▼16. 記者会見(Open to the public) ~会見~(1)
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ものすごい数のカメラからものすごい数のフラッシュを浴びる祥悟。紅白初出場の時よりもずっと目がクラクラした。
(いよいよだ。)
祥悟は会見開始の挨拶を始めたケリーさんの隣で、深く息を吸った。
「突然のお知らせ及び深夜にもかかわらず、弊社所属アイドルグループ“エニタイ”ことAnytime Anywhereのメンバー、佐崎祥悟の結婚発表会見にご出席いただきありがとうございます。
本日進行役をつとめさせていだだきますのは私チーフマネージャーの吉田、また後ほどエニタイのメンバー4人も会見に同席させていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。
―では、先ずは事務所より簡単に報告させていただきます。
弊社所属タレント佐崎祥悟はこのたび、同じく弊社所属のフードスタイリスト ミカと結婚することに相成りました。ミカは現在妊娠中で春に出産の予定です。それでは佐崎本人からも報告させていただきます。」
…祥悟の相手がミカであること、そしてミカが妊娠中であることが明らかになると記者たちは大きくどよめいた。
昼間のワイドショーでは、これまで祥悟と噂になった芸能人の名前があがるものの確証がないという理由から、相手は学生時代の友人ではないかという説が濃厚になっていた。それが蓋を開けてみれば相手は同じ事務所のスタッフで数ヶ月前自身の離婚でマスコミを賑わせた、祥悟よりかなり年上の元カリスマ主婦…となればどよめくのは当然だった。
記者たちは規制線を越えんばかりに前に出て祥悟にマイクやカメラを向けていた。
祥悟は再び深呼吸をしたあと、落ち着いた様子で切り出した。
「本日は深夜にもかかわらず多数お運びいただきありがとうございました。
ただいまチーフマネージャーの吉田より報告させて頂きましたとおり、私 佐崎祥悟は同じ事務所のスタッフ兼、フードスタイリストのミカと結婚することになりました。冒頭にありましたように桜の咲く頃に頼りなくはありますが、親になる予定です。
―僕の家族とメンバーには既に報告済み…というか、メンバーには今日ここまで来るのに本当にいろいろと助けてもらいました。4人がいなかったら今日の僕らはなかったとさえ思っています。
入籍は可及的速やかに、願わくは自分たちの手で婚姻届を提出しに行くことを考えています。挙式・披露宴はミカの体調をみて、家族・メンバー・友知人を招いて行うつもりです。」
祥悟がひとしきり報告すると、矢継ぎ早に記者たちから質問が飛んだ。
「佐崎さん、フードスタイリストのミカさんといえば佐崎さんより十九才も年上で半年ほど前に離婚されてますよね。…お付き合いはその後からですか? また事務所の先輩と同じく『出来ちゃった婚』ですか?」
祥悟は質問した記者の目を見つめてしっかり答えた。
「ミカの離婚前から付き合っていました。ミカは『そうじゃない』と言ってくれていますけど、離婚の原因は間違いなく僕です。でも、『出来ちゃった婚』じゃないんです。『出来たから婚』なんです。」
日頃のクリーンなイメージとは異なる不倫の事実と『出来ちゃった婚』の否定に走る祥悟に対して記者たちからブーイングが起こった。
普段から事務所と良好な関係とは言えない出版社の記者がここぞとばかりに追い討ちをかけた。
「佐崎さん、『出来たから婚』って一体何なんですか?いくらラップのリリックでしたっけ?…を書いてるからって、『出来ちゃった婚』の呼び方まで自分風にしないでくださいよ。結局は人妻と不倫の末の『出来ちゃった婚』なんでしょう?素直に認めたらいいじゃないですか。このままじゃあ印象も悪いし、会見だって前に進みませんよ?」
祥悟は、懇意とは程遠い間柄のその記者にも、またそのまわりでブーイングを発している他社の記者たちにも、そこにいる全員にわかってほしいと言わんばかりに、真剣な顔で続けた。
