▼12. NG(Unexpected rejection)
仕事を終えたミカは、(キッチン)スタジオでCDを聴きながら祥悟の帰りを待っていた。
収録合間の紗夢と計の会話から祥悟がすこぶる快調で、その日『ヒーロー』になっていた事をミカは知っていた。
仲のいい5人のことだ。祥悟以外の4人は明日朝から仕事が入っているけれど、祝杯をあげているに違いない。
その日ミカが選んだアルバムには♪サヨナラ♪という曲が入っていた。普段女性ヴォーカルを聴くことが多いミカが、男性ヴォーカルのCDを選んでいることで
(何かが違うな)
…と祥悟が感じてくれさえすれば、つらい話も少しは切り出しやすくなるのに…とミカは溜息をついた。
祥悟を待つ間ミカは何度も逡巡した。
黙ってスタジオをあとにすること、祥悟への返事を先延ばしにすることも考えた。でも、結局はどれもほんの数日の時間稼ぎでしかないのだ。
(最後こそきちんと向かい合わなければ。)
ミカは心を決めた。
一番見たくない祥悟の傷つく姿が二人きりで過ごした最後の記憶になることを覚悟した。
+++++
頬を赤らめ『ぽわん』とした表情で、祥悟は普段の水曜日より2時間程遅くミカのスタジオに現れた。 短い時間でも楽しかったのだろう。すっかり満たされて子どものような顔をしている。
「遅くなってごめん。オレ今日奇跡的に絶好調で、みんなが祝杯あげようって言ってくれて…。待たせてごめん。」
ほろ酔いで何度も謝る祥悟に目を細めてミカは言った。
「大丈夫だよ。今日はね、いつもとちょっと違う感じの音楽聴いてゆっくりしてたから。」
CDプレーヤーに立て掛けてあったケースを手に取りながら祥悟は言った。
「よかった。俺も最初はミカさんが待ってくれてるし、どうしようか迷ったんだけど何だかみんなとすんごく楽しくて…。うれしかったなー、みんな明日も仕事あるのに、オレのために祝杯あげてくれて…。」
「みんな良い子だものね。今日楽屋で食事してる時にも計とさっくんがごぉくんのこと誉めてたよ。それと、二人ともごぉくんが心から笑っている姿で自分達も幸せになれるとも言ってたよ。」
ミカが茶化すように楽屋での様子を話すと、祥悟は照れつつも困ったように真顔で言った。
「なんか恥ずかしいなぁ、そんなに男子に愛されちゃって…。巷では最近オレとさっくんがデキてるって噂があるらしい…。どっちかが年貢を納めない限りずっと言われちゃうのかな。」
ミカは自分がファンだった頃を思い出して言った。
「まわりが何か言いたくなるくらい仲良しってことだね…。男同士ってところが問題だけど、ファンにしてみたらごぉくんやさっくんが女子とお付き合いするより何億倍も望ましいことだものね。健全な男の子のごぉくんとさっくんにしてみたらとんでもない話だけれど。(笑)
―ところでご飯は食べれた?」
「うん。…あっ、ごめん、作ってくれちゃってたんだよね。メールくらいするべきだった…。ごめんなさい。」
またしても何度も謝る祥悟を見てミカは思った。
(きっとお家で「食事をしてくるときは連絡しなさい」って言われて育ってきたんだね。自分がお父さんになったらきっと同じように子ども達に教えるんだろうな。)
ミカは父親になった祥悟に会いたいと思った。
でも、祥悟が父親になった時そばにいるのは自分ではない。
もうミカの年齢では祥悟を父親にしてあげることすらできないかもしれないのだから。
自分ではない誰かと家族になる祥悟の姿を自分はいったいどこで見ることになるんだろう?
