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Someone's love story:Garnet 作者:幸見ヶ崎ルナ(さちみがさきるな)

▼2. はじめての料理教室(Lesson for cooking)

その頃祥悟は実家を出て一人暮らしを始めたばかりだった。
学生時代から「集中して勉強したい」と自宅とは別に部屋を持ってはいたが、完全なる一人暮らしは初めてだった。

祥悟自身は家を出るつもりは全くなかったが、事務所の方針として所謂『国民的アイドル』として認知されるようになったタレントは家族とは居を別にさせるという不文律があった。

祥悟自身の話をすれば、今は実家にいたところで年の離れた弟の部活の試合も見てやれないほど忙しく、数年前していたように保護者代わりにもなれなくなっていたし、家人が出掛けた後に起き家人が寝静まった真夜中に帰宅する自分は実家にいようがいまいが家族の生活には影響がないのだろうが、住み慣れた実家を離れるのは祥悟本人にとっては勇気がいることだった。たとえあまりにも遅い帰宅に起きて待っている家族がいなくても、眠りについた家族の息遣いを感じるだけで実家うちは暖かだったからだ。

でも、事務所が心配するように自分が実家にいたままでは家族に悪影響が及ぶかもしれない。これまでのように自分たちのプライバシーを尊重してくれる古くからのファンだけではなく、ここ数年のエニタイの勢いを見て新たにファンになってくれた人たちもいる中で生活するには、自分たちを取り巻く人達の『性質たちの善し悪し』より『数の多さ』と対峙しなければならなかった。数が増えれば問題行動も増えることは覚悟しなければならない。

―そんな事態に大切な家族を巻き込まないためには自分が実家うちを出ることは不可欠だった。

こうして一人暮らしを始めた祥悟は、何でも出来るように見えて実は不器用なところがあり、主演ドラマが大ブレークしたため5人のメンバーのうち誰よりも早く二十歳はたちそこそこで家を出ることになった慈朗のようにカッコよく家事をこなせるようになれはしないかと、かなり真剣に考えていた。そして、家事ができない自分を心配して他の話題にかこつけて日々メールを送ってくる母を早く安心させたいと思っていた。

ふと今朝も届いていた母のメールを思い出して祥悟は苦笑いした。駐車場で暖機中にチェックしたそのメールには、昨日の生放送へのダメだしと本当はこちらを先に言いたかったであろう母の心配が書かれていた。

「また噛みましたね(笑)。
ところで、ちゃんと食べていますか?役作りのせいでしょうか、一段とスリムになったような気がします。」

そんな中、祥悟はエニタイの専属フードスタイリストになったばかりのミカに、メンバーには内緒で料理を教えてもらえないかと、チーフマネージャーのケリーさんを通じて頼んでいた。

エニタイと行動を共にすることにもようやく慣れてきたとある日の収録現場でケリーさんから祥悟の要望を聞かされたミカは、遠くで神妙な顔をして、(お願いします)とばかりに直角に身体を曲げ頭を下げる祥悟に、両手で大きく○(まる)をつくってOKのサインを送った。


程なくミカは祥悟の自宅へ週1回のペースで料理を教えに行くようになった。
記念すべき1回目のレッスンにはケリーさんも立ち会った。

料理番組よろしく、料理台の上に美しく置かれたミカが用意した道具と食材―。真っ白いシンクの前にはミカと祥悟が立っていた。ケリーさんはリビングのソファーで仕事をしつつ二人の様子を遠くから見守った。


ミカは祥悟に言った―。

「カリキュラムは1年間で組んでみました。週1回を目安に教えに来ますのでよろしくお願いします。もっとも、「教える」というよりは『二人で一緒に作りましょう』って感じになると思います。メンバーやご家族―特にお母様に腕を奮える日が1日も早く来るよう私も頑張って教えますね。」

神妙にうなずく祥悟に、ミカは続けた。

「今日のメインは『あさりのバター炒め』にしました。この間の収録で食べてもらったばかりだけど大好きなメニューだし、何度食べても大丈夫だよね?
最初は私のレシピで作ってもらうけれども、作り慣れたらおうちの味に近づけてみて?