「いや…、本当に子どもを授かったから結婚するんです。なぜならミカが僕のプロポーズを受けるための不可欠な条件が『僕が父親になること』だったので…。」
(そんなこと有り得ない)とばかりに両手を上げ肩をすくめながら、件の記者は薄笑いを浮かべて言った。
「そんなわけないでしょう。ミカさんは佐崎さんの熱烈なファンだったと聞いてますよ。憧れのアイドルからの夢のようなプロポーズに条件なんてつけるわけないじゃないですか。ミカさんが画策した『既成事実作り』という罠に、あなたがはまっただけなんじゃないですか?」
(どうしたらわかってもらえるんだろう)
…という思いと、
(ミカはそんな人間じゃない)
…という思いがごちゃ混ぜになり、思わず祥悟は右手で拳を握った。あまりの力の入れように、数年前ライブのリハで骨折した古傷が疼いた。
会場入りのきっかけを待ちつつ様子を見ていた理生はたまりかねて紗夢に言った。
「…なんか、あんまりじゃない。誰ひとりごぉくんに『おめでとう』とも言わないし、それどころかミカさんの悪口だなんて…。ねぇ、まだ助けに行っちゃダメなの?」
理生の問いかけに紗夢は首を横にふった。
「まだだめだ。始まったばっかりでオレ達が出てったらごぉくんの会見じゃなくなっちゃう。それに今みたいな汚い質問からミカさんを守るのはごぉくんの役目なんだ。『大変なことが起こっても俺が絶対なんとかしてみせるから。』ってオレらの前でミカさんに約束したんだから、大丈夫。乗りきれる、きっと。なんたって鋼の意思を持つ佐崎祥悟なんだから。」
会見場では祥悟が固く握りしめていた拳をゆっくり広げ、混沌とした気持ちを落ち着けながら話し出した。
「皆さん誤解されているようなので言わせて下さい。
ミカは人を陥れるような人間じゃありません。
子どもの頃からこの世界に身をおいて、いつも周りに守られてきた僕らのようなアイドルは、もしかしたら世間の同世代の人達に比べたら世間知らずかもしれません。…でも、邪悪な人間と何年も一緒にいられるほど世間を知らないわけではないんです。僕はエニタイとしてミカと出会ってからもう3年近くずっと一緒にいます。僕はそれだけで十分ミカの人間性が説明されていると思うんです。」
会見場は静まりかえった。祥悟は続けた。
「それと僕のプロポーズのことをもう一度話してもいいですか?
僕がミカにプロポーズしたのは出会ってから2年、付き合い始めてから1年経った頃です。
ミカは家族がある人だったし、僕らのスタッフでもあったし、ずっと一緒になんていられるわけがない…と思っていました。なので、プロポーズなんてまったく考えていなかったんです。
ただただ、ミカと過ごす穏やかな時間が1日でも長く続けばいいな…としか考えていませんでした。
僕らには、普通のカップルなら当たり前のように考える『結婚』というゴールはありませんでしたが、ミカの仕事場が僕の家の隣りにあったので、遠方や長時間拘束される仕事がない限り家族のように一緒にいました。そして付き合ってから1年近くも平和な毎日が続いてしまったので僕は忘れたんです。僕らが置かれていた現実のことを。
その現実はある日突然やって来て、ミカが本当の家族のもとへ戻り仕事場を空けた時期がありました。
…今思えばそれはほんの少しの間だったんですけど、僕にはとても長く感じられたのと、僕自身平静を装っているつもりでも様子がおかしかったんでしょうね。かねてから僕がミカを憎からず思っていることを知っていたチーフマネージャーから
『ミカとはどうなっているの?』
…と聞かれました。
僕はその時、まさか僕らが特別な関係になっているとは思っていなかったであろうマネージャーに初めて僕らのことを話しました。そして当然のことですが、マネージャーからは冷静になってミカとのことを考え直すように言われました。
僕はその夜ひとりで考えました。
