▼10. プロポーズ(Proposal)
祥悟の決意の夜から数日が経ち、ミカはようやく(キッチン)スタジオへ戻ってきた。
ちょうどその日は月曜日で、祥悟がTV局に出かけるまで二人きりでいられる日だった。
祥悟は思い切って切り出した。
「ねぇ、聞いてほしいことがあるんだけど、今いい?」
キッチンで食事の支度をしていたミカは手を洗い、リビングのソファーに座っている祥悟の隣りに腰をおろした。
「どうぞ。なんだろう、何かドッキリすること?」
祥悟はミカの瞳をいつになくまっすぐ真剣に見つめて答えた。
「うん、そうかもしれない…。俺も恥ずかしいから一度しか言えないと思う。だからよく聞いて。」
深く息を吸って祥悟は続けた。
「…ミカさん、一生オレの面倒みてください。今の中途半端な形はもうやめにしてずっと一緒にいたいんだ。
―オレと結婚してください。」
祥悟は手の中に包み持っていた小さな箱をソファーの前のテーブルに置くと、目配せで箱を開けるようミカを促した。
ミカがゆっくりと箱を開けると中にはプラチナのペアリングが入っていた。
1cmほど高さのある二人分の指輪のうち 大きな方には祥悟の誕生石のガーネットが、小さな方にはミカの誕生石のサファイアが埋め込まれていた。
いずれの指輪も内側(指に触れる側)に、“Always be with you”と刻まれていた。
そして、料理家という仕事柄、指輪を指につけたままでいられないミカのために、サファイアの指輪はプラチナのボールチェーンにとおされていた。
+++++
祥悟が心を決めた夜、ミカは久しぶりに自宅に戻り家族3人で過ごしていた。
3人がそれぞれの近況を話したあと、ミカが事務所からもらっていたTVゲームで遊んだ。
しばらくして息子が自室へ戻り、旦那さんと二人だけになったリビングで、ミカはいつも祥悟としているように、音楽が聴きたくなった。
勇気をだして旦那さんに言ってみた。
「一緒に音楽でも聴いてみる?」
もう長いこと、旦那さんには言っていない言葉だった。
旦那さんは答えた
「うーん、TVにしようかな。」
…それはミカを拒絶したわけではなく、むしろそれがミカと旦那さんの日常だった。
長い間異国の地で離れて暮らしていても、我が家に戻ればすぐにミカとの日常に戻ることのできる旦那さんとの間には、わかりあえないもの以外に長い時間で培われた二人だけの『いつも』があるのだった。それはある意味、祥悟とミカの間にはない、旦那さんとミカの絆だった。
でも、その時ミカは無性に祥悟に会いたくなってしまった。
もしかしたら、もう自分の日常は自宅にはないのかもしれない…。そう思う自分に愕然とした。
+++++
久しぶりに家族全員そろったにもかかわらず、そんな風に思う自分にショックを受ける渦中での祥悟からのプロポーズ―。
ミカは嬉しかった。
祥悟はもう自分には何事にも替えられない大切な存在だったし、二人の指輪を作ってくれていたことも、ミカがずっと肌身離さず指輪をつけていられるようにネックレスにしてくれたことも、何もかもが嬉しかった。今すぐにでも、ネックレスになったその指輪を身につけたかった。
でも、祥悟との『結婚』はだめだ。
自分が既婚者だからではない。自分と一緒になったら、祥悟が大切なことをあきらめなければいけなくなるからだ。
―それは祥悟自身の血を分けた子どもを持つということ…。
一緒になることはできても、自分の年齢で子どもを持つことはもう難しいだろう。
自分の家族をこよなく愛し、
「自分の家族のような家庭をつくりたい」
…と、理想の家族を問われるたびに言っている祥悟の大切な夢が、自分のせいで叶わなくなるなんて、耐えられなかった。
(どうしよう、今日から水曜日までは収録がある。ごぉくんの心を壊してしまいそうで、断ることが怖い…。)
混乱する心を抑えながらミカは、平静を装いやっとの思いで口を開いた。
「ごぉくん、ありがとう。人の何倍も照れ屋のごぉくんが言ってくれたプロポーズも、この指輪もとてもうれしい。今すぐにでも身に着けたいくらい…。」
(断ろう)と決めた心とは裏腹に、ミカの言ったこの言葉は本心だった。自分が祥悟と同年代に産まれていたら、祥悟に抱きついて喜んだに違いなかった。
でも、現実の自分は祥悟よりずっと年上で、子どもを持つことはおろか祥悟より先にこの世を去るであろうことも自明の理だった。「親子ほど年が離れている」…というのはそういうことなのだ。
寂しがり屋の祥悟を一人残していくこともミカにとっては想像するだけでつらいことだった。