…ご飯は番組の値切り体験で ごぉくんが手に入れた炊飯器がTV局から事務所に届いていたから、それで『発芽玄米と雑穀のご飯』を炊きましょう。発芽玄米なら普通の玄米と違って浸け置きなしですぐ炊けるし、雑穀を入れればいかにも身体に良さそうでしょう?玄米は白米よりカロリーが低いし体重ウエイト管理コントロールの強い味方にもなるの。
私なんかある意味玄米ご飯を『温かい野菜』だと思って食べるところがあるくらいなんだから…。

それと、汁物は『新たまねぎのお味噌汁』に挑戦してもらおうと思います。弟さんの玉ねぎの味噌汁が美味しかったって、らーくんがどこかで言ってたね。 
あともう一品、キャベツ・ニンジン・きゅうりで漬物サラダを作りましょう。塩昆布を使うと美味しい上にあっという間に出来上がるから、お酒を飲む時のおつまみにささっと作ることができて覚えておくとカッコいいと思います。温かいご飯のお供にもぴったりで、一番のお薦めはタマゴかけご飯にトッピングすることかしら…。

―じゃあ1時間後完成を目指して始めましょうか。」

料理歴ゼロといっても過言ではない自分にいきなり4品を、しかも1時間以内に作らせようとするミカのスパルタに、祥悟ははっきり言って面食らっていた。
(話し方は穏やかだけど、初めての生徒にここまでさせるとは…。負けるな、オレ。ガンバです。)

そしてミカはこんな祥悟の気持ちなど知るよしもなく“Today's Recipe”と書かれたプリントを料理台から取ると段取りを説明し始めた。

要点を抑えたしっかりした説明に祥悟は驚いた。
祥悟は週1回ニュース番組に出ているが、これほど要領よく説明できるスタッフは報道担当者でさえ希少だった。
祥悟はきびきびと小気味良く仕事を進めるミカの姿に感心するとともに、ほんわりした容姿からは想像できない『キレ者』ぶりに関心を持った。

祥悟はミカに差し出された黒いシンプルなエプロンをつけると、ミカの手ほどきを受けながら初めての料理教室に挑んだ。

+++++

生まれて初めての夕食作りに祥悟はひどく緊張し、何をどうすればいいのか正解がわからず料理台の前をただウロウロするだけだった。

時折番組の中で料理をする羽目に陥ると祥悟は、とにかく目立たないように目立たないように振る舞い、『料理』に関する自分のダメダメ加減の真実が露呈せぬよう他のメンバーの様子を真似ては何食わぬ顔でやり過ごしてきた。

しかしながら、ミカとの料理教室ではカンニングできる他の生徒もいないので、ミカが何か言ってくれるまでは祥悟はいよいよ何もできなかった。でも、生来真摯に人の声に耳を傾けることができる祥悟はひとたびミカから指示さえ出れば、あぶな手つきながらも慎重にコトを進めることができたので、初めての料理教室も怪我ひとつなく無事終えることができた。

調理開始から約1時間後祥悟とミカは、声をそろえてリビングで仕事をしていたケリーさんをダイニングへ呼び寄せた。

「ごはんですよ~。」

…声をかけながら祥悟が炊飯器からご飯を、ミカが小鍋こなべから味噌汁をよそいテーブルの上に並べ、3人で夕食をとった。
3人はまるで父・母・息子のようだった。

「うん、美味しいね。」

ケリーさんの言葉に何とも言えない達成感を感じた祥悟は満面に笑顔を浮かべた。
ミカに礼を言おうと祥悟が顔を上げると、既に笑顔で祥悟を見ていたミカと目が合い二人して微笑み合った。