ミカと別れて自分と同世代の誰かと結婚する自分、そしてその誰かと家族を作る自分…。どれも想像できませんでした。そして、僕が選んだのはミカとずっと一緒にいることでした。プロポーズをし、障害をクリアしようと思いました。
数日経ってミカが仕事場に戻ってきたその日の朝、僕はミカにプロポーズし、指輪を見せました。
ミカは驚いていましたが、『うれしい』と言ってくれました。でも、そのあと『いろいろ考えないといけないから返事を水曜日まで待ってほしい』と言いました。
その時僕は全く気づいていなかったんですが、ミカは僕の将来を慮って初めから僕のプロポーズを断るつもりでいたんですね。返事をする日とミカが決めた水曜は僕らのレギュラー番組の収録が終わる日でしたし、ショックを受けるであろう僕が仕事に支障をきたさないよう配慮してくれたんでしょう。そして水曜になりミカがそんな気持ちでいたことなんか全く考えていなかった僕は少しだけメンバーと飲んだあと、ミカの仕事場に立ち寄りました。
部屋に入ってしばらくはいつもの僕らでした。でも、ミカが淹れてくれたカフェオレを飲み始めてしばらくしてミカから僕とは結婚しないって言われたんです。
一瞬まわりにある何もかもが、空気さえも止まった気がしました。皆目理由が分からずミカがまだ何か話そうとしていたのを遮って理由を聞きました。
ミカはゆっくりと、僕ら二人は歳が離れすぎていて家族を作るのは難しいから、と言いました。僕と一緒になっても年齢的に子どもが出来ない確率が高い自分では僕の結婚相手には力不足だと、言い方を変えては同じことを僕に繰り返しました。
皆さんもご存知のとおり、僕は自分の家族 ―つまり両親・妹弟・少し離れたところにいる祖母― をとても大切に思っていて、「自分も両親と同じように子どものいる家庭を作りたい」と『理想の家族』を問われるたびに答えてきました。
加えてキャスターの仕事もさせていただいている僕にとっては、健康上何ら問題なく『父親』になることができるのなら、キャスターと言う仕事柄リアルな親目線を持つためにも、僕と同世代の別の女性と結婚して子どもを持つべきだとミカに言われました。
「ミカと二人きりで構わない」と繰り返す僕に、ミカは頑として首を縦に振ってくれませんでした。
予想外の展開に混乱した僕には、もうそれ以上話すのは無理でした。
僕はミカと結婚すると言う自分の意思を変えるつもりはないとだけ言い残して、ミカの仕事場を出ました。
難なく願いが叶うと思っていた僕には青天の霹靂でした。
自分の家に戻った僕には酒の力を借りて忘れようとすることしかできませんでした。
翌日オフだった僕に、仕事が早く終わったエニタイ(うち)の愛本(=理生)から電話がありました。
『これから一緒に夕飯でも…』という内容でしたが、僕はもうそんな気力もなく、『具合が悪いから』と言って断りました。
そんな僕を心配した愛本は事務所にいたミカに、『何か元気になれるものを食べさせてやって』と頼み込み、渋っていた彼女を連れて僕の家にやってきたそうです。
「…そうです。」と言ったのは、僕があまりにも酔っていて、愛本が来てドアを開けたあとの記憶がないからです。後でミカから聞いたのですが、僕は愚痴るように前の晩にミカとの間にあったことを愛本に話してしまったそうです。
僕はミカの名前は口にしなかったそうですが、ずいぶん長い間―つまり僕がミカと一緒に過ごすようになってから― TVで僕らのネタみたいになっている『HなDVD』を借りなくなった僕にステディな恋人がいるのだろうと思っていた愛本は、驚きながらも僕が口にした『年上の結婚している女性』というキーワードから、相手がミカだと直ぐにわかったそうです。
愛本は玄関で眠り込んでしまった僕をベッドまで運んでくれて、ミカには僕のプロポーズを受けるよう考え直してくれないか?…ととりなしてくれてから帰ったそうです。
数時間後にベッドで目を覚ますと、傍らにミカがいました。
