輝きをのこしたまま:町田樹選手引退
2014年12月28日、町田樹選手が全日本限りでの現役引退を表明した。世界選手権の代表も辞退し、来年から早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程に進学し、研究者を志すという。
あまりに突然の発表だったから、引退の速報が出てから詳細が判明するまでのタイムラグもあいまって、筆者はしばらく茫然としてしまい、何と言えばよいかわからなかった。引退すること自体に対する寂しさ。競技者としての町田選手をもっと見ていたいという欲望。『第九』の完全版を見せてほしかったという思い。一方で彼の決断を支持し、応援したい気持ち。研究者として大成してほしいという願い。すべてがないまぜになって、涙が止まらなかった。だが、以下の町田選手のコメント全文と一問一答を読んで、ようやく心が落ち着いた。
「誇りを胸に堂々と競技人生に終止符を」|コラム|フィギュアスケート|スポーツナビ
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/figureskate/all/1415/columndtl/201412280009-spnavi
町田選手の輝き
一口に町田選手のファンと言っても、どんなきっかけでファンになったかは人それぞれだろう。ジュニアのころから応援していたファンもいるだろう。本格的にシニア参戦した2009年の全日本で、4位入賞を果たしたことで注目を集めたかもしれない。バンクーバーオリンピックでは補欠第1位で、その年の四大陸選手権ではシニアの国際大会で初の表彰台を飾った。『黒い瞳』や『F・U・Y・A』のような印象的なプログラムも多かったから、そこに魅力を感じたファンも多いかもしれない。昔から踊りの上手い選手だった。もちろん『Don't Stop Me Now』や『アランフェス協奏曲』(通称、必殺アランフェス)のような強烈なインパクトを残す、エンターテインメント性豊かなエキシビションナンバーを忘れてはいけない。これで町田選手の虜になった方も多数いるのではないだろうか。
だが、やはり町田選手が輝きを放ち、もっとも注目を集めたのはソチオリンピックシーズンであった2013/2014シーズンにちがいない。その前のシーズンではSAで3位、CoCではGPS初優勝を飾って、GPF進出を果たした。とうとう町田選手がトップ争いに食い込んできたと思ったが、GPFでは最下位、全日本でも9位に沈んで、世界選手権はおろか四大陸選手権の代表にもなれなかった。が、そこから町田選手は底力を発揮した。ソチオリンピックを目指すために、あえて拠点をアメリカから日本に戻した。前年の全日本の結果、ブロック大会とGPSをかけもちしながら、2週間に1試合という過密スケジュールをこなしていった。GPSはSA、CoRともに優勝、GPFこそ4位だったが、体調不良で臨んだ全日本では2位に入って、見事にソチオリンピックの代表に選出された。
「Timshel」「純粋芸術としてのフィギュアスケート」「プログラムに対する純粋な愛」といったいわゆる町田語録も、町田選手が注目を集めた要因のひとつにちがいない。筆者は当時、町田選手はやわらかな雰囲気のシャイな選手というイメージをもっていたから、町田語録を聞いたときには思わず爆笑するとともに仰天して、「まっちーどうしちゃったの?」と思ったものだった。思えば筆者はこのときから完全に町田選手の掌の上で踊らされていたわけだ(もちろんよい意味においてである)。町田選手の真に素晴らしいところは、自己改革能力とセルフプロデュース能力の高さだろう。自分をどのように魅せればよいか、そのためには何をすればよいか、完全に計画を立てて、狙いどおりに完遂する。ひょっとすると、町田選手がフィギュアスケーターとして異彩を放っていたのは、アスリートにはあまり見られないこの能力に起因するのかもしれない。そのぐらいすごい能力だ。
フィギュアスケートファンのあいだでは、町田選手の覚醒はGPSのころから話題になっていたが、ソチオリンピックで一般視聴者にもかなり浸透したように思われる。一気に町田ファンを増やした。町田語録でキャラクターとしての興味を惹き、『エデンの東』と『火の鳥』で5位入賞の実力を見せつけ、『Don't Stop Me Now』で魅了する。きわめつけは2014年の世界選手権だ。SPの『エデンの東』は、史上最高のパフォーマンスだった。世界屈指の美しい3Lzを決め、ステップから最後のスピンに入り、フィニッシュ、スタンディングオベーションの流れは、完全に観客をも自分の作品のなかに取り込んだ、パフォーミングアーツの傑作である。最終結果は初出場にして銀メダル。優勝した羽生結弦選手との差はわずかに0.33。フィギュアスケート史に残る名勝負だった。
世界選手権表彰式直後に行われた、羽生選手とのインタビューもまた、フィギュアスケートファンの琴線に触れたかもしれない。「いい戦いができて嬉しい」「20年スケートやってきたけど、一番いい戦いでした」「容赦なくぶっ潰す」という言葉は、その爽やかさもあいまって、スポーツとしてのフィギュアスケートの魅力を物語っているように感じられた。