実は初めての料理教室で緊張していたのはむしろミカの方だった。
祥悟の家に入る前から「天下の佐崎祥悟が指を切ったらどうしよう」だの、その日は揚げ物なんかしないのに「顔に油がかかったらどうしよう」だの、心配の種は尽きなかった。そして、なんとミカはこの日食材のほかに絆創膏や火傷・切り傷の薬…そしてなぜか湿布薬まで入った大きなトートバッグを持ってきていたほどだった。
事後ケリーさんから「心配のし過ぎ。」とダメ出しされたミカだったが、そのダメ出しに落ち込むどころか真顔でケリーさんにこう言った。

「TVで観てた『佐崎祥悟』って限りなく家事ができない気がしていたから、何か不幸なミラクルが起こっちゃいそうな気がして怖かったんです。…血を見ないでよかった。」

+++++

その頃メンバー全員での番組収録は週2回あったので、週1回の料理教室を含めると祥悟とミカは週の半分近く会っていたことになる。

「一目惚れなんて自分にはあり得ない。最初に『友達』という大前提があって、『一緒にいたい』と思うようになって、『好き』になるのはそれからだから。」

自身の恋愛観を問われるたびこう答えてきた『恋にも慎重な佐崎祥悟』にとって出会った頃からミカと二人で共有した料理教室の時間は何事にもえがたい大切なものにだった。そしてそれは、かくも慎重な祥悟をして『2年』という短い期間でミカとゴールインしたことにも大きく作用したに違いない。

二人の年齢差やミカの生涯において祥悟と過ごした時間が本当に短かったことを思うと、色々なタイミングが重なりあって始まった『二人きりの料理教室』は、恋の神様からの粋な贈りプレゼントだったのかもしれない。

二人の心は少しずつ近づいていった。


現場での祥悟は、女性と二人きりでいることは稀で、おおよそは男女問わず大人数で過ごすことがほとんどだった。そんな祥悟がミカと二人、他愛ない話で盛り上がっている姿は誰が見ても一際ひときわ楽しそうだった。誰にでもフラットに接する祥悟が特定のスタッフ、しかも女性に対してそんな姿をみせることは珍しいことだった。

いつもと違う様子に気付いた慈朗は計に言った。

「なんかごぉくん、また好きになっちゃったんじゃないの?年上の人。この間のドラマの時もさ、共演した年上の女優さんのこと一時的にしても絶対好きになってたと思うんだよね。…まあ旦那さんがいる人だっだからごぉくんも本気じゃなかったけど、『役作り』し過ぎつーか…。

…ごぉくん、多感な時期男子校で過ごしたから女子に免疫なくて、ちょっと親しくなると惚れっぽいかも…。危ないよな。」

慈朗の言葉にゲームの手を止めた計が楽屋を見渡すと、部屋の隅っこの壁に寄りかかり二人で楽しそうに話しているミカと祥悟の姿があった。

からになったコーヒーカップを自分に渡すよう祥悟を促し、温かいコーヒーを注ぐと再び祥悟にカップを手渡すミカ―。ミカからカップを受け取るだけのさりげないやり取りの中、ミカの小さな手を優しく包み込む祥悟の大きな手の仕草に、なぜか計は温かい気持ちになった。
この頃から2年近く後、メンバー4人が祥悟とミカの関係に気づいた時に理生も言っていたが、祥悟とミカがいつも一緒にいてなんでもない話をしてるだけのその空気は楽屋と周りにいたメンバーをを温かくした。

祥悟本人でさえミカに対する自分の気持ちに無自覚だったこの頃すでに紗夢は、祥悟とミカが二人でいる時に限って、「次の収録までに踊りの練習しにいこうぜ」やら、「外にコーヒー飲みに行こう」やら何かしらの理由を作っては祥悟以外のメンバー達を楽屋の外へ連れ出そうとした。(ちなみに計に至っては何千回と食事に行くことを断られていたのに、踊り練とコーヒーについてはしつこいくらいの誘いがあった。)

今になって思えば祥悟本人より先に彼の「本気」を察していた紗夢は、不器用な紗夢なりに二人を応援していたのだ。
―この事を紗夢自身が自覚していたかどうかは定かではないが…。
+注意+
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