愛本とのやりとりを全て聞いたあと僕は再度ミカに気持ちを伝えました。ミカが僕や僕の家の将来を考えてくれていることに感謝しつつ、でも自分はたとえ二人きりになろうともミカと一緒にいたいと再度伝えました。でも、ミカの意思は変わりませんでした。
足早にミカが僕の部屋を出ていったあと、僕は布団をかぶって泣きました。恋愛事で自分が泣くなんて思いもしませんでした。
そして1時間くらい経っていたんだと思います。愛本からメールが来ました。その後ミカとはどうなったのか、そしてその結果如何にかかわらず今日は僕の家に泊まりで飲みに行くから話を聞いてやる、と言う内容でした。
もう断る気力すら残っていなかった僕はシャワーを浴び愛本を待ちました。
ちょうどシャワーを浴び終えた頃、愛本がやって来ました。
エントランスのロックを開け玄関で待っていると何やら外が騒がしい…。不思議に思いドアを開ければメンバー4人とミカがいました。
―愛本はメンバーと一緒に再度ミカを説得しにきてくれてたんです。…そして、そのおかげで僕は
(ミカ自身が僕の子どもの母親になる)
という条件付きでプロポーズを受けてもらえることになったんです。」
じっと祥悟の話を聞いていた記者の中から声があがった。
「長いストーリーの割に結末が短絡的ですが、本当にそうなんですかね?」
祥悟の隣りにいたケリーさんが顎をしゃくって紗夢に出てくるよう合図を送った。
4人は会場の空気を変えようと故意にバラエティ番組のオープニングのような『賑やかしさ』で出ていった。
「いや~、どーもどーもー。」
普段なら理生が言うであろうこの台詞を、この時言ったのは何と紗夢だった。
いつもと異なる紗夢の行動に
(ごぉくんとミカをしっかり守らなければ…)
…と改めて気合いを入れ直す他の3人だった。
ケリーさんは4人の入場とともに祥悟の隣の席からスタンドマイクに移動していたので、4人は祥悟を真ん中にして2人ずつ左右に分かれて着席した。
祥悟の右隣りには紗夢、左隣りには理生、そしてその脇をそれぞれ計と慈朗が固めた。天然2人組をキレ者2人組がカバーする鉄壁の布陣だった。
4人が座り自分の周りが『エニタイのの風景』になった途端、祥悟は不安でいっぱいだった自分の心が和らいでいくのがわかった。
ケリーさんに視線を送り確認の後、紗夢が話し始めた。
「本日はの佐崎祥悟のためにお集まりいただきありがとうございました。
佐崎が話したとおり、僕ら4人は諮らずもプロポーズの場に立ち会うことになりました。
彼の話は皆さんからしてみれば『短絡的』と思われるかもしれませんが全て本当なんで、質疑応答を繰り返して頂いても同じ話を聞くだけになると思います。なので、結婚するのは僕らではないんですけど、今度はその時僕らが目撃したことをお話したいと思います。
じゃあまず、僕ら3人を現場に呼び出した らー……愛本理生から話してもらいます。」
誰に促されることもなく自らメンバーを仕切り始めた紗夢は、理生に最初の舵を渡した。
思いもよらない展開にテンパった理生は、椅子から立ちあがろうとしたその時ひざをテーブルに強打し、その衝撃のせいで祥悟の左手側に置いてあった蓋が開いたエビアン水のペットボトルを倒し、テーブルは水浸しになった。水はテーブルの傾斜もあったのか記者が居る方向に流れ出した。
「ほっ、本日はまことにありがとうございました。こ、このとおり水も滴るエニタイ一番人気のイイ男、佐崎祥悟のために集まっていただいて…。」
スーツ姿の祥悟が水難を逃れたことは誰が見ても明らかだったのに、理生ときたら自分の失態をなんとかネタにしようとあがき、結果『つかみ』で思いっきりスベってしまった。
誰も笑えずシーンとした空気が蔓延する中、理生の隣りにいた慈朗は突っ込みつつ話をつなごうとした。
「らーくん、ごぉくん全っ然濡れてないから。それよりオレらが現場に呼ばれる前の話してよ。あんたしか知らないんだから。」
(オレだけが知ってること…。)
慈朗の言葉を心の中で繰り返してから理生はゆっくりと話し出した。
