を余儀なくされる。

1ヶ月間、点滴が入りっぱなし&ベッドに寝たきりの生活。

全く動けない状態になり、ここであたらめて今までの自分と向き合える時間を与えてもらうこととなった。

その間にやすくんは原因不明の右耳難聴になる。

それを知ってか悠太郎(息子)は1ヶ月早く誕生したものの、3064gと超パワフルな状態で私たちの元へやってきた。


Chieko

このときアンジェリークも新しい形を迎える。

2012年1月。

共に働いてきたひとりの女性が独立、もうひとりの女性も子供を授かり、子育てに専念。

夫々に新しい道を歩みだした開業10年目。

悠太郎を連れながら初めてひとりでお客様をお迎えする環境になり、あらためてひとりで生きてないことを知った。

難聴になりガラリと生活が変わったやすくんが、仕事と共に育児&家事&体調管理をしてくれる日々。

いつどんなときも微笑みかけてくれる最愛の息子。

ひとりになっても子供を連れながらでも、ご理解し支えてくださる温かいお客様。

私がスムーズにお仕事ができるようにサポートしてくださる業者の皆様。

友人や身内の優しい心遣い。

そんな人たちのお陰で今がある。

・・・と語ればもっともっとあるけれど、

感じるがままに

その一瞬一瞬を

生きてきた結果が、今の私。


ホントにたくさんの失敗もしました。

多くの人にたくさん迷惑もかけました。

今までさんざん泣きました。

たくさん たくさんの経験をしてきて

今感じること。

「今」あることが幸せで、

 心から笑えている自分に出逢えたこと。

私は有難いことにホントに多くの人に恵まれてきました。

ホントに数えきれない人に救われてきました。

もうダメだと思ったときに、

必ず誰かが手を差し伸べてくれたこと。

温かい言葉をかけてくれたこと。

たたただそばで居続けてくれる人に巡り会えたこと。

気づきを与えてくれる多くの出来事が私を成長させてくれました。


『ありがとう』の一言では言い表せない人生だけど

生かせてくれてありがとう

出逢いにありがとう


の心で 毎日を過ごしています

「ご縁」は点と点を結び 心と心を結び 

必要なこと 必要な人 必要な環境
を繋げてくれます。

私がいろんな経験をし

多くの人とお話しする立場でいることも

きっと意味があるのでしょう。

今を必死で生き 悩み苦しんでいる人のお話も聴きます。

でもどんなに辛くても

どんなに悲しくても

どんなに悩んでも

どんなに寂しくても

必ず 日は昇ることを

必ず明日は来る事を

 私は身を持って体験しました。

つまずくときがあっても いい

たくさんの経験ができたからこそ

自分の弱さも強さも知れる。

これも長い人生にとれば

お金には換えられない大きな財産

親もとでいるのがイヤで逃げ出すように美容師になったものの、今では私の天職だと思ってる程。

スキなことをして

毎日楽しむことができて

相手にも満足してもらえる。

笑顔に出逢える。


「なんでも恐れずやってみること」

「笑っていればなんとかなるさ!」



私の座右の銘。

人は幸せになるためにこの世に生まれるのです。

これからも世界中がHAPPYの笑顔で

宇宙が平和であり続けるよう願いながら

今日も楽しみます!


最後まで拝読してくださり、ありがとうございました。

皆様にとって幸ありますように虹

愛を込めて・・・Chieko 

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