全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]

<侍女が替りました>

新しい古事記《熊棲む地なり・付記5》/Arakida
http://www.geocities.jp/arakida_1/z-newpage4-5.html
 
 
<付記5:侍女が替わりました>
 
「侍女が替わりました。」
と、女官が見覚えのない若い女を部屋へ招き入れた。
幼児の私が皇居へ参内した時に世話をしてくれる侍女のことだ。
けれども、女官の背後で落ち着かない視線を床へ落としているその女は、服の上からも分かるほど、痩せた背骨が浮き出て、まるで皇居へ迷い込んだ野良猫のようだった。
 
 
 
侍女は私の髪を梳いてくれた。
鏡台に向いて座った私の後頭部を、侍女が持つ櫛が滑り下って、首筋に当たるたびに、私は硬直した。
「あの・・・ 貴女は、何処か悪いんですか?」
子どもの愚直な質問に、女は酷く動揺した様子だった。
片手を高く張った頬骨にやって、じっと何かに耐えているかのように動かなかったが、その押さえた手の甲に、青黒い静脈の網が浮いていた。
 
 
 
子どもの恐怖は一層増幅して、次々に言葉が口を突いて出た。
「お医者へは行ったの? ・・・それで、何て言ったの?」
もし黙ったら、女の手がすぐさま翻って、自分の首根っこに掴み掛かって来るような気がしたのだ。
しかし、痩せた女は別段、怒りもせず、ただ弱々しく呟いただけだった。
「行ったほうがいいかしら・・・」
 
 
 
女はベッドの端に座って、衣類をたたみ始めた。
子どものほうは話し掛ける話題も無くなって、ぼんやりとその手の動きを目で追っていた。
「何を見てるの?」と女が訊いたので
「手・・・」と答えた。
すると、女は素早く手を引っ込めて、「見ないで。」と言った。
 
 
 
そのうちに、突然、女はたたみ掛けていたブラウスを両手で皺くちゃに掴んだかと思うと、その中へ自分の顔を埋めた。
背骨が小刻みに震え、噛み締めた奥歯の隙間から、ううっ、と嗚咽が漏れた。
「・・・ねえ、治らないの? ・・・ ねえ、お薬飲んだ?」
子どもは自分の不安を紛らわすために無用な質問を繰り返したが、女のほうは、そんな子どもには微塵も関心は無いらしく、
「あの男が・・・」
と、怨恨の情話を語り出した。
 
 
 
 
 

この記事に

開く トラックバック

<宿直>

新しい古事記《熊のメモ:4-5a》/Arakida
http://www.geocities.jp/arakida_1/z-newpage4-5a.html
 
 
<4-5a:宿直>
 
神官が厭なら、女官はどうか、という宮内庁職員のいい加減な発言で、七歳頃のことだったろうか、数日間、後宮へ放り込まれたことがある。
女官と同じ丈の長い着物を着せられて、五、六人の女の最後尾に付いて行くと、ちょうど神社の本殿のような回廊で囲まれた、その内の一段高い位置に、「寝所」があった。
正面に御簾が掛けてあるのも神社に似ているが、しかし、奥に派手な色柄の布団が重ねて敷いてあって、まるでTVドラマに出てくる江戸城の大奥だった。
年増の女官は私を回廊の一角に座らせて、「寝てはいけません。」と命じた。夜通しそこに座っているのが宿直(とのい)であった。
 
 
 
その夜、寝所に現れたのは三笠宮寛仁だった。
いつも暇を持て余している皇族は、私が皇居へ行くと、必ず誰かれなく見物に来たものだが、大抵は皇居に紛れ込んだ野良犬と同様、格好の憂さ晴らしの標的にされる。
この時も、寛仁は板間に正座をさせられている私を発見すると、さも嬉しそうに近づいて来た。
「お前は女官になったのか?」
逆らうと何をされるか判らないので、私は無言で首を振っただけだった。
すると、寛仁は私の髪の毛を掴んで引っ張り、もう片方の手で私の頬を撫でながら、「こうやると、どうだ?」と顔を近づけて来た。
 
 
 
私は寛仁を突き放して、逃げ出した。
助けを求めて他の女官を探したが、女等はみんな顔を伏せて、こちらを見ようとしない。
とうとう寛仁が私の羽織っていた内掛けを剥ぎ取り、なおも逃げようとする私の片足を掴んで、着物の裾を膝の上までめくり上げると、興奮した声で言った。
「お前、それを脱げ。」
「いやだ。」と私が叫ぶと、今度は
「俺も脱ぐから、お前も脱げ。」と何だかおかしなことを言い出した。
まさか、これがお互いにとって平等なのだ、とこの男は考えているのかしら? 小学生の私は一抹思ったものだが、結局、悲鳴が出るに任せて、必死に抵抗した。
 