「僕がミカさんを連れてごぉくんの家へいったとき、ごぉくんはただの愚痴っぽい酔っ払いでした。
長い付き合いの中で明るく酔っ払うごぉくんしか見たことがなかった僕は、ただ単純に
(かっこいいごぉくんでも失恋するんだな…。)
と思いました。そして、ちょうどごぉくんのところへ向かう前ミカさんに
『私ががいたらお見舞いにHなDVD持って行けないよ』
と言われ、ふと僕はここ最近割に長い間DVDを借りに来ないごぉくんに本命の彼女ができたのではないかと思っていた自分を思い出しました。
僕らはそれまで自分たちの恋愛のことをメンバーには言わないできたけれど、学生もしていた頃からずっと真面目でいつも仕事や勉強で忙しくしているごぉくんの恋愛の数はそう多くはないだろうと思っていたし、その中での失恋なんてショックに違いないと思ったので、とにかく話をさせてガスを抜いてあげなきゃ…とだけ考えていました。
そんな風に思ってごぉくんの家へ急いだ僕にごぉくんは、玄関でドアを開けるや否や急に、『年上の結婚している人』の話を始めました。
…もう、喋ること自体が怪しい酔いっぷりだったので話していた時間はとても短かったんですけど、僕はすぐにミカさんのことだとわかりました。
いつも楽屋で楽しそうに過ごしていた二人の姿が目に浮かびました。驚いたけれど、どこか何かに納得した自分がいました。
―あとはさっきごぉくんが言ったとおり、ミカさんにごぉくんとのことを考え直して欲しいと頼んだ後、玄関で眠りこんでしまった彼をベッドまで運んでから、家路につきました。
夕飯を食べ損ねた僕は以前ごぉくんに連れていってもらったカレー専門店に入って食事をしました。
いつもだったら店の人と話したり、ひとりMP3プレーヤーでで音楽を聴いたりするのですが、その日はどちらもせずに『明日からのごぉくん』のことをずっと考えていました。
僕らエニタイのメンバーは、皆さんにもよく言って頂くように本当に仲が良くていつも5人が5人を支えています。その一方で互いにのプライバシーも尊重し合っていて、こと恋愛に関しては詮索しないのがこれまでの僕らの『普通』でした。
僕ら5人はもう二十代後半の大人だし、これまでもきっとお互い知らないところで誰かと付き合ったり別れたり、片思いの果てにフラれたりと言うことがあったはずです。ただ、周りにいるメンバー達がそのことを知らなかったからこそ、つらくても自分にムチ打って周りに気づかれないうちに立ち直って来れたんだと思うんです。
けれど、この時ばかりは僕がごぉくんとミカさんのことを知ってしまったし、それが故にごぉくんが立ち直るのに時間がかかってしまったり、ミカさんがごぉくんに対して普通に接することができなくなるんじゃないか…と心配になりました。
どちらか片方の片想いなら話は簡単でしたが、二人ともお互いを想い過ぎて同じ道を選ばないと言っていることがまた話をややこしくしていました。
僕はカレー屋を出てタクシーは呼ばすに一時間くらい歩いて家に帰りました。
食べ終わってもまだごぉくんとミカさんのことが頭から離れなかったので時間がかかる方法で家に帰ることにして、その間にもっと考えたかったんです。
…難しい問題を考えている時ってすぐに時間が経ってしまうんですね。僕の感覚では『あっと言う間』に家についてしまいました。
バスルームに行き、シャワーを浴びている間も考え、そして決めました。
(メンバー全員でミカさんを説得しよう)
って…。
ごぉくんが立ち直れるかどうかも心配でしたが、それより何よりいつもみんなで過ごす楽屋から二人がが作るあの温かい空気をなくしちゃいけないと思ったんです。何でだか自分でも解らないんですけど、まるでご先祖さまの守護霊が降りてきたみたいに急に…。
―直ぐにどうにかしなくちゃと思った僕は急いで髪を乾かし、ごぉくんとミカさんのことを書いたメールをごぉくん以外のメンバー三人に一斉送信して、ごぉくんのマンションのエントランスで待ち合わせました。
待ち合わせ場所にはジロ、リーダー、計の順でやってきました。
