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Someone's love story:Garnet 作者:幸見ヶ崎ルナ(さちみがさきるな)

▼8. 初めての気持ち(Spiral)

月曜の朝、祥悟宅のインターホンが鳴った。
いつもミカが来る時間―。

(荷物で両手がふさがって合鍵が使えないのかな?)

前にもこんなことがあったな…と思いつつ祥悟がドアを開けると、そこにはミカのアシスタントのあおいが立っていた。

「おはようございます、祥悟さん。実はミカさんが急にご自宅に戻ることになったので、TV局に行く前のお食事を私が代わりに届けに来たんです。」

(そうなんだ…。それにしても「急に」だなんて、どうしたんだろう?)

祥悟は不思議に思い、あおいに尋ねた。

「急に自宅だなんて、何かよくないことでもあったの?」

祥悟の問いにあおいはにっこりと笑顔で答えた。

「いいえ、むしろその逆なんですよ。
ご主人が急に帰国できることになって、息子さんも野球の練習がオフになるので、お家に帰って来るんですって。

…ミカさんにしてみたら久しぶりの一家団欒ですよね。

日頃お仕事しているミカさん見てるとつい忘れちゃうんですけど、ミカさんって『奥さん』であり『お母さん』でもあるんですよね。」

(旦那さんの帰国って、もうずっと帰って来るってこと? だとしたら、俺はもうミカさんと一緒にいられなくなるのかな。俺が今まで『一家団欒』なんて思っていた二人の時間は単なる時間稼ぎでしかなかったのかな…。)

上の空の祥悟にあおいは食事の入った袋を渡して帰っていった。

―昨日まで暑い沖縄で取材だった。

保温ポットに入った玄米がゆ、ミカ特製のシークァーサードレッシングのかかった温野菜とひよこ豆のサラダ(シークァーサーの酸味が疲れを取ってくれる)、バナナ豆乳マフィン、いつもの雑穀パンケーキ…。

身体に優しいメニューの組み合わせに、いつもと変わらぬミカの気遣いが感じられた。

「はぁーっ…。」

思いもよらず大きな溜め息が漏れた。

(そうだよな。ミカさんの帰るところはここじゃないんだよな。合鍵を渡したって、時間が許す限りここで一緒にいたって、本当にあの人が帰る家は自宅の方なんだった…。)

目をそらしていた現実を思いもよらないタイミングでつきつけられ、祥悟は動揺した。

(とにかく今日の仕事をきちんとしよう。仕事に私情を持ち込むなんて俺らしくもない。)

祥悟はこの日の資料を取り出し気持ちを切り替え食事を始めたものの、今ひとつ集中できない。

途方に暮れたような気持ちになった祥悟は、何を見るでもなくTVをつけてみた。小学生の頃、仕事から帰って来る母を待っていた夕方のように、TVなら自分のさびしい気持ちを埋めてくれるかもしれないと思ったからだ。

でも、子どもの頃の『さびしさ』とは違う、大人の『切なさ』はTVを観ても全然埋まらなかった。

(…一体何なんだろう、こんな気持ちになるなんて…。「さびしい」とは違って胸がいたいよ…。誰かに「泣け」って言われたらすぐに泣けるよ…。)


+++++


翌日、1本目の収録が終盤に差し掛かった収録スタジオの楽屋には、いつものとおり5人分の弁当がセットされていた。
もうすぐ収録を終えたエニタイが戻ってくる。

祥悟は早く楽屋にいるミカに会って二人の日常に戻りたいと思っていた。
メンバーと一緒に足早に楽屋に戻ると、そこにミカの姿はなく代わりに昨日家に食事を届けてくれたあおいがいた。

あおいを見つけ嬉しそうに声をかける理生。
あおいと理生は同い年。あおいの実家が理生の卒業した中学の隣りの学区にあることから、二人はしばしば花火大会やお祭りなどローカルな話で盛り上がっていた。

「あおいちゃん、久しぶり!元気そうで何よりだね!…ところで今日ミカさんは?」

今日の収録前、メンバーは誰ひとりミカに会っていなかった。

「こんにちは、理生さん。
ミカさんはご主人と息子さんがこっちに戻ってらしてて、1本目の収録を3人でご覧になってからご自宅へ帰られました。みなさんに『よろしく』とおっしゃってましたよ。」