苦しくて想像できなかった。
…もう頃合いだ。さっき「年貢を納める…」という言葉を出してきた時点で祥悟がミカの答えを聞きたがっていることはわかっていた。
(もう逃げるのはやめよう。)
ミカはいつも通り真っ直ぐに祥悟の瞳を見つめて言った。
「ねえごぉくん、この間見せてくれた指輪は『結婚の約束』の証なんだよね?」
「?…うん、そうだよ。」
ミカが淹れたカフェオレを飲みながら不思議そうに祥悟は答えた。大きな瞳が(どうしてそんな事を聞くの?)と言っている。
ミカは祥悟に言った。
「…そうだよね。今さらこんなこと聞いてごめんね。
…そしてもう1回ごめんなさい。―それじゃあ、あの指輪は受け取れない。」
祥悟はカフェオレが入ったカップを静かにテーブルに置き、考えながら言った。
「…それは離婚が難しいってこと?オレならいくらでも待つよ。この間も言ったとおり時間がかかってもずっとミカさんと一緒にいられるようにしたいから。」
ミカは首を横に振った。
「ううん、そうじゃないの。確かに旦那さんには何も話せていないから離婚が難しいかどうかわからないけれど、この前自宅に帰った時にわかってしまったの。私の日常はもう旦那さんのそばよりもごぉくんのそばにあるってことが…。」
「じゃあ理由はなんなの?全くわからないんだけど…?」
珍しくミカが話している途中で口をはさんできた祥悟にミカは答えた。
「ごぉくんは将来ご両親と同じように自分の家族をつくりたいんだよね? でもね、私と結婚したら子どもを持つことはできないかもしれない。調べてみたけれど、私くらいの年齢になると卵子が古くなっている分、妊娠しにくいんだって。このことはごぉくんよりだいぶ年齢を重ねている私にとって受け入れざるを得ない現実なの。
…そしてこの現実が意味することは、私達が目をそむけてきたことだけど、私達二人の年齢が離れて過ぎているっていう事実なの。
ごぉくんはキャスターもしてるし、あえて口には出さないけれど、それをライフワークにしたいとも思っているでしょう?キャスターを続けていくなら結婚するとか親になるとか、経験できることはするべきだと思うの。
この間の選挙番組ではまだごぉくんは独身だし当然子どももいないから、子育て支援策について問題提議していた世の中の親御さんの意見に対して、『ひとりの大人として子ども達の将来を考えたい』って言っていたよね。でも、ごぉくんは近い将来絶対、『ひとりの親として…』って言えるようにならなくちゃいけない人だと思うの。
ごぉくん自身が意識しているかどうかわからないけど、ごぉくんはキャスターとしてもとても期待されていると思う。アイドル専任で尖ってやっていくなら私みたいなかなり年上の女性と結婚して、二人きりっていう選択も『あり』かもしれなかったけど、現実はそうじゃない。
…キャスターとして言葉を伝えるとき世の中のマジョリティの視線を持たないとどうしてもコメントが上滑りに聞こえてしまう場合があるの。 その時代によってコメントする対象は異なるけれど、こと子どもに関する問題は人類に未来がある限りずっと対象になり続けると思う。
子どもがいないマイノリティ側の人達の意見ももちろん大切。だけど、ごぉくんは今なら子どもを持つマジョリティ側の人間になることを選択できるんだからそうするべきなの。
それに、キャスターの仕事があるにせよないにせよごぉくんが愛する佐崎家はもちろん、どこの家もでき得る限りその血を大切に繋いでいかなきゃいけないの。自分が生涯を終えても永い時間その家が守ってきた大切なものを残すために。その大切なことをごぉくんと一緒にするには、私では確実に力不足なの。
私は今一時の熱い気持ちだけでごぉくんの将来をふさぎたくないし、ごぉくん自身の選択であったとしても可能性を狭める方を選んでほしくない。
―だから私はごぉくんとは結婚はしない。
お願いだから、結婚はごぉくんと同じ早さで年齢を重ねていける女性として。そして、ごぉくんのDNAを持った子のお父さんになって、ご両親にもお孫さんにあたるその子の顔をみせてあげて。
きっとお父さまもお母さまもごぉくんや妹さん・弟さんが生まれた時のことを思い出して、とても喜ぶと思うから。ごぉくんだってそんな幸せそうなご両親の笑顔を見たいでしょう?」
祥悟は黙って聞いていたが、しばらくして すっかり冷めてしまったカフェオレの入ったコーヒーカップを見つめていた視線を上げて、ミカの目を見て言った。
「オレならミカさんだけいてくれれば大丈夫だから。キャスターだって他の仕事だって、その時のオレそのもので真っ直ぐやっていくから、何の心配もいらないから。
将来のオレに子どもがいなくてもそれが本当のオレなら、そのまんま嘘なくやっていくから。」
ミカは『ミカさんだけいてくれれば大丈夫だから』と言う祥悟の言葉に心が揺らぎそうになった。
本音を言えば自分だって祥悟さえいてくれればいい。でも、祥悟は自分だけの祥悟ではない。人気アイドルグループAnytime Anywhereのメンバーであり将来を嘱望されているジャーナリストなのだ。
一時の情熱に流され自分との短く狭い未来を選ぶより、実りある未来へ向かって欲しい。
ミカは
(これを言うのは意地悪だ)
…とわかっていながら祥悟に言った。
「ごぉくん、あの指輪がごぉくんの本当のお嫁さん見つかるまでの短い約束なら喜んで受け取れる。…でも、ちがうんだよね」
祥悟は言った。
「ただ指輪をつけてもらうことが目的じゃないんだ。―そんなこと、ミカさんだってわかってるくせに…。」
祥悟の顔からはもう帰ってきた時の『満たされた表情』は消えていた。
「…オレ家に戻るわ。ミカさんが二人の現在のことだけじゃなく、オレの将来や親のことまで考えてくれてることはわかったよ。でも、こんな展開になるなんて思ってもいなかったから混乱しちゃってるんだ。だから、とりあえずひとりになって考えてみる。
…でもそれは、頭の中を整理して何をどうすればいいのかを考えるだけであって、オレの気持ちは変わらないから。
オレはミカさんがいてくれればそれだけでいい。ミカさんとずっと一緒にいるためにミカさんと結婚するんだ。」
ミカが何も言えないでいる中、祥悟は(キッチン)スタジオを出ていった。
リピート設定されていたCDプレーヤーからはちょうど♪サヨナラ♪が流れていた。
それまで幾度となく聴いて来たそのメロディーはその夜、一際ミカの心に突き刺さった。
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