全員が集まるまで30分くらいだったでしょうか。
メンバー3人は三々五々集合してきて各人僕と1対1で話す時間があったのですが、誰一人として僕がメールに書いたごぉくんとミカさんのことを
「本当に?」
とは聞きませんでした。
誰一人疑問に思わなかったのは多分、3人も僕と同じで、ミカさんと一緒にいるごぉくんの穏やかな様子に気づいていて、きっとその空気が好きだったからだと思います。だから不思議に思うより先に、ミカさんと一緒にいる時のごぉくんの様子に合点がいったんだと思います。
「ああ、なるほどね。付き合ってたからだったんだ。」
って…。
4人集合後、エントランスからごぉくんを呼んでオートロックを開けてもらいました。そしてその足で僕らはミカさんのキッチンスタジオに行きました。ミカさんは見かけと違って強情な人だからごぉくんと話してもらったところで何も変わっていないだろうと思ったからです。
頻繁にミカさんにご飯を食べさせてもらっていた僕は、いつものように鍵の開いたキッチンスタジオのドアからメンバーと一緒に部屋へ入りました。僕以外のメンバーがいることに驚くミカさんに僕は言いました。
「もう一度ごぉくんの家に行くから一緒に行って。」
…と。
そして、ミカさんの返事を待たずに手を引っ張って隣りのごぉくん家に行きました。
相当僕ら男4人がうるさかったのかも知れないです。インターホンを鳴らす前にごぉくん家のドアが空き、ごぉくんが怪訝な顔をして出てきました。
皆でごぉくんの家へ上がりこみ、ミカさんを説得する前に事情聴取をしました。付き合ったきっかけや時期…二人がつくる空気の温かさには皆気づいていたけれど、実際はいつからそういうことになっていたのか誰も知らなかったからです。
通り一遍の質問が終わるとリーダーが切り出しました。ミカさんがごぉくんのプロポーズを断っているそうだけど、それしか方法はないのか?…と。
リーダーの声を聞きながら僕は考えました。
(「結婚したい」と言うごぉくんと「結婚しない」と言うミカさんの言い分を一つにするにはどうしならいいんだろう?)
僕はエニタイの中で意見が分かれるような時、いつもどうしているのか考えてみました。まずメンバーのみならずスタッフも含め全ての意見を聞き合い、目指す方向が違わなければ出来得る限り全ての意見を取り入れて総意を作る―。
ごぉくんはそんなエニタイの一員だし、ミカさんだって何気なく交わした言葉の中から僕らの体調や気持ちを感度高く汲み取ってくれるそれはそれは有能なスタッフなのに、どうしてそんな二人が一番大切な人の願いに歩み寄れないのか不思議でたまりませんでした。
僕は、「ずっとミカさんと一緒にいたい」と言うごぉくんと、「ごぉくんは子どものいる家庭を作るべき」と言うミカさんの思いを一つにまとめてみました。それはとてもシンプルな、
『ミカさんがごぉくんの子どものお母さんになればいい』
…ということでした。
そして、僕はミカさんに聞きました。
どうしてもそれができない理由…例えば更年期とか病気…があるのかと。」
理生の説明の途中で場内はざわめき、記者たちはケリーさんが指名する声など待たずに次々と非難に満ちた質問を飛ばしてきた。
「…今のお話だと愛本さんはミカさんと佐崎さんが不倫状態だった頃に二人に子作りを薦めたってことですよね。当事者の祥悟さんのみならず本来なら佐崎さんを諫めるべき愛本さんまでモラルに反した行動を推奨するなんて、何を考えてたんですか?」
「松野さん、何故愛本さんから佐崎さんとミカさんが付き合っていると聞かされて、『不思議』に思わなかったんですか?さっきの質問にもあったように『不倫』ですよ?それも真面目な佐崎祥悟が。
佐崎さんがミカさんに騙されているんじゃないかとか、疑いはなかったんですか?」
「愛本さんの説明と佐崎さんの説明が判でも押したかのようにまるで同じなことも不自然ですよ。本当は単なる『出来婚』なのに芝居上手なみなさんが佐崎さんを守るために小芝居してるんじゃないですか?