 
 
子供の甲高い声に興ざめしたのだろう、寛仁は私を掴んでいた手を離して、さも機嫌が悪そうに足音荒く走り回ると、代りに、若い女官を一人捉まえた。
「お前でいい。来い。」
その女を半裸にして、寝所の布団へ引きずって行った。
・・・・・・・
 
 
 
と、ここまでは「大奥」の話と大差無いのだが、真の狂気はこの後である。
獣狗の饗宴が終って、寝所に残された女がめそめそ泣き始めると、別の若い女が、ずり落ちた着物をたくし上げている私に向って、次のように言った。
「何故、逃げたのよ。あんたが我慢すれば良かったのに。・・・ああいう時は、黙って我慢するものよ。」
この女は、乱暴された女を助けようともしなかったくせに、七歳の子どもに身代わりになれと言うのだった。
これがこの国の「献身の美学」というものである。
 
 
 
着替えをしている最中に、私はその女に睡眠薬の注射を打たれ、シュミーズ姿のまま朦朧としているところを、宮内庁職員によって写真を撮られた。
「どうして、・・・撮るの?」
とカメラを構えている男に訊いたら、「寛仁様がお望みです。」と答えた。
 
 
 
成人後に皇居へ行った時、その時の写真を、本当に寛仁が持っていたのには驚いた。
いわゆる「ロリコン」である。
「恥知らず!」と私は罵ったが、色狂いの寛仁に抱きつかれた。
 
 
 
 
 

この記事に

開く トラックバック

<情婦>

新しい古事記《熊のメモ:4-5b》/Arakida
http://www.geocities.jp/arakida_1/z-newpage4-5b.html
 
 
<4-5b:情婦>
 
桂宮宜仁の側で世話をしている侍女は、宜仁の情婦である。
女は過去に既婚者だったが、宜仁の要求に応じて離婚して、宮内庁に雇われた。
一度、車椅子に座っている宜仁をベッドへ移動させるのに、その女と宜仁が正面から抱き合ったまま、二人で寝床へ転がるのを見たことがある。
 
 
 
最近、皇太子徳仁が雅子の妹である池田礼子を東宮の侍女にしたいと言ったそうだ。あちらが「情婦」なら、こちらが「義妹」で何が悪い、というのが徳仁の言い分だろう。
まるで自分の甲斐性で雇っているかのようだ。
 
 
 
 
 

この記事に

開く トラックバック

<宮司の地位>

新しい古事記《熊のメモ:4-5c》/Arakida
http://www.geocities.jp/arakida_1/z-newpage4-5c.html
 
 
<4-5c:宮司の地位>
 
天皇裕仁の三女、孝宮和子は、鷹司平通と結婚したが、子供はいない。
姉の照宮成子が東久邇盛厚と結婚した後、次々に子供を産まされるのを目の当たりにすると、「お姉さまのようになるのは真っ平だ。」と人目もはばからず吐いていた。
「ああ、厭だ、厭だ。・・・貧乏ったらしい。」
或る時、公用車に乗せられて皇居へ来た私に、和子は臆面も無く
「どうやったら、あんたみたいになれるの? (神官を)代わりなさいよ。」と恫喝し、自分を宮中神官か伊勢神宮の祭主に推薦しろ、と詰め寄った。
 
 
 
 
そうしたところへ、別のカラスがもう一羽、舞い降りて来た。子供がいない鷹司夫婦の養子になった平通の妹の子、松平尚武である。
尚武は、忌屋の陰で、まだ若かった和子に抱き付いて、「いいじゃないですか、お義母さん。」などと囁いていた。
 
 
 
平通が死んだ後、和子は念願の伊勢神宮祭主に納まり、最近になって、養子の鷹司尚武が伊勢神宮大宮司になった。
 
 
*********************************
 
 
しかし、それにしても、不審死したのは鷹司平通である。
一般報道によれば、一緒に死んだ女は彼が以前から通っていた銀座のバーのマダムで、平通は交通博物館へ出席した後、その店へ飲みに行き、深夜、車に同乗して女の自宅まで送って行ったところ、(注:運転手がいる。)
二日後になって、ガスストーブの一酸化炭素中毒によって死んでいるのが発見された。(注:警察への捜索願は交通博物館から出され、妻の和子は事件発覚後に、宮内庁から夫の死を知らされた。)
発見時、二人とも裸でガウンを着ていたことから、「心中」と書いた誌面もあったが、私が知る限りでは、平通は至って陽気な性分で、少なくとも、愛人と一緒に自殺するような性格には見えなかった。
 
 
 