祥悟はそんなミカの思いには気づくことなく、ミカの口から出た言葉に微笑んだ。これまでミカが見てきたたくさんの祥悟の笑顔の中で1番いい笑顔だった。そして祥悟は、ミカの分の指輪がついたボールチェーンを手に取って、ミカに着けようとした。
―本当はそうされることがとても嬉しいのに、ミカは自分の首に手をまわしかけた祥悟をそっと制止した。
「でも、待って。結婚となると考えなきゃいけないことがたくさんあるの。…水曜の収録が終わったら返事がしたいんだけど…? だめ?」
祥悟は指輪を箱に戻すと優しく言った。
「わかった。…そうだよね。現実的にそうなったら大変なのはミカさんの方なんだったね。
今日のところはミカさんに『嬉しい』と言ってもらえただけで『よし』としなくちゃ―。
じゃあ水曜の夜、収録が終わったらいつもどおりミカさんのところ(スタジオ)へ寄るね。」
ミカは、まさか自分がプロポーズを断ろうとしているなんて夢にも思っていない祥悟の様子に心が痛んだ。あまりにもつらすぎて意図的に話題を変えた。
「…さあ、ご飯の支度をしようかな。何か食べたいものはありますか?」
ミカの問いかけに祥悟は小さな声で答えた。
「ん~…。今日はなんだか肉食な気分だなぁ。
一世一代のパフォーマンスをしたからかな、すんごく腹が減ってるの…。」
弱った動物みたいな祥悟の様子にミカは言った。
「朝からまさか…とは思ったけど、昨日ハヤシライスを作っておいたの。ほら、この間のPV撮影の日、ごぉくんが『ハヤシライス~、ハヤシライス~』ってうわ言のように言ってたってあおいちゃんから聞いていたから。」
(なんであおいちゃんがそんなことを?)
祥悟の表情を見て取ったミカはさらに続けた。
「どうやらあおいちゃんはらーくんからそのことを聞いたみたいよ…。私が鎌をかけたところで何か言うようなあおいちゃんではないけれど、二人は何かいい感じみたいね。…もっとも、あおいちゃんが現場に参加している時のらーくんの舞い上がり様を見れば鎌なんてかけなくても一目瞭然なんだけどね(笑)…。
さあハヤシライス、いってみる?」
祥悟は『うんうん』と首を縦に振った。楽しいことに遭遇する度に見せる、大きな大きな目を直線になるまで細めて笑うあの幸せそうな笑顔で。
ミカは、ハヤシライスが1日の始まりにしては重いかも…と気遣い、付け合わせは『オニオンスライスのおかかのせ』にした。
「お醤油をさっとかけてお浸し風に食べてみてね。」
そしてミカは食後に梨を剥き、苺味のチョコレートのような色をした持ち手のないフリーカップにジャスミンティーを二人分淹れた。
穏やかな朝のTea for two…。
この日は気持ちに余裕があったのか、祥悟は食卓に仕事の資料を持ってこなかった。ミカは気になって祥悟に聞いてみた。
「仕事の準備はまだいいの?」
ミカの心配をよそに祥悟は笑って答えた。
「昨日ぐっすり眠れたせいか今朝は6時に目が覚めちゃって…。シャワーを浴びてTVをつけたらラジオ体操をやってたんで久しぶりにそれをやって…。実はそのあとに今日の準備は済ませちゃったんだ。だからね、今日は『余裕の人』なんだよ。」
エニタイのメンバーがよく口にするところの『どや顔』をしている。
ミカは安心すると祥悟に言った。
「…じゃあ、『余裕くん』にお願いしようかな…。私たちの『あの曲』を久しぶりにデュエットしていただけますか?」
「よろこんで!」
祥悟は顔をくしゃっとさせ満面に笑みを浮かべると、お姫様抱っこでミカをピアノ椅子まで連れて行った。
「ねー、重くなってない?ひとりで美味しいもの食べちゃダメだよ。楽しいことは二人一緒がいいんだからさ。」
祥悟の『二人一緒』という言葉にミカは涙がこぼれそうになった。 水曜の夜になり、ミカが祥悟のプロポーズを断ってしまったらもう二人ではいられないのだから―。
「そんなことしてないよー。まず太ってないから!」
ミカが悲しい気持ちを抑え強がってるうちに、祥悟はミカを優しくピアノの前の椅子に下ろし、♪Always♪を弾き始めた。
ミカは祥悟に悟られないよういつもどおり祥悟と二人で歌い、笑ってみせた。
祥悟は静かに言った。
「…実は白状すると、ミカさんが家に帰ってる間すごくさびしかったんだ。子どもの頃、鍵っ子だった時よりもずっと…。だからもう時間がかかってもいいから、ちゃんとした形でずっとオレと一緒にいてね。」
ミカは黙って祥悟の胸に顔を埋めた。そうしてしまえば泣き出しそうな自分の顔を祥悟に見られずに済むと思ったからだった。
…そんなミカに小声で祥悟が囁いた。
「ねぇ…。食欲じゃない方も肉食獣になってきちゃったみたいなんだけど、どうしたらいい…?」
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