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Someone's love story:Garnet 作者:幸見ヶ崎ルナ(さちみがさきるな)

▼6. ゴールなき始まり(Starting without Goal)

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次の月曜日、ミカはいつもどおり祥悟の家へ行った。

祥悟の部屋の前、ミカは緊張の面持ちで深呼吸の後、合鍵で部屋に入った。 

…入りなれた部屋なのに胸がどきどきした。

二人がお互いにとって特別な存在であることを確かめ合った最後の料理教室から祥悟と会うのはこの日が初めてだった。

(どうかいつものごぉくんでありますように…。)

玄関のドアを開け、廊下からダイニングへ続く室内扉を開けて部屋に入ると、祥悟はもう起きていて、が当たる窓辺からミカの方を振り返り笑顔で言った。

「おはよう。」

(よかった、いつもどおりのごぉくんだ…。)

ミカは自分もいつもどおり、祥悟に朝の挨拶をした。

「おはよう。」

この日は(ニュース番組)本番前に若手アスリートとの対談が予定されていた。この対談は定期的に行われているもので、祥悟を知る様々な年齢層の視聴者が注目している企画だった。

さぞかし緊張しているかと思いきや、祥悟は思いの外リラックスした様子だった。
ミカは穏やかな祥悟に安堵しつつ朝食の準備を始めた。


この日はめずらしく祥悟からリクエストがあった。

「…この間のパンケーキ、また作ってくれる?」

窓辺からミカのいるキッチンに来て、まるで母親のおねだりする男の子のような無邪気な笑顔で祥悟は言った。まだセットしていない下ろした前髪が一層祥悟を子どもっぽく見せていた。

「この間のパンケーキ」―。

―それはあの日の朝食にミカが作った、フルーツグラノーラをのせた緑色のパンケーキのことだった。鮮やかな緑色はパンケーキに混ぜた青汁パウダーの色だった。

祥悟は『おねだり』の後に小さな声で続けて言った。

「パンケーキを食べたら今日の仕事も全部うまく行くような気がするんだ。…あの時のことを思い出すと元気が出るから…。」

顔を赤らめ、照れくさそうに言う祥悟はとても愛らしかった。人気者でとてもカッコいいのに、こういう純粋で子どもっぽいところが祥悟らしくてミカは好きだった。

…そう。いけないことだとはわかっていたけれど、ミカは祥悟のことが好きだった。

そして、紗夢やケリーさんが気付いていた以上に、祥悟もミカのことが好きだった。

初めて一緒に朝を迎えたあの日はミカの作ったルバーブのジャムとはちみつをパンケーキに付け合わせたが、大切な仕事が入っているこの日、ミカはスクランブルエッグと昨日作っておいた豆カレーをパンケーキに添えてみた。そしてパンケーキはフルーツグラノーラをのせた定番の雑穀パンケーキに加え、ハム&チーズをのせたものも作った。
サラダ代わりにガーデンテラスで収穫したプチトマトをコランダーに盛り、食後にはりんごを剥きディンブラの紅茶を飲みながら二人で食べた。

「…一家団欒だなぁ…。」

ひとしきり食べ終わり、窓辺から差し込む日差しの中で身体を伸ばしながら祥悟は言った。

祥悟の言葉にミカは思った。

(ごぉくんとずぅっとこうしていられたらどんなに幸せだろう?ごぉくんとだったら私は自分の好きなことをまっすぐ正直に『好き』と言えて、いつでもありのままの私でいられるのに…。)

ミカの旦那さんはとてもいい人で、「夫」や「父親」としては申し分ない人だった。ただ、「妻」でも「母」でもない「ありのままのミカ」のパートナーとしては、あまりにも感性が違いすぎた。 
結婚前は違う世界に目を向けるパートナーが自分の世界を広げてくれると信じていたが、気がつけばミカは広くなり過ぎた世界の中で『心の置き場』を見失っていた。そしてミカは、旦那さんの前で自分の好きなことを話したり実践したりすることにどんどん憶病になっていった。

そんな日々を過ごしてきたミカにとって祥悟との出会いはとても大きなものだった。料理教室で教え始め、二人きりで過ごすようになってから本当に毎日が楽しくなった。

祥悟はミカが(キッチン)スタジオで聴いている音楽をいつの間にか覚えていて、食後にピアノでそれを弾いてくれた。時折、お互い幼い頃に通っていたピアノ教室のことに話が及べば、昔懐かしい連弾曲を二人で弾いたりもした。連弾する時いつも祥悟は、ミカが座るための椅子をダイニングテーブルから運んでくれた。そして椅子を運ぶたびこう言った。

「独りの時は『いらない』と思ってたけど、ミカさんとこんなにしょっちゅう一緒に弾くなら連弾用の長いピアノ椅子にしとけばよかったな。ピアノを再開したときはミカさんに会えることなんて知らなかったから仕方がないんだけど…。」

そして何時からだろう、気がつけばピアノ椅子が連弾用の長いものに変わっていた。
明らかに新品ではないその座面の裏には、昔流行はやった懐かしいキャラクターのシールが貼られ その隣りに『ぴあのだいすき』と記した幼い文字があった。

「この間実家によって椅子を交換してきちゃったよ。
大事なシールを貼ってピアノが上手になるよう願掛けしてたんだ。習い始めたばかりの保育園生だった頃に。」

その話を聞いた時ミカは、5才の祥悟が側にいるような気がした。ライブで祥悟が主演したドラマの主題歌を歌う時に写し出される幼い頃の祥悟は、大きな目をした利発そうな男の子だった。そのまっすぐなまなざしは大人になった今も少しも変わらない。

―本当に二人でいられる月曜日の朝と料理教室は大切な時間だった。

自分との年齢差や祥悟の将来、アイドルとスタッフという関係を冷静に考えれば、たとえ二人の思いが同じでも、ずっと一緒にいられるわけは無いことなんてミカにはよくわかっていた。

だから、ただただ、できる限り長くずっと一緒にいられるだけでよかった。

祥悟にしてもミカとずっと一緒にいることは難しいことはわかっていた。
ミカには家族があるし、理性で考えれば料理教室最終日のようなことはあってはならないことだった。

(…でも、仕方なかった。思いに蓋をすることはできなかったんだから。)

祥悟もミカも口には出さなかったが、心の中で同じことを思っていた。

そして、二人は代わりに『将来』へ蓋をした。

「明日も一緒にいられる日が続きますように。」

…二人は同じ思いで日々を過ごしていった。

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