私個人は、和子が東久邇盛厚の密偵を使って平通を殺したのだろう、と疑っている。
姉の成子の場合は、夫の盛厚のほうが妻を鬱陶しく思っていたようだったが、和子の場合は逆だった。東久邇は元宮家だが、鷹司は臣民である。貧乏人の子供を産まされるのは真っ平だ、と吐き捨てるように和子が言うのを聞いたことがある。
 
 
 
一方、成子を毒針で刺すところを目撃した私を狙って、しじゅう忌屋付近に隠れていた盛厚が、和子の愚痴を聞き付けて、駆け寄って行った。
「そんなに厭なの? それならねえ・・・ どうとでもできるよ。」
その数年後、平通が死んで、未亡人の和子は伊勢神宮祭主になった。
 
 
 
<追記>
 
1 私の父も、鷹司平通が死んだ1966年に、密偵に襲われた後、脳出血で死んだ。
 
2 ストーブの不完全燃焼について、思い当たるのは、この数年前に私の家でも、突然、石油ストーブの火が高く燃え上がって、天井を焦がす騒ぎがあった。(灯油にガソリンが混ざっていたのかも知れない。)
 
3 私自身が、麻酔薬や麻薬によって意識が無いうちに、別の服に着替えさせられた経験が何度もある。
 
 
 
 
 

この記事に

開く トラックバック

<跳ぶンだ!>

新しい古事記《熊棲む地なり・付記6》/Arakida
http://www.geocities.jp/arakida_1/z-newpage4-6.html
 
 
<付記6:跳ぶンだ!>
 
アメリカの軍用機の中は暗かった。
私たち幼児は(全員が皇室関係者の子供だったが)飛行機が離陸すると数分も経たないうちに、座席から立たされて、乗降口付近へ連れて行かれた。
 
 
 
眼前の金属製のドアは、重い音を立てて、突然、開いた。
まるで開闢の門戸が開くように暗闇に細い光線が射し込み、それが徐々に幅を拡げて行くと、子供らの身体は一斉に眩しい光に満たされた。
その光の中に、小さな男の子の影が二つあって、一人はしゃがみ、一人は立っていた・・・ように思う。
そして、立っていたほうの子供が大きく口を開けた乗降口へ、何物かにとり憑かれたように歩み寄り、そのまま虚空へ転がり落ちて行った。
風が激しく渦巻いていた。
 
 
 
「落ち、た・・・」
四歳の私の声は軍用機のエンジン音にかき消された。
女の米兵が走って来て、乗降口から半身を乗り出して下方を覗き込み、英語で早口に何か叫び、それから、また後方の暗がりに戻った。
金属音とともに乗降口のドアが閉じられた。
落ちた・・・ みたい・・・
しかし、私の声はもう出なかった。
 
 
 
米軍は最初「事故」だと宮内庁へ説明した。
「男児は飛行機に乗り込む直前になって、厭だと駄々をこねたので、一人だけ乗せずに飛び立った。滑走路付近は自動車の往来もあって、不幸にも事故の可能性は否定できない。」・・・・・・・
 
 
 
しかし、これ以後も、私は何度か米軍機に乗せられた。
それが当時のアメリカの国策だったのだろう、天皇と関わりのある子供らに「恐怖心」を植え付けておくことが、将来の米日関係において最も有効だと考えられていたのだ。
一度、開け放たれた乗降口の前に立たされた私に、若い米兵が、「ジャンプ、ジャンプ!」と言ったことがある。白人が日本人を蔑称する時の「ジャップ」と掛け合わせていたのかも知れない。
それでも私が動かないでいると、背中を押された。
「怖いのかい? 跳べよ。お前はチキンだ。」「Go、Go!」
 
 
 
突然、飛行機が旋回して機体が傾き、私の体はドアのすぐ横の壁にぶつかって、床に倒れた。
ちっ、と米兵が舌を鳴らして、不満そうな顔で睨んだ。
・・・・・・・・
 
 
 
或る天気の良い日、
頭上に飛行機の爆音が低く近づいて来て、空から白い雨が降ってきた。
畑では、丁度、祖父母と母が畝の間に屈んで農作業をしていたが、母が叫び声をあげて、家のほうへ走って来た。
その髪に、白い液体が点々と付着していた。枯葉剤だ。
飛び去っていく飛行機の腹に、アメリカの星が描かれてあった。
ベトナム戦争が始まった頃のことだ。
 
 
 
 
 

この記事に

開く トラックバック

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]

PR

.

あらきだ
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

よしもとブログランキング

  1. 1位
    1位
    小川菜摘
  2. 2位
    2位
    野沢直子
  3. 3位
    3位
    桜 稲垣早希

お得情報

ハウス食品『まぜてマジック』
人気商品をお試しできるチャンス♪
先着順のため、お早めに!(モラタメ)

その他のキャンペーン


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2015 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事