あおいの答えに理生は驚いて言った。

「えっ、ご主人来てたの?会いたかったなー。どんな人なんだろーね、あのミカさんのご主人だなんてさ。ギャラリー席にいたのかなぁ。対戦に夢中で気がつかなかったな。」

ケリーさんが言った。

「ミカが『ギャラリー席はちょっと…。』と言うんで僕らと一緒に袖で観てもらったよ。
ミカがよくご主人のことを『絶対人に嫌われない人』と言っていたけど、そのとおりで如才じょさいない、さわやかなご主人だったよ。
息子さんもミカとご主人の面差しがうまくブレンドされた男の子で、なかなかのイケメンだったよ。野球男子の坊主狩りが残念だったけど(笑)。」

いつものとおり他愛ない会話で盛り上がる楽屋―。今日の話題はあおいの近況とミカの家族のことだった。
祥悟はいつもどおり話に加わろうとしたけれど、どうしてだかうまくいかない。特に話がミカの話になると言葉が出なくなってしまう…。無理して話に参加すると何か息苦しかった。

祥悟はそっとメンバーとあおいの輪から離れ、別にその日でなくてもよかったのに、次回のニュース番組の資料を読み始めた。

そんな祥悟を見て紗夢は、

「ごぉくん忙しいんだ?」

…と言った。

祥悟がうなずくと紗夢はそれ以上何も言わずに、祥悟の肩に一瞬優しく手を置き、メンバーとあおいの会話の輪に戻っていった。
思いもよらない紗夢の手の暖かさに不覚にも祥悟は泣きそうになった。

(どうしちゃったんだろう、まったくもって情緒不安定…。今日はあと2本撮るんだし、しっかりしなくちゃ…。)

なんとか収録を終えた後、祥悟はケリーさんに楽屋に残るように言われた。
自分より一足先に楽屋をでていくメンバーに手を振り、ケリーさんを待った。

+++++

4人が楽屋を出ていってから程無く、ケリーさんが戻ってきた。

「ごぉくん、お待たせ。悪いね、3本撮りで疲れてるところ残ってもらって…。みんながいないところじゃないと話せない案件でね。…ねえ、ズバリ聞くけどミカとは最近どうなってるの?」

祥悟は料理教室の最終日から今日までのことを話した。隠そうと思えば隠せたのにそうはしなかった。誰かに本当のことを知っていてほしかったのかもしれない。


一方的な祥悟の片思いが続いているとばかり思っていたケリーさんは思いがけない祥悟の告白にとても驚いたが、祥悟の前ではあえてその気持ちを隠し、話を聞き終えたあと静かにこう言った。

「…ごぉくん、酷な事を言うようだけれど、今日みたいなことがこれからもあると思うんだ。ご主人だって息子さんだって今はたまたまミカと離れて暮らしているけれど、ずっと…というわけではないんだからね。

ごぉくんは私情を仕事に持ち込む子ではないから仕事の心配はしていないけど、君自身のメンタルは大丈夫なの?今から言うことはマネージャーとしてではなく、人生の先輩として言うから良く聞いて。

―行き場のない将来を選ぶより、もっと君が幸せになれるところが絶対あるよ。
すぐに無理なのはわかるけど、ミカとのこと、冷静に考えてみた方がいい。」


+++++

いつもなら収録後、ミカのスタジオへ足を運ぶ。
ミカと一緒にミカの好きな音楽を聴き、そのあと祥悟の部屋で他愛ない話をしたり、ピアノを弾いたり唄ったりして過ごすことが収録日の決まりごとだった。

何ら新しいことも刺激的なこともないけれど、二人で同じことを繰り返す穏やかな時間が祥悟にとってのかけがえのない『日常』になっていた。

華やかな世界で、めまぐるしくいろいろな仕事を渡り歩くような毎日を過ごしている祥悟にとって、変わることのないミカとの『日常』はとても大切なものだった。

そして、それはミカにしても同じこと…と祥悟は確信をもっていた。

ミカのスタジオのドアノブに手をかけまわしてみると今日は鍵がかかっていた。ミカがひとりでスタジオにいる時はいつでも祥悟が入ることが出来るように鍵を開けてくれていた。

祥悟はドアに鍵がかかっていることで、改めてミカの不在を思い知った。


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