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【神奈川】

平和って(1)考えさせる作品を 黄金町の美術家 竹本真紀さん(38)

「平和のために描きたい」と話す竹本真紀さん=横浜市中区のアトリエで

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 「戦争を知らない世代」が八割を占める、戦後七十年の日本。多くの人が平和を当たり前のように味わっている。だが、世界に戦争の種は尽きず、基地県・神奈川にとっても人ごとではない。「戦争」について考える機会はある。でも「平和」って、何だろう。戦争を体験した人、知らない人。県内ゆかりの人やいろんな活動に取り組む、さまざまな世代の人に、尋ねた。

     ◇

 横浜・黄金町を歩くと、店の入り口などに、何かを考えているような子どもの絵画「トビヲちゃん」を見つけられる。青、オレンジなど場所によって色が異なる。美術家竹本真紀さん(38)が、その店や人からイメージした色で描いた。

 黄金町には、かつて二百五十店もの売春宿が並んでいた。一九四五年五月、横浜大空襲で壊滅的被害を受けた地区。終戦後は大岡川対岸の伊勢佐木町などが接収され、京浜急行高架下に多くの人が移り住んだ。やがて飲食店が増え、売春宿も増加。県警の一斉摘発から十年の今は、アーティストがアトリエや作品の展示に活用している。

 竹本さんが黄金町を初めて訪れたころは、「ちょんの間」と呼ばれた売春宿にはグラスややかんなどの荷物がそのまま残り、高架下は鉄板で囲まれて暗い雰囲気だった。二〇一〇年夏、商店の店先などにトビヲちゃんを紛れ込ませ、訪れた人がマップを見ながら探すイベントを仕掛けた。

 トビヲちゃんの頭の上には吹き出しが描かれている。一つ一つ表情が異なり、どちらの性別とも取れる。子どもをテーマにした作品が多い竹本さんは「感情をむき出しにできる子よりも、一見素直そうな子は見過ごされがち。何を考えているのか考えてみてほしい」と思いを込めた。

 その思いは売春街と言われても淡々と生活し、商店を営んできた住人に通じる。住所が黄金町というだけで、友人に遊びに来てもらえなかった人、就職や縁談を断られた人もいる。環境の悪化で転居した人は少なくない。「空き家ではなく、ここで生活してきた人に注目してほしかった」

 黄金町に人を誘導するため、トビヲちゃんを赤レンガ倉庫や県立歴史博物館にも登場させた。探すうちに街を訪れ、気に入って足を運ぶようになった人もいる。竹本さんも展示を交渉しながら、街の人たちと親しくなった。「子どものころから話すことが苦手で『友だちになろう』と言えなかった。でも絵を描けば『うまいね』と集まってくれる」。絵がコミュニケーションを助けてくれた。

 親しくなった人は家に食事に呼んでくれたり、差し入れをくれたりする。各地でトビヲちゃんを探すイベントを仕掛けたが、これほど良くしてくれた街はなかった。「売春も薬物も隣り合わせだった街だから、器の大きな人たちが多い。その人たちが同じ目標に向かっている」

 「ここは自分たちの街」「以前の状態に戻したくない」。イベント後も、Tシャツや豆菓子のパッケージなどを一緒に商品化する中で、住民の思いが伝わってきた。「住民はこれまでいろんな思いを押し殺して我慢し、自分らしくいられなかったのだと思う」。戦時下の国民も同じだったのかもしれないと思った。

 「作品を通じ、人をねたまず、感謝して生きられたら幸せ。自分らしく、気持ちの豊かな人が増えたらいい」。それが平和につながると信じている。「反戦を直接訴えれば、また争いになる。見る人に考えさせるトビヲちゃんのような作品をつくりたい」 (猪飼なつみ)

 <たけもと・まき> 青森県八戸市生まれ。弘前大教育学部卒。2005年の横浜トリエンナーレを機に横浜市へ。若手芸術家の拠点となった「ZAIM」(同市中区)に入居して活動した。各地で「トビヲちゃん」を探すイベントを開催。同市中区長者町で落書き防止のための壁画を描く。

 

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