大月さん、そこのところ答えてください。」
「愛本さんに質問ですが、何故多忙極めるメンバーを全員召集してまでリターンマッチをしようと思ったのですか?今日の騒ぎを見てお分かりだと思いますが、佐崎さんにもエニタイにとってもプラスどころかイメージダウンにしかならない話だと思うのですが?」
「エニタイの常識人の仁藤さん、グループにもイメージダウンになるってことが素人だってわかる状況で、なぜ佐崎さんの方を説得しなかったのですか?ミカさんをあきらめるようにと。」
4人がマイクを持ち答えようとしているのに、間断なく新しい質問が向けられる…。エニタイ5人は押し黙って騒ぎが治まるまで待つことしかできなかった。
なんだかまるで、とんでもない悪行を働いた企業の経営者の謝罪会見の様相だった。
そんな様子をいたたまれない気持ちで、ひとり楽屋のTVで見ていたミカの背後で聞きなれた声がした。
「…まったくもう。何歳になっても強く出られないんだからこの5人は…。なーに必要以上に『いいヒト』しちゃってんのかねぇ…。」
ミカが(まさか…)と思いながら振り向くと、そこには社長が立っていた。5人のあまりの頼りなさに自宅からやってきたのだ、と言った。
「もうあとはミカちゃんにお願いするしかないねぇ…。Lady、事務所きっての女の強さを見せてやってよ。―で、いつ出るの? 吉田からはなんて言われてるの?」
ミカは戸惑った。ケリーさんから言われた『騒ぎになりかねないから記者から見えない場所にいるように』という指示と正反対のことを言われたからだ。
ミカはおずおずと社長に確認した。
「…あのー社長、会見出てよかったんでしょうか?ケリーさんにも私にも、そういう理解はなくって…。」
社長は老眼鏡の下の目をまん丸くして言った。
「え、なんで? Ladyからもらったメールの返信で『いいよ』って言ったじゃない。吉田にもcc配信したんだけど…。ちょっと待って、携帯見るから…。(携帯をあけて渋い顔をしながら。)
…あぁ、やっちゃった。メール作ったのに送信してない…。ごめんね、ミカちゃん…。
―じゃあ、すぐ会見場に行って雛壇に座っちゃおうか?Ladyはサミーを弾き出しちゃって、ごぉくんの隣に座んなさい。
…うん、想像するに男女二人が並ぶとぐっと画面が良くなるね。そうして修羅場を乗り切ったら会場のカメラマン達にごぉくんと二人の写真をたくさん撮ってもらいなさい。明日の朝たっくさん新聞に載るから記念になるし、産まれてくる赤ちゃんにも見せられるでしょ。その赤いネックレスの結婚指輪もよーく見えるように写ってよ。
―僕が自分で言っちゃうのも何だけど、この記者会見の写真がLadyとごぉくんへの『粋』なプレゼントのつもりなんだからね…。」
そう言うと社長は、優しく手をつないでミカを会場へエスコートしてくれた。ミカはつながれた手のぬくもりを心地よく感じながら他愛のないことを考えていた。
(本当に自宅から独りで慌てて来たんだ。秘書の人もいないし、いつもダンディなこの紳士が健康サンダルを履いてきてる…。)
そしてミカは会見場に向かう道すがら確信した。
(社長がいてくれれば大丈夫。きっと私だけでなくごぉくんも落ち着いて対処できる。)
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