▼9. 決断(Decision)
ぽっかり訪れた独りの時間―。
ミカのスタジオを訪れ改めてミカの不在を確認した後、祥悟は自宅に戻りウイスキーグラスを片手にベランダに出た。
ついこの間ミカがガーデンテラスで開いてくれたディナーパーティーの時と同じように月がきれいな夜だった。
黄色い月が放つ青白い光は祥悟の心のざわめきを鎮めてくれた。
祥悟は数時間前、メンバーが帰ったあとの楽屋でケリーさんに言われた言葉を反芻してみた。
「行き場のない将来を選ぶより、君が幸せになれるところが絶対あるよ。すぐに無理なのはわかるけど、ミカとのこと、冷静に考えてみた方がいい。」
(確かにケリーさんの言うとおり、ミカさんと一緒にいることをあきらめて時が経つのを待てばいつか他の誰かに出会えるんだろう。きっとそれは自分と同世代の誰かで、年齢を考えればミカさんよりずっと長く一緒にいられる人なんだろう。
―でも、それって誰なんだ?今わかることはそれがミカさんじゃないってことだけだ。)
そして祥悟は考えた。
(何故ミカさんと一緒にいることをあきらめなきゃいけないんだろう?)
ミカが嫌がるならいざ知らず、二人で過ごすときのミカが穏やかで幸せそうに笑うことを知っているのは他ならぬ自分だった。
ネックになっていることはただひとつ、ミカに夫と息子をがいてモラルに抵触しているということだった。ただ、この1つだけの障害は、『芸能界』という不特定多数の人達に自分の姿を見せることから始まる世界に身をおく祥悟にとってはとても重い枷だった。
「この障害さえクリアすればずっと一緒にいられるんだよな…。」
祥悟はこんな風にひとりごちる自分にびっくりした。
子どもの頃から人と争ったり、人を傷付けたり、人に迷惑をかけることが何よりも苦手で、自分が我慢したり、頑張ったりすることで周りとうまくやってきた。そんな自分が周りとの軋轢を生むような動きを自分からするなんて、それほどまでにミカが失いたくない存在になっていたのだと改めて痛感した。
この障害をクリアするにはこれまでの自分とは真逆のことをすることになる。
―ミカの家族を傷つけ、中学の頃から自分の面倒をみてくれている事務所に迷惑をかけ、場合によっては大切なメンバーや家族、ひいてはミカ本人にも傷を負わせることになるかもしれない。
…でも、もう迷わなかった。
なにもしないで後悔するよりもまず自分が動いて、それからミカと二人で進めばいい、と思った。
そして、なぜかこの時、ミカと一緒にいる自分を後押ししてくれる紗夢、理生、計、慈朗の姿が見えた気がした。
(今度ミカさんに会ったらちゃんと言おう。『一生オレの面倒見てください』って。)
ミカに家族がいたため、恋人になってもらうための告白はできなかった。
でも、あふれた思いはミカに伝わり、言葉にしなくても『二人』になれた。
段取り重視の自分がいきなりプロポーズだなんて笑える気がしてきた。
(『恋は盲目』ってこういうことなのかな。普段こだわっている段取りや何もかもを取っ払っちまう勢いがあるんだな。)
自分の心が決まった祥悟は月に向かってウイスキーグラスを上げると、グラスに残った液体を飲み干した。
しばらく月を眺めてから室内に戻った祥悟はいつになく早くベットに入った。
ミカが家族と過ごすために自分のもとを離れたその日はてっきり眠れぬ夜を過ごすことになるとばかり思っていたのに、訪れたのは何日ぶりかの穏やかな眠りだった。
紺色の空の上、徐々に居場所を移しながらも黄色い月は変わらず青白い光を放っていた。
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