永遠のパフォーミングアーツ
引退発表は突然だったように見えた。が、じつはおそらく周到に用意されていたであろうことが、今となってはよくわかる。SOI2014におけるインタビューでは「もしかしたらですよ、シーズン途中でも、これ以上のパフォーマンスは僕できないと思ったら、満足しちゃってやめちゃうかもしれない」と語っていた。今季のプログラムとして選んだ曲は、映画『ラヴェンダーの咲く庭で』より『ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲』、そしてベートーヴェンの『交響曲第9番』(以下『第九』)。曲にもしっかり伏線は張られていた。
『ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲』は、テレビではしきりに浅田真央選手が初めて世界女王のタイトルを獲得したときに使用していた曲として紹介されていたが、町田選手は「悲恋の極北」をテーマとして掲げた。この曲は、映画では老姉妹のもとを「巣立って」いった若いヴァイオリニストの青年が演奏する曲だ。青年に老いらくの恋をし、彼が去ったことによって失恋した老女は、その演奏を聴きながら過去を回顧する。映画のなかのこの曲は、別離と過去を偲ぶための曲なのだ。町田選手とフィリップ・ミルズ氏がどのような意図でこの曲を振りつけたのかは不明だが、「悲恋の極北」というテーマの裏に、映画でこの曲がもっていた意味を重ねてみても、悪いことではないだろう。
『第九』が日本では年末に演奏される曲として定着していることは、改めて述べるまでもあるいまい。シーズン当初、町田選手は「今年の『第九』は、全日本選手権に見に来てください」と語っていた。この言葉は、「シーズン途中でも現役を引退する」ということを前提にしない限り、まだ世界選手権の代表に選出されたわけではないからそう言っているだけだとか、あるいは『第九』といえば年末、年末といえば全日本だからという単純な考えしか思い浮かばない。だが、「シーズン途中でも現役を引退する」可能性を前提にするならば、この言葉の意味は変わってくる。つまり、『第九』は全日本が「最終公演」かもしれないということだ。もしもシーズンの序盤から全日本での引退を決意していたとするならば、町田選手は密かにファンに向けてメッセージを送りつづけていたのかもしれない。筆者は不覚にもそれに気づけなかった。
全日本FSの演技を改めて見返すと、町田選手がいかに満ち足りた表情で第九を滑っていたかよくわかる。この表情はスケートと作品に対するよろこびのあらわれだろうか。歓喜の主旋律にこれ以上ないほどふさわしい。「引退する前に『第九』を完成させて欲しかった」という声をしばしば耳にする。筆者も共感する部分はある。たしかに転倒やステップアウトなどはあるので、スポーツとしては未完だろう。だが、この歓喜の表情と、町田選手の美学に貫かれた所作で最後まで滑りきった『第九』を見返すと、アートとしては完成しているような気がする。あるいは、「シンフォニックスケーティングの極北」として位置づけた町田選手の『第九』が何を表現しようとしていたのか、観客がそれを解釈するという形でコミットしてはじめて完成するのかもしれない。
スポーツナビに引退によせて掲載された記事において、大橋護良氏は「ある意味これも“町田樹らしい去り際”と言えるのではないか。プログラムを“作品”ととらえる彼ならば、自身の引退発表も1つの“作品”して創り上げたいと考えてもおかしくはない」と述べた。たしかに町田選手らしい幕引きで、引退自体というよりも、SPとFSを含めた今季の町田選手のパフォーマンスすべてが、彼ののこした作品だったと言えるのかもしれない。それも半端な作品ではない。華やかな幕引きによってずっと輝きを放ちつづける、永遠のパフォーミングアーツである。
愛すべき町田樹の“らしい”去り際 引退発表も作品にした唯一無二の存在
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/figureskate/all/1415/columndtl/201412290001-spnavi?page=2
町田選手はさまざまな作品をのこしていった。どれかひとつを挙げろと言われても困るぐらい豊かだが、個人的な好みを強いて挙げるならば筆者はSPは『エデンの東』、FSは『第九』が好きだ。エキシビションナンバーはそれこそ選べない。『Don't Stop Me Now』と『ロシュフォールの恋人たち』と『白夜行』が同率で並んでいて、さらにそこにMOIでの『Je te veux』が加わるだろうか。とにかく選べない。
MOIで『エデンの東 Celebration』を滑ったあと、「約21年間フィギュアスケートの競技人生、競技活動を続けてまいりましたが、思いを残すことなく、堂々と誇らかに引退することができます。 本当にいい競技人生でした。心からありがとうございました 」と語った町田選手。町田選手の研究者としてのセカンドキャリアを応援するとともに、新たな門出を心から祝福したい。町田選手、今までありがとうございました。